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【和訳・歌詞解釈】アラン・ウォーカー『Unity』(調和)

バン!バン!バン!(舞城王太郎『淵の王』)


~これまでのあらすじ~

調和 安田尊@「調和」を謳うブログ。
こんにちは、本記事も前回同様、宇多田ヒカル『光』の歌詞解釈をもとに、
【歌詞解釈】宇多田ヒカル『光』は運命を照らす「認識の光」!
アラン・ウォーカー『Unity』の歌詞解釈を行います


  1. ソース1:Alan x Walkers feat. SAPPHIRE – Unity – YouTube(Alan Walker公式) – 2024年12月31日閲覧。
  2. ソース2:The Walkers & Alan Walker – Unity Lyrics – Genius Lyrics – 2024年12月31日閲覧。

アラン・ウォーカー『Unity』と宇多田ヒカル『光』は同じテーマについて歌っているので、『光』の解釈はそのまま『Unity』に応用可能です。

前回同様、作者の意図は無視します。

では以下目次です。

『Unity』と宇多田ヒカル『光』の共通点


~アラン・ウォーカー『Unity』の歌詞~

Unity アラン・ウォーカー『Unity』のイメージ
In the dark of night(真夜中に
The stars light up the sky(星たちの光が暗闇を撃つ
We see them flying free(光は自由に暗闇を切り裂く
That’s just like you and me(君と私みたいに

  1. 『光』の歌詞……「真夜中に」「光の中」
  2. 『Unity』の歌詞……「dark of night」「light up」

さて、もちろん上記は宇多田ヒカル『光』に照らして和訳していますが、直訳でもほとんど『光』の歌い出しと同じ内容です。

たとえば①『光』の「真夜中に」「光の中」と、②『Unity』の「dark of night」「light up」は完璧に対応しています。

したがって、宇多田ヒカル『光』の解釈を踏襲し、


盲目的 安田尊@「盲目的」を謳うブログ。
真夜中(dark of night)」⇒「盲目的な人生

認識の光 安田尊@「認識の光」を謳うブログ。
光の中(light up)」⇒「認識の光

そして『Unity』で照らされるのは「空(sky)」ですが、それが「真夜中の空」なら「暗闇」です。

つまり宇多田ヒカル『光』の歌詞、「暗闇に光を撃て」に対応しています。

だから直訳すれば「We see them flying free」⇒「彼らが自由に飛んでいるのが見える」ですが、「彼ら」⇒「星たち」⇒「光」で、自由に飛んでいる場所は「真夜中の空」⇒「暗闇」⇒「盲目的な人生」なのだから、


認識の光 安田尊@「認識の光」を謳うブログ。
認識の光」は、「盲目的な人生」を自由に否定できる

  1. 『光』の歌詞……「君という光が私を見つける」
  2. 『Unity』の歌詞……「君と私みたいに」

運命に盲目的な人生を否定するにあたって、宇多田ヒカル『光』においては、「君という光」⇒「私の認識能力」という形で表現されていました。

アラン・ウォーカー『Unity』においては、「星の光」⇒「認識能力」の比喩を借りて、「私たちのようだね」と語り合っています。

しかしもちろん『Unity』においても、最初から「私」は「君」を発見していたわけではなく、


~アラン・ウォーカー『Unity』の歌詞~

Unity アラン・ウォーカー『Unity』のイメージ
Everyone is lonely sometimes(だれだって孤独を感じるときがある
But I would walk a thousand miles to see your eyes(でも必ず君は私を見つける
You are not alone, we are family (君はひとりじゃない、私たちは家族だから
Hold me, let’s escape all this reality(私を抱きしめて、出口に立って

  1. 『光』の歌詞……「どんな時だってたった一人で」
  2. 『Unity』の歌詞……「だれだって孤独を感じるときがある」

①②「一人」「孤独」は盲目的な人生の主観的認識であり、「君という光(自覚的な人生)」の客観的認識により「二人」へ。

だから直訳すれば、「But I would walk a thousand miles to see your eyes」⇒「君の瞳を見るためなら1000マイルでも歩ける」ですが……。

