~ANSWER SONG アンサーソング。 | 答えを謳うブログ。~

【30歳レベルの悩み】夏休みの宿題

私の悩みはあなたの頭が悪いことです。私が答えると、肴ちゃんはマジかこいつという顔をして、具体的には目を見開いて白目の面積が大きくなって相対的に黒目の面積が小さくなって猫みたいに瞳孔が細くなったりはしなかっただろうが印象としては猫みたいな目になった。そして一瞬首を引きつらせて息を詰まらせて一言でいえば絶句した。

 絶句といえば、肴ちゃんの名前のほうが絶句である。

 肴ちゃんの名前はサカナちゃんではない。

 ノゾミだ。

 両親がアホすぎて、肴ちゃんの出生届の際に希(のぞみ)と書くところを肴と書いてしまい、読み方はそのまま肴(のぞみ)で通ってしまったらしい。出生届は漢字の読み方を規定しないし、役所は訂正の提案もしなかった。まあ当時すでにキラキラネームベイビーはありふれていたし、役所の人間もいちいちアホに付き合っている暇はなかったのだろう。

 とはいえ、肴(ノゾミ)……絶句である。

 その肴ちゃんのお母さんは、しかし私の暴言には黙っていなかった。

「はっ? 肴の頭が悪いってどういうこと?」

 まあそりゃ、自分の子どもに肴(ノゾミ)と名付ける親の血を引いているんだから、どういうこともなにもそういうことだろう。

 という話ではない。

 この夏休みのお墓参りの帰省で、親戚一同が一堂に会するおじいちゃんとおばあちゃんの屋敷の大広間で、さすがにそんなことをいえば一族全員を敵に回すばかりか墓穴を掘るだけだ。肴ちゃんのお母さんと私の血は繋がっていないが、肴ちゃんのお父さんと私の血は繋がっている。つまり肴ちゃんの血筋をバカにするということは、私の血筋をバカにするに等しい。

 が、これはそういう話だ。

「『あなたの頭が悪い』という言葉の意味は、『あなたの頭が悪い』です」
「はあ? 何言うてんねん、頭おかしいんちゃうか」
「怒ってるんですか?」
「当たり雨やろ、なんで肴がバカにされなアカンねん」
「私は質問に答えただけです」

 肴ちゃんは高校生で、夏休みの宿題で自由研究に取り組んでいた。自由研究のテーマは「人の悩み」。人の悩みを蒐集し、レポートを書く。つまり肴ちゃんにとって、一大帰省イベントで顔を合わせる約20名の親戚は、格好のアンケート対象だった。みんなで大広間に集合し、昼食を頂いたあとのくつろぎタイムを狙い、並べられた長テーブルの端から順に事情を説明して聞き取り調査を行なっていく。そして私の番がきた。

 んん、こほんと、か細い咳のような喉の調整をして肴ちゃんは説明を始めた。

「こんにちは、じつは夏休みの宿題で……」

 肴ちゃんはこの調子で、聞き取りのたびに最初から事情を説明していた。どうせこの場の親戚全員と話すなら、みんなに注目するようお願いして、大声で説明すれば1回で済むのに。でも肴ちゃんは、どう見てもそんなリーダーシップの発揮とは無縁の人間だった。1回声を張り上げるより、20回小さな声で説明を繰り返すほうを好む女子だった。親戚とはいえ、20人分も声をかけるぐらいだから、陰キャでもコミュ障でもないんだろうけど……おとなしめで、控えめで、「悩み」を自由研究のテーマに選ぶぐらいには内向的。長い黒髪が丁寧に手入れされているのを見て、髪は女の命というより、女の性格だと思う。私はすでに人生で20回は髪を染めているが、肴ちゃんは人生で1回でも髪を染めることがあるのだろうか?

「うん、知ってる。聞こえてたからね」私は肴ちゃんの説明を遮った。それから予め考えてあった質問をする。「でも、高校の宿題ということは、高校生でも理解できる高校生レベルの悩みがいいの? それとも、私はもう30歳なんだけど、30歳レベルの悩みがいいの?」
「30歳レベルの悩みがいいです」
「私の悩みはあなたの頭が悪いことです」

 そして肴ちゃんは絶句し、私は肴ちゃんのお母さんに怒られる。そばには肴ちゃんのお父さんもいるけど、お父さんのほうは黙っている。怒っているわけではないし、絶句しているわけでもない。こういう親戚の集まりがあると、血の傾向を強く感じるときがある。私と肴ちゃんのお父さんは似ている。そして肴ちゃんもお父さん似だろう。だから私は、肴ちゃんのお母さんに弁明するけど、本当は肴ちゃんに向けて話している。

「私は『あなたの頭が悪い』といったんであって、『あなたの頭だけが悪い』とか、『私の頭は良いがあなたの頭は悪い』とはいっていません。『あなたの頭が悪い』という言葉の意味は、『あなたの頭が悪い』です」
「はあ、意味わからんわ」
「そうですね。たとえば私の答えが、『私の悩みはあなたが死んでしまうことです』だったら、あなたはいまみたいに怒りましたか?」

