グリーンブック(原題:『Green Book』、2018年のアメリカ映画、日本語吹替版)を観ました。
です。
しかし「コメディ」ジャンルに分類されていたりはするものの、監督がピーター・ファレリー(コメディ畑の監督)なのでクスっと笑えるシーンはありますが、基本的には人間模様を描いたドラマ作品です。
したがって、
はちゃんと描かれていますし、人種差別的な特徴を茶化して笑いを取るようなコメディでもありません。
が、しかし、
と私は思ったので、この点について本記事では述べます。
では以下目次です。
映画『グリーンブック』の簡単なあらすじと要約
本作はダブル主人公であり、毛色のまったく違う男性2人によるバディ・ムービーでもあります。
- トニー・ヴァレロンガ……白人。イタリア系アメリカ人。ナイトクラブの用心棒
- ドクター・シャーリー……黒人。ジャマイカ系アメリカ人。神業ピアニスト
このうち、トニーは無教養で、口も手癖も悪くて、すぐに物を盗んだり暴力を振るったりする黒人差別者です。
具体的には、トニーは黒人について、
と発言したり、黒人が口をつけたコップを洗わずにゴミ箱に捨てたりします(が、一応相手に面と向かって直接的な差別をしないだけの分別はあります)。
一方で、
シャーリーについては、作中のコンサートで略歴が紹介されるため、以下に引用します。
この方の初舞台は、なんと3歳のときでした。
18歳のときには、指揮者のアーサー・フィードラー氏に招かれて、ボストン・ポップス・オーケストラとの共演を果たします。
その傍らで心理学、音楽、典礼芸術の博士号も取得。
またこの14ヶ月で、2度もホワイトハウスで演奏をしたという、まさにピアノ界のバーチュオーソ(イタリア語で「Virtuoso」、日本語で「巨匠」。ソースは日本語字幕版)です。
本作は、この1人目の主人公トニーが、2人目の主人公シャーリーに雇われ、
を片手に、アメリカ南部のディープサウスへ旅立つ物語です。
- トニーに食事の味を質問して、「塩味」とだけ返事があったことについて、「料理評論家になるといい」と皮肉的に褒めるシャーリー
- トニーにフライドチキン(KFC)の食べ方と骨の捨て方を教わって真似するも、ジュースまでポイ捨てしたことは許さないシャーリー
- トニーが妻ドロレスへの手紙を書いていたところ、「脅迫状かと思った」といい、詩的な添削(というかほぼ代筆)を行うシャーリー
そして同時に、
- シャーリーがバーに入ったところ、客の白人たちに絡まれて暴言を吐かれたり殴られたり店主に無視されたり、
- シャーリーが「紳士用」のトイレに入ろうとしたところ、利用を拒否されて屋外のボロトイレを案内されたり、
- シャーリーがテーラー(紳士服店)に入ったところ、スーツの試着も拒否されてまず先に購入を求められたり。
トニーには、シャーリーを差別する白人たちのことが理解できません。
トニーはそんな差別者たちの仕打ちに、反抗的な態度を取ります。
しかしシャーリーは、我慢の必要性を説きます。
とはいっても、我慢にも限界があります。
コンサートツアーのラスト公演、
そこでホテルの支配人は、トニーに賄賂まで提示して、シャーリーを説得させようとします。
トニーは激怒して、ホテルの支配人に掴みかかります。
しかしシャーリーは制止し、演奏を承諾します。
ただし、最終的な決断は、トニーに委ねました。
こうしてトニーとシャーリーは、最後の最後で、コンサートツアーを放棄します。
ツアーの途中放棄は、ふたりの報酬を台無しにすることも意味していましたが、トニーたちはお構いなしにホテルをあとにします。
それからふたりは黒人でも利用できるバー「オレンジ・バード」に入り、シャーリーは無償でピアノソロと即席のセッションまで演じ、大盛り上がりのなか満足して帰路につきます。
途中、またもや警察官に停車を促されて嫌な予感がしましたが、警察官はタイヤのパンクを指摘して修理まで見守ってくれて、世の中イヤなやつばかりじゃないという気がしてきます。
トニーが我が家に帰ると、トニーの家族、友人家族、仲間たちが10人以上集まってパーティ中で、トニーはみんなに歓迎されます。
一方でシャーリーの居城には、シャーリーがひとり孤独に取り残されることに。
シャーリーに学ぶ被差別者のダブルスタンダード
- 自分に甘く、他人に厳しくないか?
