~ANSWER SONG アンサーソング。 | 答えを謳うブログ。~

【最近】思うように身体が動かせなくなった

最近、思うように身体が動かせなくなった……とつい呟いてしまい、愚痴をこぼしてしまったみたいになる。

「安田さんももういいお歳ですからねえ。みなさんそうですよ」

 いい歳?

 みなさん?

 私の身体のどこかがピクっと跳ねて反応するが、私はうつ伏せで肩甲骨から押さえつけられていて飛び跳ねられない。昔の私だったら「いい歳って何歳から何歳までのこと?」と即座に飛びついていたし、「みなさんそうってあなたがそう思うのはあなたが整体師だからであってそりゃ整体に通う人間は全員思うように身体が動かせないのかもしれないけど世の中整体に通っていない人間のほうが多い」ぐらいの跳ね方はしていたが、大人しく肩関節周囲炎の治療に専念する。私ももういい歳だ。猫みたいに元気に飛び跳ねる若さはもうない。猫背の治療もしなきゃだし……って違う。そういう話がしたいんじゃない。

 たしかに私は歳を取り、「思うように身体が動かせなくなった」と思うことが増えた。

 そしてあるとき、同時に思った。

 これまでは思うように身体を動かせていたのか? 若い頃は?

 若すぎる頃はたぶんなんにも思っていなかっただろう。

 夜パパとママが寝静まった頃にドデカい声で泣き叫んで叩き起こしたらもう絶対私のことしか考えられなくなるし私のことだけを見てくれるし私のことをいっぱいいっぱい構ってくれるんだろうなあ~とか思って夜泣いていたわけじゃないし、初めて呼ぶのは「パパ」か「ママ」かどっちにしようかな~ママはガチで嫉妬深そうだしパパはなんか笑って許してくれそうだからパパごめんだけど最初にママのこと呼ぶね? とか思って最初に「ママ」って口にしたわけじゃないし、いまこのパパとママが油断している隙に急に立ち上がって3歩ぐらい歩いたらウケるやろな~とか思って初めて歩いたわけじゃないはずだ。

 じゃあ若すぎない若い頃っていつだ?

 小学生? 若すぎる。

 中学生? 若すぎる。

 高校生? 若すぎる。

 大学生? 若すぎる。

 20歳? 若すぎる。

 30歳? 若すぎ……というか、いまの私基準で考えれば年下が多すぎるし年下がみんな若すぎる感じに思えてしまってダメだ。その証拠に最近年下から「若いですね」といわれることが増えた。つまり若くないのだ。「若い」という評価は年上から年下なら素直に若者の体力や食欲や胃袋に感心しているのだろうが、年下から年上なら(歳のわりには)という暗黙の了解がくっつく。ある日私に「言葉が若い」と的確に突っ込んでくれた若者がいて、私はそうだよそのとおりだよ私が若いんじゃないんだよと嬉しくなったことをよく覚えている。だれだって赤ちゃんには赤ちゃん言葉で喋ったりするだろう、だからってその人まで赤ちゃんになったわけではない。そしてだからより正確にいえば、私は単に言葉が若いわけでもない。相手によって言葉遣いを変えているだけだ。若者には若者言葉を、ミーハーには流行語を、懐古厨には死語を交えて喋っている。歳のわりには新語を追えているとして、古い言葉だって全然遣えるんだぜ。そういう意味でもやっぱり、私は広い範囲でTPO、時と場合と場所を弁えられるだけ歳を取ってしまったんだろう。チョベリバチョベリバ。なむなむ。

 まあでも、あの若者はなかなか賢そうだった。頭の回転も速そうだった。

 あの若者が若すぎない若者だろうか?

 自分で思考して行動していたのだろうか?

 年寄りに向かって「言葉が若い」と褒めれば嬉しいだろう、喜ぶだろう、面白いだろう……とか思って発言したのだろうか?

 それとも、発言してから……嬉しいだろう喜ぶだろう面白いだろうとか思ったのだろうか?

