バッド・ディシジョン 終わりなき悪夢のはじまり(原題:『Bad Samaritan』、2018年のアメリカ映画、日本語吹替版)を観ました。
空き巣を働いている移民のクズが、金持ちクソ野郎の家に侵入! すると女性が監禁されているのを発見!! でも警察に通報しても移民のクズだから相手にされなくて、自分で助けるしかない!!! って感じの物語
です。
っていうのは表向きのストーリーで、本当は、
本当に人を助ける「善き隣人」とは、どういう人間のことか?
ってことを、「悪しき隣人」を描くことで、表現している作品
です。
したがって、本作の評価は、以下の2点をクリアできるか否かによって大きく左右されます。
- 本作の提示する「善き隣人」像を読み取れるか?
- 読み取ったメイン・メッセージに共感できるか?
私はもちろん、本作は最高の映画だと断言します。
ただし開幕だけ少し取っつきにくいというか、いきなり少年が馬を虐待して射殺するし、ダメそうなカップルがポルノを作成しだすしでどうなることかと思いました。
でもちゃんと伏線を回収していって、終盤にピークを持ってきて終わってくれたので、終わり良ければすべて良し!!
というわけで本記事では、映画『バッド・ディシジョン 終わりなき悪夢のはじまり』のあらすじや要約や感想を述べます。
では以下目次です。
本記事は、映画『バッド・ディシジョン 終わりなき悪夢のはじまり』の詳細なネタバレを含みます。ご注意ください。
映画『バッド・ディシジョン』の簡単なあらすじと要約
映画『バッド・ディシジョン 終わりなき悪夢のはじまり』の要約は、空き巣を働いている移民のクズが、金持ちのクズの家に侵入! すると女性が監禁されているのを発見!! でも警察に通報しても移民のクズだから相手にされなくて、自分で助けるしかない!!! って感じの物語です。
本作の主人公はショーン・ファルコ、アメリカで暮らす20代の移民男性、カメラマン志望。
この主人公ショーンは、芸術分野に興味があり、商業カメラマンを嫌悪しているせいで貧乏暮らしです。
たとえば恋人ライリー・シーブルックや、仕事の話を持ってきた義父とはこんな感じで話します。
ビジネス重視のこの国じゃ、なにをやっても、俺の芸術的才能は殺される
ギラギラの照明を当てて、チキンとかタコスの写真を撮るって仕事だろ? 悪いけどパス
それでカメラでは食っていけない主人公ショーンは、レストランで駐車係(バレーパーキング。ホテルやレストランの前でお客の車を預かって入出庫の代行運転をするサービス)のアルバイトをしています。
その一方で、バイト仲間で同じく移民のデレクと共犯で、
金持ちっぽいお客から車を預かったときには、そのまま備え付けのカーナビで金持ちの自宅に突撃し、
空き巣を繰り返していました。
するとある日、「超金持ちのクソ野郎」ことケイル・エレンドレイクの住居で、頭から血を流し猿ぐつわを噛まされて監禁されている若い女性ケイティを発見!!
