レディ・プレイヤー1(原題:Ready Player One、2018年のアメリカ映画、日本語吹替版)を観ました。
です。
といっても、そんなに深いテーマはたぶんなくて、
を楽しむお祭り映画です。
でも現実大好き人間としては、
に触れないわけにはいかないので、以下でそのへんについて感想を述べます。
では以下目次です。
映画『レディ・プレイヤー1』の簡単なあらすじと要約
本作の舞台は西暦2045年。
みんないろいろな社会問題を放棄して、逃げ場を求めている時代。
現実逃避の行き場として覇権を獲ったのが、2025年に発表された、
でした。
「オアシス」では、想像力の許す限り、大抵のことが現実レベルで体験可能です。
- 自分のアバター(ゲーム内の分身)を自由に設定したり、
- バットマンとペアを組んでエベレストの登頂ができたり、
- 宇宙人のエッチなサービスが受けられるお店に入れたり、
- 戦争したり復活したり結婚したり離婚したり復縁したり、
- ガンダムやメカゴジラに変身したり、波動拳を撃ったり、
自由にプレイできるバーチャル空間、それが「オアシス」です。
ただし、
と説明されるように、現実に処理が必要な行動は「オアシス」では代替できません。
当然、「オアシス」で不老不死の肉体を作ろうが、中の人(プレイヤー)は現実世界では老いて死にます。
その証拠に、「オアシス」の開発者であるジェームズ・ハリデーは、2040年に死亡しています。
その際、死期を悟っていた開発者ハリデーは、「オアシス」のなかに、
を作りました。
さらに開発者ハリデーは、「イースター・エッグ」となる「3つの鍵」を集めたプレイヤーに、全財産を譲渡する「エッグ探しコンテスト」を開催します。
この開発者ハリデーの全財産とは、
- 「オアシス」を開発・運営するグレガリアス・ゲーム社の持ち株(時価5000億ドル)
- 「オアシス」を運営する権利
です。
要するに、漫画『ONE PIECE』風にいうなら、
こうして「オアシス」は、大ガンター時代を迎えます。
なお「ガンター(Gunter)」とは、「(イースター)エッグ・ハンター(Egg Hunter)」の略で、「隠しアイテムを探し出して狩るプレイヤー」のことです。
さらにガンターは、個人プレイヤーに限りません。
現実のほうで世界第2位の大企業、
は、大量の職員を投入して、組織的に「オアシス」攻略に乗り出しています。
IOI社からすれば、グレガリアス・ゲーム社の株と「オアシス」の運営権が手に入れば、圧倒的世界トップ企業に躍り出ることができます。
そのためIOI社は、どんな手段を使ってでも(現実世界で殺人に手を染めてでも)「オアシス」を攻略するつもりです。
しかし、「イースター・エッグ」最初の鍵を手にしたのは、個人プレイヤーでした。
映画『レディ・プレイヤー1』が対比させる幻想と現実
- 主人公「パーシヴァル」のリアル身分、「ウェイド」が早々に特定される
- 主人公ウェイドのリアル住所が爆破攻撃され、叔母さんたちが殺害される
- 主人公と「オアシス」仲間も結局リアルで集結、IOI社とリアルバトルへ
こんな具合です。
この仮想世界と現実世界の入り込み具合は、私ひとりの内部でも賛否両論あります。
『レディ・プレイヤー1』は、特に「オアシス」のCGが見所なので、
と、現実パートがくるたびに私は少しガッカリする思いでした。
しかしその一方で、
と、好感を覚えたのも事実です。
やっぱり悪役とのバトル映画って、肝心なところで悪役がヌルかったりすると冷めますよね。
でもIOI社は、ちゃんと主人公のリアル正体を突き止めて、リアル住所に突撃して親族に確キルを入れるというチート級の悪行を成し遂げました。
ちなみに主人公の両親は、開幕時点で亡くなっている設定です。
さすがに主人公の肉親をリアルで殺害するのは、リアル悪役としても嫌悪感がすごいという判断がうかがえます(しかも叔母さんとそのヒモ男は、死んでもだれも悲しまないようにクズっぽく描かれていました)。
そして主人公がリアル特定されて叔母さんたちがリアル殺害される直前、主人公「パーシヴァル」と、ヒロイン「アルテミス」(本名:サマンサ)がこんな会話を交わしています。
このやりとりからまもなく、主人公ウェイドの叔母さんとそのヒモ男も「リアルで死人」となります。
ここで「リアル」が強調されるのは、幻(「オアシス」)で死んでもコンティニューすればリスタートできるからです。
でも現実(リアル)で死ねば、死者蘇生はできない。
このように、『レディ・プレイヤー1』は、
となっています。
ゲームと現実世界を比較するとゲームが劣っている?
