私が望むのは考えることで人間が強くなることです。
~これまでのあらすじ~
というわけで、本記事ではついでに、映画『ハンナ・アーレント』より、
もちろん、史実のハンナ・アーレント(および関連事項)に忠実とは限らないため、あらかじめご了承ください。
では以下目次です。
他の誰を愛そうとあなたの自由だもの
~ハンナ・アーレントの名言その①~
さて、まずは映画『ハンナ・アーレント』の序盤にあるセリフです。
アーレントは、親友の女性作家、メアリーに愚痴られていました。
でも ご主人とは私も友達なのよ
絶交はできないわ
夫とは別れるわ
メアリーは、夫と絶縁するにあたり、親友であるアーレントにも同調を求めます。
しかし、アーレントは断ります。
アーレントはアーレントであり、メアリーはメアリーだからです。
「友達」ではあっても、「同じ」ではないし、「家族」や「全体」でもない。
なら、同意も同調も必要ないでしょう。
- アンチ全体主義
- アンチ民族主義
- アンチ家族主義
同調圧力はクソです。
自分の脳みそで考え抜き、離婚したいなら離婚すれば良いし、自分が愛したい人を愛せば良い。
なぜなら、
~ハンナ・アーレントの名言その①~
思想家に学位なんて不要ですわ
~ハンナ・アーレントの名言その②~
ところで、ハンナ・アーレントは、学位の最上級である博士号(Ph.D.)を取得しています。
学生時代の師匠は、世界最高峰の哲学者、ハイデガー。
そんな知識人だらけが集まった会合で、アーレントたちは質問を受けます。
「思想家」とは、「自分の脳みそで考え抜く人」です。
「哲学者」も同じ意味というか、自分の脳みそで考え抜いているなら、「思想家」に含まれます。
そして、高校中退で哲学教授になっているハインリヒの例を見ればわかるとおり、
- 博士……大学院博士課程修了で授与される学位
- 修士……大学院修士課程修了で授与される学位
- 学士……四年制大学卒業により授与される学位
上記は一般的な学位の例ですが、こういうのがなくても別に、「思考」はできますよね。
つまり、中卒だろうが高卒だろうが、「思想家」にはなれるでしょう。
重要なのは、出身校や指導教官ではなく、自分の脳みそで考え抜くこと。
だから、
~ハンナ・アーレントの名言その②~
無意味が生まれる所
~ハンナ・アーレントの名言その③~
ハンナ・アーレントは、アメリカのニューヨーク州にある、ニュースクール大学で講義を開きます。
講義のテーマは、アーレントの研究対象である「全体主義」。
アーレントは、その代表作『全体主義の起源』で、世界に名を轟かせる政治哲学者です。
また、ドイツ系ユダヤ人であり、ナチス・ドイツに捕らえられた経験も併せ持ちます。
アーレントは語ります。
西洋には 伝統的な先入観がありました
人間が行う一番の悪は
利己心から来るものであると
ところが今世紀に現れた悪は
予想以上に根源的なものでした
今なら分かります
根源悪とは――
分かりやすい動機による 悪とは違います
利己心による悪ではなく
もっと違う現象によるものです
人間を無用の存在にしてしまうことです
強制収容所は 被収容者に対して
無用の存在であると思い込ませ
殺害しました
強制収容所での教えです
“犯罪行為がなくとも罰は下せる”
“搾取が利益を生む必要はない”
“労働が成果を伴わなくても構わない”
強制収容所とは
いかなる行為も感情も その意味を失うところです
「強制収容所」というと、なんだか無機質で、なにも生まれないような場所に思えます。
私たち未経験者からすれば、想像すらも生まれないような、非生産的な場所。
しかし、そこには確実に生きた人間がいたし、なにかをさせられ・なにかを生み出していたようです。
そのことを、哲学的に生々しく表現したのが、
~ハンナ・アーレントの名言その③~
パラダイスよ
~ハンナ・アーレントの名言その④~
引き続き、アーレントの講義です。
アーレントは、アメリカのニュースクール大学での講義が一段落すると、学生から質問を受けます。
フランスのギュルス抑留キャンプです
でも40年に ドイツが侵攻すると
フランスはユダヤ人を そこに押し込んだの
我々”別の人間”の行き先は
敵の強制収容所や
味方の抑留キャンプでした
旅券がないから 18年間 無国籍でした
アーレントは、ナチスの「強制収容所」……あるいは、「無意味が生まれる所」を経験しました。
この世の地獄を経験し、「この世を――去ろうかと」さえ思ったアーレントは、しかし命からがら逃げ延びます。
そして、アメリカ……「自由の国」へと亡命します。
アーレントが、「個人の自由」にこだわるのは、ナチスで地獄を見てアメリカで天国を見たからかもしれません……。
~ハンナ・アーレントの名言その④~
学ばなきゃ
~ハンナ・アーレントの名言その⑤~
ハンナ・アーレントは、ナチス・ドイツの戦争犯罪者、アドルフ・アイヒマンの裁判傍聴レポートを書き上げました。
しかし、ザ・ニューヨーカー誌の編集者から、文章の「わかりにくさ」を指摘されます。
編集者は、読者の無能さを重々承知しているのでしょう、嘲笑します。
しかし、アーレントがガチっぽい表情をしているので、黙りました。
人間は、学んで成長する生き物です。
それなのに、
- 幼稚な読者に迎合する編集者
- 幼稚な読者に迎合しない哲学者
私たちが見習うべきは、どちらの姿勢でしょうか?