しかし監禁女性ケイティは、全身を革の拘束具や鍵付きの鎖で椅子と床に繋がれており、救出は困難でした。
さらに監禁部屋には遠隔操作ができる監視カメラがあり、バイト仲間デレクからは、クソ野郎ケイルの食事が終わったと連絡があります。
主人公ショーンは、急いでガレージから鎖を切断するボルトカッターを持ち出しますが、そこで殺人や解体や証拠隠滅を行うような器具と薬品が取り揃えられた部屋も見つけて動揺します。
しかしそれでも監禁部屋に戻ると、部屋の明かりが点灯している……遠隔操作を受けて監視カメラが作動している……。
時間切れを悟った主人公ショーンは、クソ野郎ケイルの愛車に乗ってレストランに引き返しますが、そのとき持ってきてしまっていたボルトカッターを車内に隠します。
そしてクソ野郎ケイルに愛車を返すと、
主人公ショーンは、公衆電話から匿名で警察に通報。
するも、クソ野郎ケイルは、自宅に帰るなり目ざとく侵入者の存在に気がつきます。
それからクソ野郎ケイルは、万が一に備えて知人女性を自宅に呼び寄せ、警察のパトロールをかわすことに成功。
一方通報に失敗した主人公ショーンは、今度は匿名ではなく、直接警察署に駆け込んで監禁女性ケイティの救出を訴えます。
が、主人公ショーンの経歴がクズすぎて、なおかつクソ野郎ケイルの偽装工作が一枚上手で相手にされません。
主人公ショーンはFBIにも捜査を依頼しますが、手応えはありません。
一方、クソ野郎ケイルは、自宅周辺を映す監視カメラの映像から主人公ショーンを特定すると、
- 主人公ショーンの車両にGPS装置を仕掛けて自宅住所を特定
- 主人公ショーンの自宅からノートPCとカメラのデータを窃盗
- レストランの店長を脅迫してバイト仲間デレクを解雇させる
- 主人公ショーンのFacebook系SNSアカウントに不正ログイン
- 恋人ライリーのアカウントへ誹謗中傷を送ったあと関係解除
- 恋人ライリーのポルノ画像を知人友人アカウントへ一斉送信
- 主人公ショーンの義父を備品窃盗容疑の濡れ衣で解雇させる
- 主人公ショーンの母親を児童虐待容疑の濡れ衣で停職させる
- 恋人ライリーを襲撃して階段の下まで叩き落として病院送り
- バイト仲間デレクを襲撃してバットで叩きのめして銃で射殺
- バイト仲間デレクの家族も殺害して一家3人無理心中に偽装
といった報復行動に出ます。
主人公ショーンは焦り、クソ野郎ケイルの家にふたたび侵入、クソ野郎ケイルの愛車に備え付けられたカーナビから隠れ家っぽい山奥の私有地を発見します。
一方クソ野郎ケイルは、監禁女性ケイティを、隠れ家である山小屋で殺害しようと準備中。
そこへ主人公ショーンが、クソ野郎ケイルの愛車と車内にあったボルトカッターを武器に乗り込み、監禁女性ケイティを再発見!!
するも、主人公ショーンはクソ野郎ケイルに背後を取られ、シャベルでタコ殴りにされてあっけなく拘束されます。
それからクソ野郎ケイルは、監禁女性ケイティを外へ連れ出し、埋葬用の穴の前に立たせて銃を構えます。
そして気絶していた主人公ショーンを目覚めさせると、目の前で監禁女性ケイティを銃で撃って埋葬用の穴へと葬りました。
その頃、FBIもクソ野郎ケイルの正体や犯行に気づき、隠れ家がある山の前まできていました。
が、FBIは令状がないと私有地には入れず、山の前で待機するだけです。
クソ野郎ケイルは、勝ち誇った表情で、主人公ショーンを次の「遊び相手」(監禁&調教対象)に選びました。
でもクソ野郎ケイルが、主人公ショーンにぺちゃくちゃぺちゃくちゃ犯行を自供したりマウントを取ったりしている間に、じつは撃たれただけで生きていた監禁女性ケイティが穴をよじ登って脱出。
監禁女性ケイティは、クソ野郎ケイルの後頭部をシャベルでぶっ叩いて昏倒させます。
人を助けにきたんならこのくらいしなさいよッッッッ!!!!!!!!
監禁女性ケイティは、主人公ショーンを怒鳴りつけると、ショーンの拘束を解きます。
すべてが終わったあと、FBIが山に入ってくると、主人公ショーンは呟きます。
やっときた……遅すぎるけど……
FBIが隠れ家に突入すると、そこにはボコボコにされたクソ野郎ケイルが、革の拘束具や鎖で椅子に固定されて猿ぐつわを噛みしめているのでした。
主題「人を助けにきたんならこのくらいしなさいよ!」
以上が映画『バッド・ディシジョン 終わりなき悪夢のはじまり』のあらすじで、めでたしめでたし……
ではなくて、全然めでたくありません。
たしかに主人公ショーンは、監禁女性ケイティを救出したし、クソ野郎ケイルに復讐を果たしました。
「目には目を、歯には歯を」(ハンムラビ法典、旧約聖書、新約聖書)……シャベルにはシャベルを、監禁には監禁を、最後には見事やり返しました。
でもハッピーエンドか? といわれると、
全然ハッピーエンドではありませんよね。
本作はタイトル通り、バッドエンドです。
本作のタイトルは、
- 邦題『バッド・ディシジョン』(Bad Decision)⇒「悪い判断」
- 原題『Bad Samaritan』⇒「悪しき隣人」
と、翻訳できます。
あるいは、
人を助けにきたんならこのくらいしなさいよッッッッ!!!!!!!!
