復讐者のメロディ(原題:『A Bluebird in My Heart』、2018年のフランスとベルギーの合作映画、日本語字幕版)を観ました。
仮釈放中の犯罪者おじさんが、宿泊先のモーテルを経営するシングルマザーやその娘と知り合い、母娘を助けたり助けられたりするフィルム・ノワール(犯罪映画)
です。
なんか最近、邦題(今回の場合『復讐者のメロディ』)を頭に入れてから映画を再生すると、本編冒頭で、
A BLUEBIRD IN MY HEART(直訳:私の心のなかの青い鳥)
みたいなセンチメンタルなタイトルが表示されて、パッケージは銃を持った渋いおっさんなのに、本編冒頭では思春期の少女がタバコ(と思ったけど改めて見たらマリファナかもしれない)を持って憂鬱そうにしているし、
あれ、なんか私違う映画観てない……?
って不安になって一時停止してタイトルを再確認するはめになるので、余計なこと(安易な改題)するな感が強くなっています。
本作は、『復讐者のメロディ』というと、単純な復讐モノに見えます。
でも『A Bluebird in My Heart』だと、「青い鳥」は、昔から「幸福の象徴」とされています。
では、この作品「私の心のなかの青い鳥」における、
「私」とはだれで、「青い鳥」とはなにを指しているのか……?
- 犯罪者おじさん(ダニー)
- 少女(クララ)
私の結論としては、主人公の「私」は犯罪者おじさんのダニーです。
そしてダニーの「心のなかの青い鳥」は、一言で表現されています。
あなたが殺したのね
見過ごせと?
というわけで本記事では、映画『復讐者のメロディ』の感想と解説と、必要な部分のあらすじを述べます。
では以下目次です。
映画『復讐者のメロディ』の簡単なあらすじと要約
映画『復讐者のメロディ』の要約は、仮釈放中のおっさん犯罪者が、宿泊先のモーテルを経営するシングルマザーやその娘と知り合い、母娘を助けたり助けられたりするフィルム・ノワール(犯罪映画)です。
本作の主人公は、ヒゲもじゃで両腕にタトゥーとかが入っている中年白人男性、ダニー。
主人公ダニーは、元受刑者で、仮出所後にモーテルで部屋を借りる。
モーテルを経営している女主人は、シングルマザーのローレンス。
女主人ローレンスには、一人娘の少女クララがいる。
少女クララの父トニーは、刑務所に服役中。
少女クララは、父と会いたいと思っているけど、もう3ヶ月も面会できていなくて傷つく(なんだか、ママがクララとパパを会わせたくないか、パパがクララと会いたくない感じがする……)。
クララの孤独を癒やしてくれるのは、タバコや、麻薬の売人がくれるマリファナだけ。
そんなとき、主人公ダニーが、女主人ローレンスとその娘クララのモーテルにやってくる。
ダニーは、女主人ローレンスから、モーテルの水漏れ修理を頼まれたり壁全体を修繕したりと仕事をこなす。
少女クララは、父と同じ受刑者であるダニーに近づいて、父の情報を探ろうとする。
でもダニーは、クララの父とは面識がない。
ダニーとクララが歩いていると、1匹の野良犬がいて、クララは毎日見かけるその犬を手なずけようとする。
でもダニーは、「無駄だ」という。
野良犬は、クララが近づくと逃げる。
ほらな 言ったろ
なぜ逃げるのかしら?
