1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365(著:デイヴィッド・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、訳:小林朋則、文響社2018年)を読みました。
~これまでのあらすじ~
というわけで、その③「出版後のニュースにも対応」から再開します。
では以下目次です。
時事「サルマン・ラシュディ」はなぜ刺されたのか
~121日目 | 文学「サルマン・ラシュディ」~
皮肉なことに、ラシュディの名声は、その優れた文筆活動によるのではなく、小説『悪魔の詩』(1988/”The Satanic Verses” 五十嵐一訳 新泉社 1990年)をめぐって起きた騒動によるところが大きい。この小説の一部が、多くのイスラム教徒から預言者ムハンマドに対する冒涜だと受け止められたのである。インド、パキスタン、エジプト、サウジアラビアなどの国では発禁処分となり、暴力的なデモや焚書による抗議が、中東からイギリスまで、広い地域で起こった。1989年初頭にはイランの指導者ホメイニが、ラシュディは処刑されねばならず、全世界のイスラム教徒に彼の居場所を突き止めよと訴える内容のファトワー(法学裁定)を出した。ラシュディは、その後の10年間の大半を、ロンドン警視庁の警官に警護されながら身を隠して過ごした。
『悪魔の詩』騒動の影に隠れがちなのが、ラシュディの最高傑作『真夜中の子供たち』(1981年/”Midnight’s Children” 寺門泰彦訳 早川書房 1989年)だ。この小説の主人公サリーム・シナイは、1947年8月15日、インドがイギリスからの独立を勝ち取り、パキスタンが別の国家として分離独立した、まさにその日の午前0時ちょうどに生まれた。同じ日の午前0時台に生まれた数百人の「真夜中の子供たち」と同じく、サリームにも超能力があり、彼の人生で起こるさまざまな出来事は、若い国家インドそのものの歩みを映し出している。この作品には自伝的な要素が多い――ラシュディ本人もムンバイで1947年に生まれている――が、『真夜中の子供たち』は舞台の多くを架空の土地に設定しており、ギュンター・グラス【訳注:ドイツの小説家。1927~2015。代表作『ブリキの太鼓』】やガブリエル・ガルシア=マルケスなど魔術的リアリズムの先駆者たちの跡を受け継いでいる。この作品によりラシュディは1981年にブッカー賞【訳注:イギリスの文学賞。世界的に権威のある文学賞のひとつ】を受賞した。
ラシュディは、これからも常にホメイニからの死刑宣告と結びつけられていくだろうが、彼の小説は実際には非常に明るく、言葉の独創的な使い方で知られている。その文章は、隠喩や、遊び心あふれるトリックに満ちていて、まるで言葉のジャングルジムのようだ。作中人物は、ラシュディ本人と同じく、現代の移民が直面する経験と、今日の世界で見られる文化の混交とを象徴している。ラシュディは殺すという脅しに屈することなく、今も以前と同じ調子で執筆を続けており、『ハルーンとお話の海』(1990年/”Haroun and the Sea Stories” 青山南訳 国書刊行会 2002年)や『ムーア人の最後のため息』(1995年/”The Moor’s Last Sigh” 寺門泰彦訳 河出書房新社 2011年)などの小説を世に送り出している。
最後は121日目、時事ネタカテゴリ「サルマン・ラシュディ」です。
本当は文学カテゴリですが、本記事では時事ネタとして扱います。
先月2022年8月、
ソース:「悪魔の詩」作者のサルマン・ラシュディ氏、NY州で講演中に首など刺される – BBCニュース – 2022年9月22日閲覧。
本書は2018年出版(日本語版)なので、当然2022年の「サルマン・ラシュディ刺傷事件」には触れていません。
が、なぜこの事件が起きたのかは書いてあるので、
とか、本書を読んでいれば語れたはずですよね。
ニュースが流れたとき、ここまで語れた日本人が何人いるでしょうか?
こうした世界的な大事件、世界的作家と世界宗教の衝突を語れるなら、
- 『悪魔の詩』
- 『真夜中の子供たち』
- 『ブリキの太鼓』
- 『ハルーンとお話の海』
- 『ムーア人の最後のため息』
そして、より深く知りたいなら、これらの作品を読んでいけばいいのです。
あるいは日本人なら、以下のような疑問を抱くことができるはずです。
~『悪魔の詩』をめぐって~
すると、「小説『悪魔の詩』(1988/”The Satanic Verses” 五十嵐一訳 新泉社 1990年)」と書いてあります。
原作者が命を狙われ、世界各国で発売禁止・焚書にされるような本が、日本でも販売されていたのです。
では日本においては、「暴力的なデモ」などは起きなかったのか、訳者の「五十嵐一」で検索すると、
ソース:悪魔の詩訳者殺人事件 – Wikipedia – 2022年9月22日閲覧。
さらに情報を漁ると、ほかにも世界中で、『悪魔の詩』に関連して何十人も犠牲になっていることがわかります。
そうして、
と、知識が深まります。
これこそ、教養が身につく過程でしょう。
そして、そのきっかけである「最初の想像」⇒「教養の第一歩」を得るために、本書は必ず役立ちます。
まとめ:教養か雑学か?評価は自分の学習態度次第
- 本書の「哲学カテゴリ」を読めば、「教養とはなにか?」が考えられる!
- 本書の「文学カテゴリ」を読めば、海外の古典から人生訓までが学べる!
- 本書が出版後のニュースにも対応していることこそ、教養本である証拠!
以上です。
以下総評!
評価: 5.0本書『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』を最後まで読むと、「おめでとう! 一年に及んだ世界の教養の長い旅も、これで終わりだ」と祝福されます。
以上、デイヴィッド・S・キダー『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』の感想でした!
前編と続編はこちら!↓
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