そして映画『レディ・プレイヤー1』のオチは、「オアシス」の運営権を獲得した主人公ウェイドによって、
と、締めくくられます。
ちなみに上記の語りが入っているとき、
しています。
ゲームに青春を捧げたすべての童貞ゲーマーに喧嘩を売るようなこのオチを受けて、結局ゲームは現実に劣る、というメッセージを受け取る方もいるでしょう。
でも私は、特にゲームやゲーマーが蔑ろにされているとは思いませんでした。
その理由として、ここからは次の2点、
- 「オアシス」が現実世界に劣っていない理由
- 「オアシス」の週休2日制が妥当である理由
について述べます。
ちなみに私は、
ですが、この根本的すぎる持論については一旦置いておきます。
ただ、「ゲーム世界も現実世界の一部である」ことが念頭に置ければ、以降の理解も簡単なはずです。
VR「オアシス」とリアルは相互補完関係にある
まずオチの「ハリデーがいったように」というのは、開発者ハリデーの分身(おそらくNPC、プレイヤーがいないプログラムされたキャラクター)のセリフです。
この開発者ハリデーの分身は、主人公「パーシヴァル」がイースター・エッグを完全に見つけた際に姿を現し、
と、問いかけてきます。
ここでいう「美味い飯」とは、文字通りの食事だけを指しているわけではないでしょう。
つまりこういうことです。
このQ&Aは、たしかにゲームを見下していると考えられます。
しかしそもそも、
ことを忘れてはいけません。
ここで主人公ウェイドが、現実世界でヒロインのサマンサに出会ったときのセリフを思いだしましょう。
主人公ウェイドとヒロインのサマンサは、現実世界において、すぐ近くに住んでいました。
でも知り合ったのは、「オアシス」のなかです。
現実に出会えたのは、「オアシス」のおかげです。
ではもし「オアシス」がなければ、ふたりは出会えたでしょうか?
偶然に出会えたとして、「美味い飯」を味わう仲になれたでしょうか?
さらに仮定すれば、もしもふたりが遠く離れた土地に住んでいた場合、「オアシス」なくして意気投合できたでしょうか?
主人公「パーシヴァル」は、IOI社にネット炎上を仕掛けるときの呼びかけとして、
と、語っています。
主人公「パーシヴァル」の仲間、
- ヒロイン「アルテミス」
- 親友「エイチ」
- 仲間「ダイトウ」
- 仲間「ショウ」
全員、現実世界で出会う前に、「オアシス」で知り合って繋がっています。
ここまで並べれば明白なように、
といえます。
だいたい「美味い飯」を現実に味わえるかどうかなんてことは、「美味い飯」を見つけた人間だから考えられる贅沢な悩みです。
でも現実には、周りに「不味い飯」しかない人間も大勢いる。
「餅」はもちろん、「絵に描いた餅」や、「バーチャルな餅」すら見たことも聞いたこともないという人間が大勢いる。
開発者ハリデー自身が語る、
この「現実世界」や「周りの人たち」が、自宅の近所や会社の同僚など、ごく狭い範囲に限られるからです。
でも「オアシス」における「周りの人たち」は、世界中の人たちです。
「オアシス」には、現実の周囲にはない「美味い飯」や「餅」がある。
「オアシス」の居心地がいいとすれば、それはたとえ「絵」や「バーチャル」であったとしても、
にほかなりません。
でも「美味い飯」を見つけたあとは、現実世界に戻らなければリアルな「美味い飯」は食えない。
オンラインで理想の恋人に出会ったあとは、オフラインで会わなければリアルなキスは叶わない。
このことから、
といえます。
人間が「現実世界」と「オアシス」を行ったり来たりすることで、より豊かな人生が生きられる仕組みになっています。