と、翻訳できます。
どうせクソみたいな邦題を付けるなら、もうこの一言をタイトルに据えたほうがいいぐらい、これが本作のメイン・メッセージです。
この一言を強調したかったがために、1時間40分も費やしたといってもいいでしょう。
つまり、わざわざ助けてあげた監禁女性ケイティに、
人を助けにきたんならこのくらいしなさいよッッッッ!!!!!!!!
と叫ばれた主人公ショーンこそが、「悪い判断」をした「悪しき隣人」です。
さてしかし、この「悪しき隣人(Bad Samaritan)」を理解するためには、予備知識として「善きサマリア人(Good Samaritan)を知る必要があるため、以下で軽く解説しましょう。
原題『Bad Samaritan』とは「善きサマリア人のたとえ」
ある律法学者(ユダヤ人)が、イエス・キリストに訊ねました。「なにをすれば永遠の生命を授かれるでしょうか?」
イエスは答えました。「律法にはなんと書かれていますか」
律法には、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ」、「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」と書かれています
それが答えです
しかし、「あなたの隣人」とは、具体的にはだれのことですか?(まさか、ユダヤ人やユダヤ教徒以外も含むのですか?)
ある怪我人(ユダヤ人)がいました。怪我人は強盗に襲われ、身ぐるみを剥がされ、半殺しにされて道ばたに放置されていました。そこへひとりの司祭(ユダヤ教徒)が通りかかりましたが、司祭は怪我人を無視して通りすぎました。次に別のレビ人(ユダヤ教徒)も通りかかりましたが、レビ人も怪我人を無視して通りすぎました。しかしあるサマリア人(サマリア教徒、ユダヤ人から迫害を受けている被差別者)が通りかかると、サマリア人は怪我人を憐れんで介抱し、家畜に乗せて宿屋まで運びました。そして宿屋の主人に怪我人の治療を頼むと、治療代も支払いました。さて、司祭とレビ人とサマリア人のうち、怪我人の隣人はだれですか?
怪我人を助けた人(サマリア人)です
それが答えです
上記は、『善きサマリア人のたとえ』と呼ばれる、キリスト教の教え(新約聖書、ルカによる福音書)を簡略化したものです。
この『善きサマリア人のたとえ』は、善きサマリア人を「隣人愛」のお手本として説いています。
ユダヤ人はサマリア人を差別している、それなのにサマリア人がユダヤ人を助ける道理があるだろうか?
もしもサマリア人がユダヤ人を助けたことが知れれば、サマリア人の仲間からはどう思われるだろうか?
といった損得勘定を抜きに、善意の真心でユダヤ人を助けたサマリア人こそが、「善き隣人」なのです。
そして、「善きサマリア人のたとえ」は、英語で「Parable of the Good Samaritan」です。
したがって、「Good Samaritan」⇒「善き隣人」。
ということは、「Bad Samaritan」⇒「悪しき隣人」ですよね。
本作『バッド・ディシジョン 終わりなき悪夢のはじまり』(原題:『Bad Samaritan』)は、だから「悪しき隣人」を描いています。
そして「Samaritan(サマリア人)」というときには、怪我人を助けるか見捨てるかが、善悪の判断基準でした。
「善き隣人」は、怪我人を見つけたとき、怪我人を見捨てないで助ける人間。
「悪しき隣人」は、その逆……怪我人を見つけたとき、怪我人を見捨てる人間。
それでは、本作の主人公ショーンは、監禁女性ケイティを見つけたとき、どうしたでしょうか?
