亀のほうがいいと思う。
折り紙は時代遅れ
まあブログなんて時代遅れなメディアにいまさら手をだしている俺がいうのもなんだけど、折り紙はもっと時代遅れだと思うんだよね。
祈りは無駄じゃないよ。
折り紙で鶴を千羽も折って、
っていう祈りは、魔術的だし俺は好きだ。
俺はスピリチュアルには懐疑的だけど、現実的な(現実に作用する技術としての)魔術に関しては肯定的だ。
簡単に一例を挙げると、自己暗示がそうだ。
の、「これだけのこと」の部分に意味を付与したり、意味を見出したりする技術が、現実的な魔術だ。
もっと具体的な例を挙げると、
この場合、客観的にいって、受験生の能力、モチベーションやテンションやメンタルの向上が、ないとはいえないだろう。
それから、
これも、「なんでもするんだから、そこまでするんだから治れ」という契約的な魔術にほかならない。
ただし、これで治らない人間もいるだろうが、それは普段から神を信じていなかったり、契約を履行する気がなかったり、そのことを自覚しているから、魔術も発動しないだけだ。
ゆえに、
千羽鶴も、魔術だ。
まあ冷静に考えたら、折り紙で鶴を千羽折ったからなに? ってなるのもわかるけど、千羽鶴は視覚的な結果であって、見るべきなのは見えない祈りのほうだ。
千羽鶴を介して、人は祈りを見ることができる。
その祈りは、応援や励ましとなって、人に勇気を与える。
だから俺は、千羽鶴を無駄だとは思わない。
ただ、千羽鶴って実際、千羽も折ってないことが多いよね?
まあ「八百万の神」なんかと同じで、千羽=たくさん、って意味で使われてもいるんだろうけど、でもその妥協はちょっとどうかと思う。
きっちり千羽揃えるからこそ、「これだけのこと」って思えるわけだから。
そう思えない千羽鶴は、はっきりいって無駄だ。
魔術とは儀式であり、儀式は手順が命なのだ。
上記の例でいえば、同じお守りでも、
これじゃあ頑張れないよね。少なくとも、家族が自分の足で、直接買ってきてくれた場合と比べれば。
でも現実的に考えて、折り紙で鶴千羽も折るのキツいよ~っていうのもわかる。
だから時代遅れなんだ。
現代には紙以上に高速で祈りを伝達する手段があるんだから、中途半端に鶴なんか折ってる時間があったら、同じ数だけ応援メッセージを届けたほうがいい。
電子テキストでも、動画でも、音声でも。
正規の千羽鶴が作れないなら、中途半端な千羽鶴に比べれば、費用対効果はいいはずだ。
折り神
それでも折り紙にこだわるなら、記事冒頭でも書いたとおり、俺は亀のほうがいいと思う。
だって「鶴は千年、亀は万年」っていうじゃん?
ってことは、生命力の象徴として、亀は鶴の十倍優れているわけじゃん?
そして亀は折り紙で折れる。
難易度も鶴と同じぐらいだ。
じゃあもう折り紙で亀折ったほうがよくない?
亀だったら百匹で千羽鶴と同じ効果だせるよ。
だいたいいまからめちゃくちゃ難癖つけるけど、鶴っていうほど縁起いいか?
だって「ツル」って、
一方、「カメ」は?
祈りだ!
まあ「加命」は俺がいま造った造語だし、「噛め」はちょっと強引だし、「祈祷」は下ネタだけど。
でも下ネタって、生命力の象徴としてはむしろプラスだからね。
それに亀の欠点といえば鈍足が挙げられがちだけど、亀は俊足のウサギやアキレスに競走で勝ったという伝説もある。
っていうか亀は伝説どころか、神話にもなっている。
中国神話の四神、青龍、朱雀、白虎、玄武、といえばだれでも聞いたことがあるだろう。
この玄武は亀であり、脚が長いことで知られている。
だからちょっと足が速い動物とか人間とか、亀が本気をだせば相手にならない。
ちょっと縁起がいいだけの鶴なんかとは、格が違うのだ。
神だから。
いわば折り紙で亀を折れば、折り神になる。
折り鶴と折り神、どちらの御利益が上か、お利口さんならわかるはずだ。
つるかめ合戦
とはいえ、千羽鶴は日本の文化だし、中国神話とか知らん、黙れ、いまは現代だ(トートロジー)、という意見もあるだろう。
わかった。
現代の日本の価値観で話そう。
亀はこんなに大人気(現代日本版)!
どうだろう? 日本人はこんなにも亀を愛している。
で、鶴は?
いっておくが、こちらにはまだ「ニンジャ・タートルズ」や「ポケットモンスター青」や「こちら葛飾区亀有公園前派出所」だってあるんだからな。
それを忘れないで欲しい。
鶴の一声
たしかに。
THIS IS THE ANSWER.