 その若者がもし「言葉はがきゃい」みたいに言葉を噛んでしまったら、噛んでしまおうと思って噛んでしまったのだろうか?

 それとも、噛んでしまってから「噛んでしまった」と思うのだろうか?

 普通に考えれば……ここでいう普通とは私の経験則だが、日常生活においてわざわざ言葉を噛もうと思って噛む人間はいない。

 だから噛んでしまってから「噛んでしまった」と思う。

 言葉を噛むつもりなんてなかった。

 口を滑らせたときもつい嘘をついてしまったときも失言してしまったときも言い過ぎてしまったときも心にもない言葉を吐いてしまったときも、人はこう思う。

 そんなつもりじゃなかった。

 でも「そんなつもりじゃなかった」と思っているのはいったいだれなんだ?

 自分か?

 自分が思い描いていた自分の行動と、実際の自分の行動が違うとき、自分が「そんなつもりじゃなかった」と思っているのか?

 そこには本当に自分ひとりしかいないのか?

 思考している自分と、行動しているだれか別人のふたりがいるんじゃないのか?

 たとえば映画の主人公と観客みたいに。

 映画の観客は、映画の主人公の行動を思い描く。が、実際に映画の主人公が100%観客の思い通りに動くことはない。恋愛映画の告白シーンで、観客は絶対にそこは噛むなよと思っているのに主人公は噛んでしまう。ラブコメ映画だったのだ。そして観客は思う「噛んでしまった」……でも主人公は、ちゃんと台本通りにセリフを喋っている。噛んでしまうのも含めて台本通り、計画通り、思い通り……。

 この映画の主人公と観客みたいなことが、現実の自分にも起きているんじゃないのか?

 私は最初から思考するだけの存在で……。

 この私が①「自分」だと思っている②「行動する人間」は、①「私」ではない②「他人」なんじゃないか?

 そしてその行動する他人にもちゃんと思いはあって、他人は他人で思ったとおりの行動をしている。

 パパとママに構ってもらおうと思って夜泣いていたんだし、パパごめんと思いながら最初に「ママ」と喋ったんだし、ウケ狙いで人生初の二足歩行をした。

 私がそれを覚えていないのは、そもそも私が思ったことではないからだ。

 もしかしたら私はそのとき、存在すらしていなかったかもしれない。

 物心ついたとき、みたいな言い回しがあるが、まさにそんな感じで他人に取り憑いた物の怪や霊的な存在の可能性もある。

 いま私が手のひらを返して視認し、「この手は私の思い通りに動いているよな?」と確認したと思ったところで、それはちょうど他人が他人の思いで他人の手のひらを他人の顔に向けたのをいいことに、私が私の思いで私の手のひらを私の顔に向けたと思い込んでいるだけだったとしたら……。

 最初から、私の思うように動く身体など存在しないとしたら……?

 私の身体は整体を終えて、整体師さんにお礼を述べてクリニックから退室して通路に出た。

 整体クリニックが入っているのは商業施設の地上5階で、1階に降りるためにエレベーターの前まで歩いていく。

 エレベーターの階数表示パネルを見ると、現在1階で停まっているので上の5階まで呼び出す。

 が、エレベーターの△ボタンを押しても反応しない。

 ここのエレベーターの呼び出しボタンは入力を受け付けると点灯するが、2回3回と連打してみても点灯しない。

 もちろんすでに5階に到着していて目の前の扉が開くということもない。

「故障……?」

 私の身体が呟きながら、4回5回と△ボタンを押すけど違うよ。

 △ボタンは上向きの三角だけど、エレベーターを上に呼ぶためのボタンじゃない。

 おまえが下に降りるんだから、下向きの▽ボタンを押さなきゃダメでしょ? もう何回も乗ってるエレベーターなのに、なにやってんの……?

 最近、思うように身体が動かせなくなった。

answersong.com" width="1280" height="904" >

answersong.com