見捨てましたよね。
主人公が「悪しき隣人(Bad Samaritan)」である理由
いや、主人公ショーンは監禁女性ケイティを見捨てていないし、実際救出に成功してるじゃん。まず拘束具を切断するためにボルトカッターを持ち出したし、次に警察に通報もしたし、FBIにまで捜査を依頼したじゃん
という考え方もありますが、正確にはボルトカッターは使わなかったし、警察には悠長に匿名の通報、さらには警察署やFBIを次々訪問って、
女性が血だらけで監禁されているのに、そんなにゆっくりしてていいの??
ってことです。
ダメですよね。
つまり見捨てているんです。
人を助けにきたんならこのくらいしなさいよッッッッ!!!!!!!!
という、「このくらい」⇒「人助けに必要なレベル」に、全然達していないんです。
具体的に言い換えるなら、
本当に人を助ける気があるなら、おまえがクソ野郎ケイルを初手でぶっ叩いて再起不能にしておけば、こんなに被害は拡大しなかったんだよ!!
おまえの家族も職を失わなかったし、おまえの恋人も襲われなかったし、おまえのバイト仲間もその家族も死ななかったんだよ!!!!
一刻一秒を争うときにチンタラしてんじゃねえぞ、使えねえクソボケチンカスゴミ愚図が!!!!!!!!
ってことを、この映画はいっています。
本当にそうだよね。
マジでそのとおり。
ほんとそれ。
だから主人公ショーンの最善手は、レストランの前でクソ野郎ケイルに愛車を返すとき、クソ野郎ケイルの後頭部をいきなりぶん殴ることでした。
ボルトカッターで。
そのために主人公ショーンは、神(創作者)の手によって、ボルトカッターを車内に持ち込んでいました。
そのボルトカッターは、表向きは監禁女性ケイティの拘束具を切断するための工具で、だけど時間切れで使えなくて車内に持ち込んでしまった……というふうに描かれますが、じつは違います。
(本当に人を助ける気があったら)レストランの前で使えたよね? そのボルトカッター
という意味で描かれています。
そこでボルトカッターを使ってクソ野郎ケイルをぶん殴っていれば、だれにも邪魔されずに監禁女性ケイティを救助できたでしょ?
でもそうしなかったから、ボルトカッターの出番は終盤までお預けになった(そしてクソ野郎ケイルを倒すときでさえ、ボルトカッターが使われなかったのは、もう使いどころを逃してしまったから)。
そうしてチャンスを逃した主人公ショーンは、匿名で警察に通報したあと、自分の車に乗ってクソ野郎ケイルの家の近所に駐車して様子をうかがいます。
やがて警察が到着して、クソ野郎ケイルの家を訪問すると、ケイルとケイルが呼んだセフレ女が出てきて対応する。
警察はクソ野郎ケイルとセフレ女の言い分を信じて、家の中に入りもせずに帰る。
主人公ショーンは、警察が帰る様子を察知すると、こう叫ぶ。
なにやってる! おまえらアホかよ!!
↑おまえだよ……おまえが最初にクソ野郎ケイルを見逃したからこうなってんだよ、アホなバッドサマリタン。
そのあと主人公ショーンは、バイト仲間デレクに「女に電話を渡せばよかった……」といわれて発狂して、
おまえにいわれなくても100万回はそう自分を責めたさ! パニックだったんだ!! ガレージで、殺人に使うような道具を見てビビって、そんで……逃げ出すっていう、人生最悪の選択をした!!
