バナナがおやつに入るかは、その人のその時の認識次第。
~これまでのあらすじ~
- ご飯、肉じゃが、ポテトサラダ……「いただきます」
- おやつ、お菓子、ポテトチップス……黙ってモグモグ
前回はこれらの不平等を解消し、すべての食事に感謝を捧げるべきであると主張しました。
しかしその夜、あの有名な質問が私の脳裏をよぎりました。
~私のなかの子ども~
- ご飯、肉じゃが、ポテトサラダ……「いただきます」
- おやつ、お菓子、ポテトチップス……黙ってモグモグ
↑この法則をバナナ適用するなら、どうなるでしょうか?
私たちが現在、①ご飯には「いただきます」。
②おやつには(無言)なら、
私たちは、すべての食べ物に感謝を捧げ、紳士に進化するべきかもしれません。
しかしその前に、やるべきことがあります。
バナナ判定士として、バナナがおやつに入るかどうかを記録しておかなければ、紳士になってからでは遅いのです。
バナナはおやつに入りますか?入ります
~私の回想~
~判定結果~
なんということでしょう、私は直近でバナナを食べたとき、「いただきます」をいっていませんでした!!
つまりあの有名な質問への回答はこうです。
~遠足の説明~
こうして私たちは、もういつでも遠足にバナナを持っていくことができます。
仮に遠足のおやつ代が300円までなら、ちょうどスーパーとかで売っているバナナ1房(3~6本入りぐらいの束)が税込み300円ぐらい、安いブランドを選べば1本あたり50円以下に抑えることも可能でしょう。
でもちょっと待ってください、私のおぼろげな記憶では、たしか私が純真無垢な幼少期はバナナにも「いただきます」をいっていたような……。
~幼少期~
ゆってた。
幼少期の頃は、知能が低すぎて逆に、ご飯とおやつの区別がつけられない⇒ご飯とおやつを差別しなかったのです。
しかもバナナの甘美さは完璧で、たとえばニンジンを食べているときにバナナを差し出されると、ニンジンを吐き出してバナナを食べるぐらい好きだったはずです(名馬ビヤハヤヒデのように)。
↑つまりこのように、バナナ大好きキッズは、バナナへの敬愛を忘れていないかもしれません。
しかし先生であるところの私たち汚い大人は、その絶大なエイジズム権力(年功序列)によって、子どもたちを黙らせることができます。
嗚呼、未熟な子どもたちが、その純粋さによって食べ物を差別しない一方で……。
成熟した大人こそが、腐った価値観で、食べ物を差別するとは……。
とはいえ、これは子どもたちにとっても、悪い話ではないはずです。
バナナはお弁当に入りますか?入ります
こうして子どもたちは、またひとつ「大人」になり、バナナに「いただきます」をいわなくなるのでしょうか?
これだから大人は、腐った人間ばかりなのでしょうか?
私の腐り具合なんか、黒光りするバナナに引けを取らないレベルだし、逆にバナナを遠足に持っていけそうです。
- ご飯には「いただきます」をいう
- バナナに「いただきます」をいう
- バナナはご飯である
こうして「バナナ」⇒「ご飯」判定を成功させれば、バナナご飯が完成します。
そして、お弁当はご飯を入れる容器なので、バナナがご飯なら入ります。
むしろ、お弁当には「おやつは300円まで」みたいな謎の風習がないため、
この抜け道を利用して、おやつ予算を削ることなく、遠足にバナナを大量に持ち込むことができます。
これが腐った大人のやり口です。
しかし、子どもたちの世界はまだそこまで腐敗していないため、岐路に立たされるでしょう。
バナナに「いただきます」を言う人か?
ここまでは、子どもとの対比で、「大人はバナナにいただきますをいったりしない」という前提で話を進めてきました。
が、もちろん大人のなかにも、子どものような真摯な気持ちで「いただきます」をいう紳士はいるでしょう。
しかしそんな紳士は、いまの世の中では少数派です。
という嘲笑を、どれだけ受け続け、どれだけ耐え続けることができるでしょうか?
恥ずかしいのは紳士を笑うほうなのに、現実に笑われるのは紳士のほうなのです。
正しい行いをして笑われるなら、正しい行いこそが恥ずかしいのではないか……?
可笑しいのは、バナナに「いただきます」をいうほうなのです。
その瞬間、その紳士にとって、バナナはご飯ではなくなります。
バナナは、「いただきます」をいわなくてもいい、おやつに格下げされます。
あるいは私たちは、時には紳士的な振る舞いが可能で、時には紳士的な振る舞いが不可能なのかもしれません。
同様に、ある時にはバナナはご飯で、ある時にはバナナはおやつなのかもしれません。
もしも、バナナという存在が、人の意識に左右されるなら、
まとめ:バナナの定義なんて自分次第!
- 私たちは、ご飯には「いただきます」で、おやつには「いただきます」をいわない
- バナナに「いただきます」をいうならバナナはご飯、いわないならバナナはおやつ
- バナナはご飯かおやつか?どっちになるかは、その人の意識や認識や態度で決まる
以上です。
なんだか最近、辞書を引いて言葉をガッチガチに定義することばっかりやっていた気がするので、本記事ではやりませんでした。
もちろん、バナナをエネルギー扱いすることと、バナナに感謝することは同時に成り立ちます。
辞書にどう書かれていようと、これが私のバナナ判定であり、バナナ定義です。
日本人最強のメジャーリーガー、大谷翔平氏も、食事は栄養補給扱いしています。
~自炊について~
ソース:野球選手・大谷翔平の時問時答 – SoundCloud – 2022年10月14日閲覧。
以上、バナナをどう判定するかは、自分次第です。
バナナ判定士として、誇りを持って生きましょう!
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