- 「品位こそが、すべてに勝る」か?
どちらも、ドクター・シャーリーの言動に対する指摘です。
これは現代の被差別者や社会的弱者とされる人たち、それこそ有色人種にもLGBTにもMeToo運動にもフェミニストにも障害者にも友だちのいない人間にも共通する話題ですが、
という指摘です。
そして自己矛盾を来しているくせに、他人には厳しく正論を吐いたり説教を述べたりする人間が、他人に支持されたり友だちを作れたりするだろうかという問題です(そもそも自分にすら実行できない主張って、本当に「正しい」のでしょうか。「水清ければ魚棲まず」ともいいますが)。
ではまず①、「自分に甘く、他人に厳しくないか?」から始めましょう。
シャーリーは自分に甘く他人に厳しくないか
幼少期から母親にピアノを習い、教会で演奏をして回り、ピアノの腕を買われてレニングラード音楽院(ロシアを代表する音楽家、チャイコフスキーなどを輩出した名門音楽学校)初の黒人生徒へ。
そしてクラシック音楽を専門に学びながら、心理学、音楽、典礼芸術の博士号を取得。
「ドクター」と呼ばれるのも納得の経歴です。
- トニーの話し方、イントネーションから語調から言葉選びまで注文をつけ、特に汚い言葉を禁止したり、
- トニーが賭け事に興じていると、「地べたにしゃがんで、はした金を稼いで得意顔か?」と見下したり、
- トニーがKFCのジュースを飲み干して車の窓から紙コップを投げ捨てると、わざわざ拾いに戻らせたり。
まあ別に、間違ってはいませんよね。
シャーリーのトニーに対する指摘は、至極真っ当、まさに正論、正義感の塊、つまり正義漢です。
で、その正義漢シャーリーがトニーに内緒でなにをやるのかというと、
という大失態を犯します。
ちなみに予備知識として、YMCAの安宿は若い男性客がメイン層であり、アメリカではゲイによる出会いの場・ハッテン場として有名です。
さて、そんなYMCAのプールで公然わいせつに及んで警察に手錠をかけられるシャーリーですが、
トニーは警察官を買収し、シャーリーの逮捕を見逃してもらうことに成功しました。
もし買収が失敗していれば、コンサートツアーは中止、シャーリーの同性愛まで世間に公開処刑されていたかもしれません(もちろん同性愛も、当時から差別対象でした)。
しかしシャーリーは、そんな窮地から救ってくれたトニーに対して、不満タラタラです。
このあともグチグチグチグチグチグチ、シャーリーは感謝の言葉も買収以外の解決策も提示せずに、文句を言い続けます。
いや、マジで他人に厳しすぎない?
そして自分に甘すぎない?
買収はナシで、買春はアリか??
「買春」は明確には描写されていませんが、時代背景や土地柄や逮捕リスク(実際、シャーリーの相手をした白人男性も全裸逮捕されるはめになっている)やシャーリーの資産や黒人と白人の組み合わせを考えれば、金銭の受け渡しが脳裏をよぎるのは自然なことです。
「邪推はナシ、描かれていることだけを考慮する」としても、買春を疑われるような淫らな行為には及んでいるし、全裸逮捕されている状況は言い逃れ不可能です。
という。
なお後述しますが、シャーリーは不当な逮捕には強く抗議する人物として描かれる一方で、ここではなんら抗議をする様子が見られません(むしろ警察官のほうから弁護士への連絡を要請しているのに、ダンマリでした)。
つまり、
と考えられます。
その上で「買収はない」とするなら、もうそのまま潔く逮捕を受け入れるしかありませんが、実際はトニーの「買収」に便乗して逃走する矛盾。
自分(シャーリー)が警察に捕まるような下品なことしてんだったら、他人(トニー)が下品なことしてても多少は見逃せよって、私なら思います。
「正論をいう人間は嫌われる」とよくいいますが、嫌われ者の自称正論人間って、だいたい正論を吐きながら自分のクリティカルな悪行は棚上げしているクズなだけではありませんか?