と言い訳をしますが、監禁女性ケイティに電話を渡しても確実ではなく、結局は(主人公ショーンがそう疑われたように)イタズラ電話として処理された挙げ句クソ野郎ケイルに見つかって取り上げられて終わっていた可能性も高い。
だから確実なのは、主人公ショーンが自分で手を下すことだった。
次善策としては、警察官が帰りそうになった瞬間に出て行って、
- 監禁女性がいることを必死で訴えたり、
- ガレージへ凸って殺人道具を暴いたり、
行動するべきだった。
クソ野郎ケイルが証拠隠滅に使えた時間は、帰宅直後に呼んだ警察対策のセフレ女が到着するまでのわずかな時間(あるいはセフレ女が共犯だと仮定しても、主人公ショーンが通報してから警察到着までのわずかな時間)で、
- 監禁女性を隠す時間、
- 拘束道具を隠す時間、
- 殺人道具を隠す時間、
その他あらゆる物的証拠を完璧に隠す時間はなかったはずです。
それなのに、主人公ショーンは警察が帰るところを間近で観察しながら、
なにやってる! おまえらアホかよ!!
と、車内で独り言を叫んで警察官をお見送り。
マジでおまえがなにやってんの……? スポーツ観戦でもしてるの??
だからおまえはバッドサマリタン、クソ隣人なんだよ!!
まとめ:「善き隣人(Good Samaritan)」の勇気と覚悟
それではおさらいも兼ねて、ここまでの要点を3点でまとめます。
- 映画『バッド・ディシジョン』は、小悪党が犯罪中、別の巨悪に遭遇して正義に目覚める話
- というのは表向きで、じつは「悪しき隣人」を描くことで、本当の善や正義を問いかける話
- 本当に善人なら、恐怖や評判や財産よりも、善行を優先する。あなたに同じ勇気はあるか?
以上です。
以下総評!
このエリアにレビュータイトルを記入します。
安田尊@スタンディングオベーションを謳うブログ。
評価: 5.0映画『バッド・ディシジョン 終わりなき悪夢のはじまり』は、原題『Bad Samaritan』⇒「悪しき隣人」を描いた作品でした。
本作における「悪しき隣人」の筆頭は、もちろん主人公ショーンです。
が、通報があったのに事件発覚に努めない警察、令状がなければなにもできないFBIも、「悪しき隣人」の一員として描かれています。
本当に人助けをする気があるの?
本作が投げかけてくるテーマは、とても興味深いです。
その一方で、偽の悪役でしかないクソ野郎ケイルも、ニセモノなりに頑張っていました。
もしかして、クソ野郎ケイルの勝利エンドもあるのか……? と、脳裏をよぎったぐらいです。
だって本作のタイトルに、「終わりなき悪夢のはじまり」って書いてありますからね。
つまり主人公ショーンの力及ばず、ショーンの監禁調教エンドもありえると思いました。
クソ野郎ケイルは、それまでにちゃんと、暴力性や残虐性をアピールしていたからです。
ちゃんと主人公ショーンの恋人ライリーを病院送りにしたし、バイト仲間デレクとその家族を虐殺しました。
悪者ならこのくらいしなさいよッッッッ!!!!!!!!
と、私がヌルい映画を観るたびに思っていることを、ちゃんとやっている。
評価に値しますよね。
そして結末としては、主人公ショーンがクソ野郎ケイルを倒して終わったわけですが、悪夢が終わったのかというと終わっていない。
偽の悪役を倒したところで、恋人もバイト仲間も周囲からの信用も、失ったものはもう戻らない。
真の悪役は、「悪しき隣人」たる過去の自分で、過去の失敗はもう取り返しがつかない。
その過去の失敗が引き起こした悪夢は、だからもう終わらないし、終われない。
さて、私たちは、主人公ショーンと同じ失敗や過ちを繰り返してはいけません。
わざわざ苦労して助けてあげた相手に、
「人を助けにきたんならこのくらいしなさいよッッッッ!!!!!!!!」
などと、叱責を受けるのはごめんですよね。
だから私たちは、私たちの代わりに叱られてくれている主人公ショーンの姿を、心に刻むべきです。
まったく、人助けも大変ですが、ヌルいことをいっている場合ではないのです……バッドになりたくなければ。
以上、人助けランキング世界最下位(CAF:World Giving Index 2021)の日本人がお送りした、映画『バッド・ディシジョン 終わりなき悪夢のはじまり』の感想でした!