以上の事柄は、私たちが生きる現代社会の「インターネット」や「ネットゲーム」にも同じことがいえますよね。
しかし特に『レディ・プレイヤー1』における現実世界は、実社会単体では人間が生き続けられない環境に衰退しているため、人間にとって「オアシス」はまさに必要不可欠なオアシス(給水所、補給ポイント)です。
したがって、現実世界と「オアシス」は優劣を争う関係になく、対等な共存関係にあるといえます。
VR「オアシス」の週休2日制が妥当である理由
主人公ウェイド自身、「いまいちウケなかった」とするこの改革は、ゲーマーにとっては不満かもしれません。
しかし冷静になって考えてみれば、たかだか週休2日制です。
1週間は7日、そのうち「オアシス」が休みなのは2日。
つまり1週間の配分でいえば、「オアシス」:5日、現実:2日です。
「オアシス」の圧勝ですよね。
なお『レディ・プレイヤー1』の世界では、
と語られるヒロイン「アルテミス」の父親だけでなく、
- 現実世界の街中を出歩きながら、VRゴーグルを装着して「オアシス」をプレイしている人々が大勢いたり、
- 現実世界で会社のオフィスに勤務中、「オアシス」のプレイで発狂して飛び降り自殺を図る社員がいたり、
- 現実世界の引っ越し費用を「オアシス」に全部注ぎ込んで全部失った、アリス叔母さんのヒモ男がいたり、
みんな「オアシス」にどっぷり浸かっています。
要するにデバイスやゲームが進化した結果、
- 「歩きスマホ」
- 「ネトゲ廃人」
- 「廃課金地獄」
といった旧来の社会問題まで進化して、個人の現実生活に支障をきたしているばかりか、現実社会の荒廃に拍車をかけています。
そんな『レディ・プレイヤー1』の世界においては、私たちの世界で週休2日制で働いている会社員が「働きすぎ」だと思っているように、
したがって、主人公ウェイドの「オアシス」週休2日制改革は、まったく健全な試みだといえます。
開発者ハリデー(のアーカイブ)も、「イースター・エッグ」最初の鍵を見つけるキーワードとして、
という重要なセリフを記録しています。
たしかに開発者ハリデーは、「世界」を創りたがっていましたが、あくまで「現実あってのゲームの世界」であって現実世界との逆転までは望んでいませんでした。
しかし開発者ハリデーの意に反して、「オアシス」は人々の生活に浸透しすぎて、逆転現象が起きてしまいます。
この逆転現象を解消するには、「オアシス」のプレイ時間を後退させて、「ただのゲームだった頃」まで「逆戻り」させればいい。
こうして開発者ハリデーの遺志を継いだ主人公ウェイドは、「オアシス」のプレイ時間を規制したと考えられます。
そして主人公ウェイド自身がいっているように、
この「も」は「並立助詞」であり、現実の時間とゲームの時間とが並び立って対等にあるという意味が読み取れます。
たしかにウェイドはゲーム時間を規制しましたが、決してゲームの時間が現実の時間より劣っているから規制したわけではないということです。
まとめ:観たことを後悔しても気にせず楽しめばいい
- 映画『レディ・プレイヤー1』は、VRゲームを通して主人公が成長する物語
- 作中で対比されるゲームと現実(リアル)は、しかし対等な補完関係にある
- 「現実だけ」や「ゲームだけ」ではなく、両方楽しんだもん勝ちってこと!
以上です。
以下総評!
評価: 5.0さて、長々と書き連ねてきましたが、つまるところ映画『レディ・プレイヤー1』の魅力は豪華なCGです。
・Bee Gees『Stayin’ Alive』を選曲するダンスクラブの舞踏シーンや、
・「メカゴジラ」「俺はガンダムで行く」「波動拳」等のオマージュ
以上、映画『レディ・プレイヤー1』の感想でした!