シャーリー「品位こそがすべてに勝る」は嘘
トニーが警察官を殴った理由は、警察官に車を止められ、シャーリーとともに侮辱的な扱いを受けたからです。
警察官はいいます。
だから警察官は、車内のシャーリーを見つけるや否や、犯罪者を見る目で見ました。
そして土砂降りの雨のなか、トニーたちに車内で対応することも許さず、車外へ出るように命令して免許証や身分証を確認すると、
この直後、トニーは警察官をぶん殴りました。
それでトニーは暴行罪で、シャーリーは「黒いのが暗くなってから出歩いた」罪で留置所送りになります。
この不当逮捕にシャーリーは強く抗議し、弁護士への電話を要求し、ある人物に電話をかけます。
それから、トニーにお説教を始めます。
いやあ、ご立派な演説ですね。
で、このあと警察署に電話がかかってくるんですが、下っ端の警官では対応できずに警察署長が対応します。
以下はその警察署長の反応です。
シャーリーが電話をかけた相手は、アメリカ合衆国司法長官、ロバート・ケネディ(アメリカ合衆国大統領、ジョン・F・ケネディの弟)でした。
つまり、ドクター・シャーリー⇒ロバート・ケネディ⇒州知事⇒警察署長というルートで要請が伝わり、トニーたちは即時釈放されました。
で、
シャーリーを助けた州知事、普通に「州兵の動員」をチラつかせて警察署長を脅してますけど……。
「州兵」って軍隊だし、軍隊は人間が誇る最大級の「暴力」です。
たしかにシャーリーがやったことは、優雅に電話を1本かけただけ。
でもその電話で、州知事や州兵に「暴力」の肩代わりを依頼するはめになっているのに、
私はこういう、自分の手を汚さずに清廉潔白アピールをしながら、じつは他者に汚れ仕事を肩代わりさせているだけのクズが本当に大嫌いです。
本作中2度にわたる警察沙汰で、シャーリー自身やその「品位」が役に立ったことなんか1度もないし、問題解決を他人に丸投げしながら綺麗事や文句だけはご立派な口だけの他力本願人間でしかない。
そしてここで、シャーリーの代わりに警察の横暴を制した「他力」とは「暴力」であり、だから私には、
ようにしか見えませんでした。
結局ここで起きたことは、暴力の応酬。
ついでにいえば、当時その州兵に勝るアメリカ軍の最高司令官は、アメリカ合衆国大統領だったジョン・F・ケネディ。
では現実でジョン・F・ケネディはどうなったのかというと、大統領在任中にライフル銃で狙撃されるという「暴力」を受けて、暗殺されました(その後、弟のロバート・ケネディも銃撃による暗殺で死亡しています)。
まとめ:必要なのは勇気か信念か寛容さか積極さ
- 映画『グリーンブック』は、黒人シャーリーと白人トニーが、人種差別の現実を見る成長物語
- トニーはシャーリーから知見を学び、シャーリーはトニーから自己中を学ぶ友情物語でもある
- 被差別者シャーリーの言動は自己矛盾を孕むものの、そこまで計算して描いているならお見事
以上です。
以下総評!
評価: 5.0映画『グリーンブック』は、コメディ色で緩和しつつ、人種差別や被差別者の孤独を描ききった良作です。
シャーリー「私の住所なら向こうも知ってる」(から私と文通したければ向こうから手紙を出すはずだ)といって、疎遠になった兄弟への手紙を出さない自分を正当化する。
トニー「それより……寂しいときこそ思い切って一歩踏み出せよ」
以上、映画『グリーンブック』の感想でした!