 肴ちゃんのお母さんは怪訝な表情をして考え始めたようだが、私はさっさと答えをいってしまう。

「いや、そりゃ人間なんだから、だれだっていつかは死ぬでしょ……と、呆れるだけじゃないですか?」

 すべての人間は必ず死んでしまう。

 肴ちゃんは人間である。

 したがって、肴ちゃんは必ず死んでしまう。

「同じことです。私の悩みは、すべての人間の頭が悪いことかもしれません」

 すべての人間は頭が悪い。

 肴ちゃんは人間である。

 したがって、肴ちゃんは頭が悪い。

「じゃあ最初からそういえば良かったやろ?」
「最初からそういっています。『あなたの頭が悪い』という言葉の意味を、『あなたの頭だけが悪い』とか、『私の頭は良いがあなたの頭は悪い』と勝手に解釈して怒ったのはあなたです。まさにそういうところが……」

 人間の頭の悪いところ。

「逆に訊きますが、あなたは自分や自分の子どもの頭が良いと思っているんですか? そもそも『頭が良い』とはどういう意味ですか? 頭の形の話? 知能の話? 学校のテストで良い点を取れる頭なのか、サッカーのヘディングで点を取れる頭なのか、それともサッカーのヘディングで点を取れる位置に走り込む判断ができる頭なのかどれですか?」

 肴ちゃんのお母さんは答えない。ただ眉間にしわを寄せて私を恨めしそうに一瞥して視線をそらす。大広間のリラックスタイムは終わりを告げた。まあ私が告げたんだけど。だから私は全然こういう空気平気。このまま何時間でもいられる。耳をすますと、私から遠く離れた位置に座るおばちゃん2人のひそひそ話し声が聞こえる。別に私や肴ちゃんのお母さんについて話しているわけではなく、他愛のない雑談だ。この終わっている空気のなかで、この雑談が途切れればガチで終わる……そういう危機感に突き動かされたぎこちない雑談だった。それはつまり、話題にこそ出していないが、私の話を聞いていたということだ。ほかの親戚も、静かに幼児をあやしたり「暑いね~」とうちわを扇いだりスマホを眺めたりしているが、みんな声や動作が風前の灯火みたいに小さい。私が話すのを邪魔しないように物音を立てないようにしているし、聞き耳を立てているのがわかる。

 みんなは自分が電車に乗っているとき、新しく電車に乗り込んできた人間が、独り言にしては異様に大きい声でブツブツ何事かを喋っていたらどうする?

 親戚にとって、私とはそういう存在だ。

 ただ肴ちゃんやそのお母さんは、いわゆる遠い親戚ってやつで、私のことをよく知らなかったにすぎない。いや、私のことをよく知っている親戚なんてひとりもいないけど。肴ちゃんについては年に1回同じ場所に居合わせるかどうかで、話したこともほとんどない。そんな相手に、しかも勇気を出して話しかけてきてくれた子どもに、私は「あなたの頭が悪い」といった。相手に勘違いさせるようなことを、勘違いしてショックを受けるとわかっていていった私は、やっぱり肴ちゃんの心に乗り込んでいった異常者かもしれない。でも世の中、正常な病気がないように正常な悩みなんてないんだから、人の悩みに触れたいならこれぐらいの異常でガタガタ震えている場合じゃないぞ。ここは電車じゃないんだから。

「どうしてこんなことが起こるかわかる?」私は肴ちゃんに向き直った。「そもそも『悩み』を集めているっていうけど、『悩み』ってなに?」
「ん、と……」

 肴ちゃんは、私の最初の質問に小さく首を振ろうとして、次の質問に目が泳いだ。肴ちゃんが答えられないことはわかっているので、私は話を進める。

「それがわからないから、私は訊いたよね。『高校生レベルの悩み』か『30歳レベルの悩み』か。あなたは『30歳レベルの悩み』を選んだ。選んだということは、悩みにはレベルがあり、区別して比較できるということ?」

 私はすでに肴ちゃんのアンケートを受けた親戚一同を見渡した。肴ちゃん以外にも高校生はいるし、私以外にも30代はいる。

「たとえば人の悩みだけを陳列して、年齢や性別を伏せたとしても……ああこの悩みは高校生の悩みで、ああこの悩みは30歳の悩みだ……とかがわかるってこと? 大学受験のことで悩んでいれば高校生で、子育てのことで悩んでいれば30歳みたいに? でも世の中には、30歳で大学受験を考えている人間もいれば、高校生で子育てに追われている人間もいるよね。だとすれば、『高校生レベルの悩み』とか『30歳レベルの悩み』とかってどうしてわかるの?」

 もちろん一般的には、30歳で大学受験を考える人間は少数派だし、高校生で子育てに追われる人間も少数派だ。でも悩みって、一般化していいものなんだっけ? だれかが心の底から悩んでいる事柄が、ほかの大勢の他人から見ればしょうもないなんてことは多々ある。だからって、その多数決によって少数派の悩みは解消されないし、悩みとは人それぞれ一人ひとりのものであって一般化に価値はない。