私は、②「哲学者」の姿勢を支持します。
人間であるなら、
~ハンナ・アーレントの名言その⑤~
私が愛すのは友人
~ハンナ・アーレントの名言その⑥~
さて、ハンナ・アーレントは、アイヒマンの「ユダヤ人への憎悪」を否定しました。
また、ユダヤ人指導者にも、アイヒマンの仕事に加担した者がいると指摘しました。
これには、ユダヤの同胞たちも激怒し、アーレントの同胞であるクルトも、
同胞に愛はないのか?
もう君とは笑えない
と、アーレントを拒絶しました。
一方で、アーレントは、「ユダヤ人」などという「全体」は愛していないと告げます。
ユダヤ人を愛せと?
クルト 愛してるわ
アーレントが愛するとすれば、それはあくまで目の前にいる、ひとりの人間です。
想像上にしか存在しない、「民族」ではありません。
「日本」や、「日本人」と言い換えても同じですよね。
- 「国」
- 「日本」
- 「日本人」
そんなものを愛しても、愛が返ってくることもなければ、拒絶されることもない。
否定も肯定もない、幼稚なおままごと、虚しい独り言。
だれかと真剣に愛し合ったことがある人なら、アーレントの真剣さもわかるでしょう。
最初から片思いしかできない行為を、「愛」とは呼びません。
だから、
~ハンナ・アーレントの名言その⑥~
私の講義は満員です
~ハンナ・アーレントの名言その⑦~
ハンナ・アーレントの巻き起こしたアイヒマン論争は、勤め先のニュースクール大学からも問題視されました。
その結果、ニュースクール大学の人事委員会が協議し、全員一致でアーレントに辞職勧告を行います。
大学教員の職を辞めていただきたい
アーレントは、一瞬で人事委員会を論破して、講義に向かいます。
面白すぎ。
ソース:私は学長です。とは (ワタシハガクチョウデスとは) [単語記事] – ニコニコ大百科 – 2022年4月16日閲覧。
この系譜……圧倒的な実力でねじ伏せる暴力。
そして実際、このあとに続く講義で、アーレントは自身の言葉を証明するのでした。
~ハンナ・アーレントの名言その⑦~
悪の凡庸さ
~ハンナ・アーレントの名言その⑧~
ハンナ・アーレントは、アイヒマン論争をテーマに、学生たちの前で語ります。
まずは、アイヒマンについて。
アイヒマン裁判を報告しました
私は考えました
法廷の関心は たった1つだと
正義を守ることです
難しい任務でした
アイヒマンを裁く法廷が直面したのは
法典にない罪です
そして それは――
ニュルンベルク裁判以前は前例もない
それでも法廷は彼を――
裁かれるべき人として 裁かねばなりません
しかし裁く仕組みも――
判例も主義もなく
“反ユダヤ”という概念すらない
人間が1人いるだけでした
彼のようなナチの犯罪者は
人間というものを否定したのです
そこには罰するという選択肢も
許す選択肢もない
彼は検察に反論しました
何度も繰り返しね
“自発的に行ったことは何もない”
“善悪を問わず自分の意思は介在しない”
“命令に従っただけなのだ”と
こうした――
典型的なナチの弁解で分かります
世界最大の悪は ごく平凡な人間が行う悪です
そんな人には動機もなく
信念も邪心も悪魔的な意図もない
人間であることを拒絶した者なのです
そして この現象を
たまに、幼い子どもの万引き犯を捕まえると、じつは親に命令されて万引きさせられていた……みたいなニュースを見かけます。
では、
- 窃盗
- 殺人
- 虐殺
このうち、いくら親の命令でも、さすがに②「殺人」や③「虐殺」はまずいだろう……などと考えられなければ、どんな命令にも従えますよね。
なにも考えなければ、
- 窃盗
- 殺人
- 虐殺
だから、思考を停止した生き物は、この世で最も罪深い悪……たとえば、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺、約600万人)……にも、簡単に染まることができます。