「私が君の瞳を見る」ということは、「君が私の瞳を見る」のであり、


調和 安田尊@「調和」を謳うブログ。
私は君を見つけるし(主観的認識)、君は私を見つける(客観的認識

  1. 『光』の歌詞……「家族にも紹介するよ」
  2. 『Unity』の歌詞……「私たちは家族だから」

そして宇多田ヒカルにおいては、①「家族にも紹介する」という態度で、運命との婚約が宣言されました。

アラン・ウォーカーにおいては、すでに②「私たちは家族」となり、「私たちの認識」は運命共同体です。

したがって直訳すれば「let’s escape all this reality」⇒「現実から脱出しよう」ですが、ここでは「現実」⇒「これまで送ってきた現実的な生活、盲目的な人生」であり、


認識の光 安田尊@「認識の光」を謳うブログ。
出口に立って」、盲目的な人生から脱却せよ

  1. 『光』の歌詞……「出口に立って」
  2. 『Unity』の歌詞……「脱出しよう」

宇多田ヒカルにおいては、①「出口に立って」「暗闇に光を撃て」と続くわけですから、「私」と「君という光」のふたつの認識があります。

アラン・ウォーカーにおいても、②「脱出(escape)」の前に「私を抱きしめて(Hold me)」と願うとおり、「抱きしめられる私」と「抱きしめる君」のふたつの認識があります。

いずれにおいても、「一人」「孤独」からの脱出、つまり①②「盲目的な人生からの脱却」を意味しています。


~アラン・ウォーカー『Unity』の歌詞~

Unity アラン・ウォーカー『Unity』のイメージ
You are my symphony(あなたは私の交響曲
By your side, we are unity(あなたの側で、私たちはひとつになる
You are my energy(あなたは私の力
My guiding light, we are unity(私を導く光、私たちはひとつ
(We are, we are) We are unity(私たちは調和する
(We are, we are) We are unity(私たちは完成する

  1. 『光』の歌詞……「どんなときだってずっと二人で」「どんな時だって側にいるから」
  2. 『Unity』の歌詞……「あなたの側で、私たちはひとつになる」

宇多田ヒカル『光』において、「私」+「君」+「僕」が交わり統一される様子が、ここでは「交響曲」と表現されています。

「あなたの側で、私たちはひとつになる」ということは、「あなたの側」には「私たち」がいて「私たちの側」には「あなた」がいて「あなたの側」は「私たちの側」でもあり、「あなた」=「私たち」=「ひとつ」です。

そうした「一人」であり「二人以上」でもある認識をもたらしたのは、ほかでもない「私を導く光(My guiding light)」⇒「認識の光」であり、


認識の光 安田尊@「認識の光」を謳うブログ。
力(You are my energy)」の正体は、「私の認識能力

  1. 『光』の歌詞……「君という光が私を見つける」
  2. 『Unity』の歌詞……「あなたは私の力」

そして「私たち」は、「認識の光」に導かれて、「あなたの側(your side)」で「運命に自覚的な側面(Light side)」へと収束します。

ちなみに前回の記事で解説したアラン・ウォーカー『Darkside』は、光を捨てた場合を歌っています。

もちろん光を捨てた場合は、「盲目的な側面(Dark side)」へと堕落します。

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「運命に自覚的な人」の勇気は「英雄的」


~アラン・ウォーカー『Unity』の歌詞~

Unity アラン・ウォーカー『Unity』のイメージ
Although the rain might pour(雨が降るかもしれない
A thunder starts to roar(雷が鳴り響き
The lightnin’ wakes the wave(光が波打つ
But through it, we are brave(それでも私たちは英雄的だ

