死にたい……という独り言は独り言ではないし、「死にたい」という意味でもない。
~これまでのあらすじ~
- 自問……過去の自分
- 自答……現在の自分
前回の記事では、私たちの人生には3種類、①「過去」②「現在」③「未来」があると述べました。
①「自問」②「自答」は、①「過去の自分」の問いに②「現在の自分」が答えます。
つまり、①「過去の自分」と②「現在の自分」のふたりがコミュニケーションを取っています。
~独り言(?)~
「死にたい……」は願望ではなく、「相談」や「愚痴」や「共感を求めているだけ」なのかもしれません。
よし、今回はこの方向で、「死にたい……」と呟きながら死なない矛盾を解消します。
では以下目次です。
自分で自分の気持ちに共感できる?
- 自分で質問して⇒自分で回答する
- 自分で相談して⇒自分で相談に乗る
- 自分で愚痴って⇒自分で共感する
この①②③「質問」「相談」「愚痴」は、一言でまとめることができます。
「連絡」ですよね。
私は先月の記事で、「報告」「連絡」「相談」についても、
連絡ですよね、要するにホウレンソウ(ビジネス用語)って……。安田尊@報告書を謳うブログ。こんにちは、前回の記事で、【仕事】「ホウレンソウ」できてる?ダメな報連相を解説!と、報連相について報告していて、思ったんですけど……。[…]
↑みたいなことを書いていますが、この記事でも「愚痴」は「連絡」として取り上げました。
つまりこの問題は、こう換言できます。
~「自問⇒自答」~
まずこれが自問自答で、①「自分で質問⇒自分で回答」は完璧に実行できました。
では次に、
~「相談⇒乗る」~
はい、これで②「自分で相談⇒自分で相談に乗る」も完了しました。
最後に、
~「愚痴⇒共感」~
③「自分で愚痴⇒自分で共感」も達成しました。
さて、これで全ステージクリアできたので、次のステージに進めます。
自分の声が自分で聞けて、自分のブログも自分で読めて、自分で自分を慰めることもできるなら、
~NEXT STAGE~
自分で自分を慰めることができる!
~独り言(?)~
↑これが独り言「死にたい……」のときに起こっている現象です。
人は、悩みを吐き出すだけでスッキリする生き物です。
私は人の愚痴を聞くのが好きなんですが、ただぼーっと愚痴を聞いてう~んうんうん唸ったり頷いたりしているだけで感謝されたことが何度あるか知れません。
そこに「他人の知恵によるアドバイスや解決策」が不要なら……。
ただ話を聞いてほしいだけなら、自己完結できるはず。
でも「できる」は「必ずそうする」ではないし、自分の愚痴をだれか他人(あらゆる意味で自分以外だと信じられる人)に聞いてほしいと望む欲求とは矛盾しません。
性欲も処理しようと思えば、自分ひとりのオナニーで処理できますよね?
でも人は、ふたり以上のセックスを求めます。
けどやっぱり、他人を性欲の捌け口にすれば迷惑がられることもあるし、他人とのセックスがめんどくさくなってくることもあるし、
同じように、「死にたい……」なんていうめんどくさい気持ちも、あんまり他人にまき散らさないほうがよさそうです。
精子性欲をあんまり他人にまき散らさないほうがいいのと同じで。
そして、そういうときに自分だけで欲求を発散させて自分を慰めているんだとしたら、
愚痴やストレス発散に実行は不要!
あるいは、だれだって殺したいぐらい憎い人間のひとりやふたり、いる(いたことがある)でしょう。
そして、「死ね」と呟いたり、「殺す」と誓ったことがあるはずです。
でもその誓いは、やはりただのストレス発散であって、ほとんどの場合は実行されなかったはずです。
↑やっぱりこういうことが起きて、ストレスが解消されているはずです。
では、もしもストレスエネルギーが消えず、世界中の人間が「コロス……!!」を解放したら世界はどうなるでしょうか?
そして、もしも世界中の人間が、「死にたい……」も解放したら人類はどうなるでしょうか?
しかし現在、人類が崩壊していないのは、私たちが助け合って生きてきたからです。
「『人』という字は、人と人が支え合って……」みたいな話もあります。
まあそれは嘘っぽいですが、
すなわち、「死にたい……」という独り言は、自分だけを救済するオナニーではありません。
そうやって、だれかが自分だけで勝手に助かってくれているおかげで、人間社会も助かっています。
つまり、
まとめ:自分で自分を守っている!
- 過去の自分が「死にたい……」と呟くとき、現在の自分がその愚痴を聞いている
- 自分は自分の「死にたい気持ち」を完璧にわかってあげられるし、共感ができる
- 自分で自分の「死にたい気持ち」を受け止めることで、自分を慰めて守っている
以上です。
またやってしまいました……。
~前回の記事のハイライト~
しかし、こうして謎の記事を生産する私と、それを反省する私……。
やっぱり私はふたりいるじゃないか!!
いや、ふたりの私を客観的に分析するこの私は、だから3人目……という客観的な分析をするこの私は、だから4人目……という客観的(以下略)、
それを考えるためには、無限の時間が必要っぽいですが、そもそも「無限」が存在するのかどうかさえよくわかりません。
ほらね、バカが「時間」とか「存在」とかに手を出すとろくなことになりません。
以上、明日の私が「時間」とか「存在」に手を出さないことを祈って終わります!
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