そして思考停止は、世間一般でもしばしば見受けられる現象です。
以上のアイヒマン評(および、人間観)を、一言でまとめると、
~ハンナ・アーレントの名言その⑧~
思考の風
~ハンナ・アーレントの名言その⑨~
ハンナ・アーレントは、アイヒマン論争をテーマに、学生たちの前で語ります。
次は「哲学」……考え続ける理由について。
先生は主張していますね
“ユダヤ人指導者の協力で死者が増えた”
ユダヤ人指導者は アイヒマンの仕事に関与してました
彼らは非力でした
でも たぶん――
抵抗と協力の中間に位置する何かは…あったはず
この点に関してのみ言います
違う振る舞いができた指導者もいたのではと
そして――この問いを投げかけることが大事なんです
ユダヤ人指導者の役割から見えてくるのは
モラルの完全なる崩壊です
ナチが欧州社会にもたらしたものです
ドイツだけでなく ほとんどの国にね
迫害者のモラルだけではなく
被迫害者のモラルも
アイヒマンの行為は”人類への犯罪”だと?
ナチは彼らを否定しました
つまり彼らへの犯罪は人類への犯罪なのです
私は攻撃されました
ナチの擁護者で 同胞を軽蔑してるってね
何の論拠もありません
これは誹謗中傷です
アイヒマンの擁護などしてません
私は彼の平凡さと――残虐行為を結びつけて考えましたが
理解を試みるのと 許しは別です
この裁判について文章を書く者には
理解する責任があるのです!
“思考”をこう考えます
自分自身との静かな対話だと
人間であることを拒否したアイヒマンは
人間の大切な質を放棄しました
それは思考する能力です
その結果 モラルまで判断不能となりました
思考ができなくなると
平凡な人間が残虐行為に走るのです
過去に例がないほど 大規模な悪事をね
私は実際――この問題を哲学的に考えました
知識ではありません
善悪を区別する能力であり
美醜を見分ける力です
- 窃盗
- 殺人
- 虐殺
もしも私たちが、これらの犯罪や命令を区別できるとすれば、それは「思考する能力」の賜物です。
同じ犯罪でも、
などと考えるなら、そこには善悪の区別、美醜の差異があります。
同様に、同じ命令でも合法でも無罪でも、「悪」は紛れています。
その証拠に、
そして、ユダヤ人指導者の一部は、アイヒマンの命令に従った人たちです。
その命令や法律などに従うことの「善悪」「美醜」について考えなければ、私たちは簡単に狂います。
だから私たちは、風通しの良い脳みそで、考え続けなければならない……。
そのことを一言で、
~ハンナ・アーレントの名言その⑨~
私が望むのは考えることで人間が強くなることです
~ハンナ・アーレントの名言その⑩~
ハンナ・アーレントは、アイヒマン論争をテーマに、学生たちの前で語ります。
最後は、希望について。
破滅に至らぬよう
まとめ:思考や判断を支えるもの
- 他の誰を愛そうとあなたの自由だもの
- 思想家に学位なんて不要ですわ
- 学ばなきゃ
- 無意味が生まれる所
- パラダイスよ
- 私が愛すのは友人
- 私の講義は満員です
- 悪の凡庸さ
- 思考の風
- 私が望むのは考えることで人間が強くなることです
以上です。
最後に、私が一番気に入っているセリフに補足を入れて終わります。
~ハンナ・アーレントの名言その⑦~
強い……。
好き……。
~ハイライト~
ではこの続きを見てみましょう。
一瞬で論破された人事委員は、
傲慢で冷淡だ
と、負け犬の遠吠えで終わりました。
なぜこれが負け犬の遠吠えなのか?
以上、強い人間になりたければ、ハンナ・アーレントの姿勢を見習って「本当のこと」を考え抜くべきです。
ハンナ・アーレント(原題:『Hannah Arendt』、2012年のドイツ・ルクセンブルク・フランスの合作映画、日本語字幕版)を観ました。安田尊@『ハンナ・アーレント』を謳うブログ。ドイツ系ユダヤ人の女性哲学者、ハンナ・アー[…]