  1. 『光』の歌詞……「うるさい通り」「テレビ」
  2. 『Unity』の歌詞……「雨」「雷」

さて、②「雨」「雷」が出ているということは、当然②「雨雲」も出ているでしょう。

②「雨雲」は、②「私の認識が盲目的な視点に曇らされかねない」ことを意味します。

さらに、宇多田ヒカルにおいては①「うるさい通り」「テレビ」に相当する部分が、


うるさい 安田尊@「うるさい」を謳うブログ。
アラン・ウォーカーにおいては、②「雨音」「雷光」と表現されています。

「認識の光」によって、宇多田ヒカルにおいては、見たくもないテレビ番組のように余計なチャンネル(余計な認識、人生の選択肢)が増えてしまった。

アラン・ウォーカーにおいては、雑念が雨音となって聞こえ、多すぎる人生の選択肢が雷のように枝分かれしているのが見えて恐怖心を煽ります。

それでも、宇多田ヒカルが「テレビ消して」と願ったように、認識能力が曇ったり暴走したりすることはあるかもしれないけど、


調和 安田尊@「調和」を謳うブログ。
私たちの認識能力」は「英雄的(brave)」であり、勇気を持って運命を見つけられるだろう

「調和」とは「闇と光の運命的な出会い」


~アラン・ウォーカー『Unity』の歌詞~

Unity アラン・ウォーカー『Unity』のイメージ
Everyone is lonely sometimes(だれだって孤独を感じるときがある
But I would walk a thousand miles to see your eyes(でも必ず君は私を見つける
You are not alone, we are family (君はひとりじゃない、私たちは家族だから
Hold me, let’s escape all this reality(私を抱きしめて、出口に立って

Unity アラン・ウォーカー『Unity』のイメージ
You are my symphony(あなたは私の交響曲
By your side, we are unity(あなたの側で、私たちはひとつになる
You are my energy(あなたは私の力
My guiding light, we are unity(私を導く光、私たちはひとつ
(We are, we are) We are unity(私たちは調和する
(We are, we are) We are unity(私たちは完成する

Unity アラン・ウォーカー『Unity』のイメージ
You are my symphony(あなたは私の交響曲
By your side(あなたの側で
We are unity(私たちはひとつになる
You are my energy(あなたは私の力
My guiding light(私を導く光
We are unity(私たちはひとつ
We are unity(私たちは調和する
We are unity(私たちは完成する

まとめ:「盲蛇怖じず」は「英雄的」か?


安田尊 安田尊@まとめを謳うブログ。
それではおさらいも兼ねて、ここまでの要点を3点でまとめます。

  1. アラン・ウォーカー『Unity』は、宇多田ヒカル『光』と同じ、「認識の光」の歌
  2. 『光』は「認識の目覚め」を丁寧に歌うが、『Unity』は「認識の完成」の賛美歌
  3. 星も夜空も光も闇も勇気も恐怖も、単独では未完成であり、「調和」して完成する

以上です。

アラン・ウォーカー『Unity』は、宇多田ヒカル『光』と同じ現象について歌いながらも、一歩先の状態を主題に据えています。

したがって、『Unity』においては、「認識能力」⇒「英雄的」だと賛美されます。


~日本のことわざ~

盲目的 安田尊@「盲目的」を謳うブログ。
盲(めくら)蛇に怖じず

という言葉がありますが、意味は「目が見えない人は蛇も見えないので蛇を怖がらない」⇒「無知は怖い物知らず」です。

盲が蛇を怖がらないとしても、それは蛇を見て(認識して)いないからであり、恐怖や困難を克服したわけではない。

だから私たちは、そんな盲を「勇者」や「英雄」だとは認めないのと同じで、


認識の光 安田尊@「認識の光」を謳うブログ。
運命をしっかりと見据えた上で(認識した上で
調和 安田尊@「調和」を謳うブログ。
運命的に生きた人にしか「勇気」はありえない

だからこそ、「認識能力」⇒「英雄的」なのです。

たとえ決定論的な意味で、すべての人が運命の操り人形だとしても、運命を認識して耐え忍んだ人のみが英雄的である。

ゆえにこの部分は、逆に平均的な人生を歌うアラン・ウォーカー『Darkside』においては、


~アラン・ウォーカー『Darkside』の歌詞~

Darkside アラン・ウォーカー『Darkside』のイメージ
While we’re still young and fearless(まだ幼くて怖い物知らずなうちに
Let go of the light(光を捨てよう
Fall into the dark side(盲目的に生きよう

というわけで、宇多田ヒカル『光』とアラン・ウォーカー『Darkside』を踏まえて解釈を進めてきました。

これらの楽曲は歌詞解釈のために探したのではなく、たまたま私の大好きな楽曲たちが上手く調和してくれて、運命を感じています……。

以上、アラン・ウォーカー『Unity』の歌詞解釈でした!

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