「ごめんね。『高校生レベルの悩み』とか『30歳レベルの悩み』とか言い出したのは私なのに。でも悪いけど、私にも『高校生レベルの悩み』とか『30歳レベルの悩み』とかいう言葉の意味がわからない」

 世の中には、30歳で高校生だっている。

「そして言い出しっぺの私でさえわかっていない言葉の意味を、あなたがわかっているはずもない。にもかかわらず、あなたは『高校生レベルの悩み』と『30歳レベルの悩み』を比較して、『30歳レベルの悩み』を選んだ。これってなにが起きてるんだと思う?」
「ちょっと、待ってもらっていいですか……?」
「ダメ」

 できればじっくり考えさせてあげたいけど、親戚の集まりなんて流動的だしすぐにお開きになるし、次またいつ会えるかわからないから。私は「えっ」とかいって言葉を詰まらせている肴ちゃんを無視して話す。どうせその詰まりが解消されたところで答えは詰まったままだろう。答えは、雰囲気で選んでいる。そして雰囲気で選んでいるということは、

「私たちは、雰囲気で喋っているよね。あなたは私に『悩み』を訊いた。私はあなたに『レベル』を訊いた。お互いに質問して、答えて、会話が成り立っているように聞こえる。でもじつは、なにも成り立っていない」

 お互いに、自分でも意味のわからない音を交換しているだけ。

「これはね、言葉が悪いんです」

 世間では「話せばわかる」「話し合えば分かり合える」と、まるで言葉を魔法か万能薬みたいにいうけど。

「私たちは言葉を使えば、自分の思っていることや考えていること、感情や気持ちを自由に表現して伝えられると思っているよね。でもじつは、なにも表現できていないし伝えられていない。だから人間は、話してもわからないし、話し合っても分かり合えていないでしょ?」

 私と肴ちゃんのお母さんが分かり合えたように見える?

「さっきさあ、お弁当を食べているときに……」

 今日の昼食は仕出し弁当だった。親戚が約20名も集まる日なので、だいたい昼は仕出し弁当で夜は出前寿司になる。

「このこんにゃく美味しいよ、食べてみて、みたいな声が聞こえてきたんだけど……」

 仕出し弁当は、もちろん全員が同じメニューだった。

「でもその人が『美味しい』と食べたこんにゃくは、もうその人の胃袋の中なんだから、『このこんにゃく』『食べてみて』もクソもないよね」

 同じメニューであっても、同じ弁当ではない。同じこんにゃくが入っているように見えても、同じこんにゃくは入っていない。

「でも『食べてみて』っていわれたほうは、『ほんとだ、美味しい~!』とかいって相槌打ってんのね、自分のこんにゃく食べながら」

 違うものを食べているのに、なにが本当なんだろう?

「このふたりがいう『美味しい』って、同じだと思う? 違うものを、違う場所に、違う時間に入れた感想なのに?」

 同じなのは、たった4文字の言葉だけ。たった4文字じゃ、それぞれが感じた味を全然表現できていない。でも4000文字ぐらい使って完璧に表現しようと思えば、必ずふたりの表現は違うものになる。そして4000万文字使ってもこんにゃくの味を完全に再現することはできないし、だから相手に伝えることもできない。

「言葉は、違うものを同じに扱うよね」

 不成立を成立に見せるのも言葉、嘘を本当だと偽るのも言葉、口だけ野郎が存在するのも言葉のせい。

「だから言葉が悪いんだけど、それはつまり人間の頭が悪いってこと。そもそも人間の頭が悪いから、違うものを同じだと思ってしまう。違うものを同じだと思ってしまうから、違うものを同じ表現で済ませようとする」

 人間が先か言葉が先かでいえば、確実に人間が先だしね。

「なにより、一番頭の悪いのが……」

 いま私が、なにをやっていると思う?

「これだけ言葉を悪者にしながら、いままさに言葉を使って説明するしかないこの頭の悪さ……言葉は使えない、言葉はゴミだと罵りながら、言葉以上のコミュニケーションツールを発明できない私の頭の悪さ……でもこれは、私の頭だけが悪いんじゃない。私と同じように、言葉が悪いと考えた人間はいくらでもいる」

 というか、私みたいな凡人は、その天才たちの走らせた電車に便乗しているだけ。

「でもそのだれも、アインシュタインもヴィトゲンシュタインもニュートンも……発明王エジソンも、どの天才も言葉以上のコミュニケーションツールは発明できなかった。だから……人間の頭が悪いんだよね」

 もう少し、頭の良い存在に生まれたかった。

「これが私の悩みです。どう? 30歳レベルの悩みに聞こえた?」

 どう聞こえようと、私の悩みはノートに取らなくて良い。そこに写した文字は私の悩みを写せていない。それにノートなんか取らなくても、あなたは今日私にいわれた「頭が悪い」という言葉を一生覚えていられる。本当に30歳レベルの悩みを知りたいなら、30歳までその言葉について悩み続ければいい。

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