信用してないからだ
夜、ダニーは女主人ローレンスと話して、ローレンスの夫がローレンスたちを捨てるつもりだと知る。
ローレンスの夫トニーは、刑務所で若い女講師と知り合い、出所後はその女と一緒になる。
後日、ダニーは中華料理店で仕事を見つけ、皿洗いや故障している食洗機の修理をこなす。
ローレンスは、少女クララに、夫であり父であるトニーがもう帰ってこないことを告げる。
~その日の夜~
少女クララは、麻薬の売人にレイプされる。
クララの悲鳴を聞いて駆けつけ、麻薬の売人を追い払ったのは、ダニーだった。
翌日、ダニーはローレンスにクララの様子が変だと相談されるが、クララが「ママには言わないで」と泣いて頼んでいたので黙っている。
さらに翌日、
ダニーの働く中華料理店の客席に、クララをレイプした麻薬の売人がひとりで座っている。
ダニーは、麻薬の売人が車に戻ったところを襲撃して、殴る蹴るの暴行を30発ぐらい加えて再起不能にする。
それから、麻薬の売人を車ごと、ホームレスしか住んでいなさそうな場所で燃やす。
夜、モーテルに戻ったダニーは、ローレンスから警察の訪問があったことを告げられる。
ダニーは、クララがレイプされたこと、レイプ犯は殺害したことを白状する。
ローレンスは「警察に行くべきだった」と怒り、ダニーは「警察に話せばいい」とやり合うが、結局ローレンスも黙っていることに決めた。
それからダニーは、クララのエイズ検査に付き添って陰性を証明したり、
野良犬や、中華料理店のオーナー女性とも親しくなったりと、周囲から「信用」を得る。
しかしある日、ダニーの仕事場にホームレスとギャングがやってくる。
ホームレスは、ダニーが麻薬の売人ごと車を燃やした現場の目撃者だった。
ギャングは、ダニーに対して、麻薬の売人が車に積んでいたドラッグの代金を請求する。
ダニーは、殴りかかってきたギャングたちを返り討ちにして、撃退する。
ギャングは報復として、ダニーを銃で襲撃するが、ダニーはこれも返り討ちにしてギャングを殺す。
しかし街中では、すでにパトカーのサイレンが鳴り響いていて、仮釈放中の身なのに殺人容疑で逮捕されればダニーの人生は終わる。
だからダニーは、足首のGPS追跡装置を銃で破壊して、逃走を決意する。
ダニーが走って逃げた先に、車で回り込んでいたのは、ローレンスだった。
ローレンスは、ダニーを車に乗せて、逃走を手助けする。
~翌朝~
無事に逃げきったダニーは、ローレンスからコートを受け取って羽織り、少し嬉しそうにしたあと別れる。
クララは、空を見上げて、飛行機雲を描く機体を眺める。
それから、中華料理店で、父トニーと再会する。
野良犬とも仲良くなる。
犯罪的!おっさんの皿洗いがこんなに映えるのか?
以上が、映画『復讐者のメロディ』のあらすじですが……あらすじを書いているときの無力感がすごい。
本作の魅力は、あらすじを書いたり読んだりしてわかる類いのものではありません。
映像の美しさ、哀愁漂う雰囲気、雰囲気を盛り上げる音……まさに、
映画館で観たかった映画。
主人公は淡々としているし、奇抜なアイデアもないし、派手なシーンもほとんどありません。
でも、おっさんが清掃や皿洗いをしているシーンだけでも、本当にすごい絵になっている。
いや、こんなにカッコイイ皿洗いある?
皿洗いがこんなにカッコイイんだったら、男はみんな飲食店でバイトしたがるでしょ
ってぐらい、これまで見たどの皿洗いよりも犯罪的にカッコイイ。
いわゆる、「職人気質」的な格好良さ。
でも、やっていることは、学歴も職歴も資格も不問で未経験歓迎の時給1000円もなさそうな皿洗いという……(一応主人公は、水漏れの修理や壁の修繕や、食洗機の故障を直せたりもする謎の職人スキル持ちですが)。
で、そんな皿洗いをしているだけでカッコイイおっさんが、犯罪者で復讐者。
しかも、自分や身内の被害に対する復讐ではなく、知り合ったばかりの少女が受けた被害に対する復讐。
さらにいえば、別に被害者もその親も、復讐を望んでいない。
レイプ被害に遭った少女クララは、ダニーに、復讐を依頼したり願ったりはしていない。
クララの親ローレンスなんて、娘のレイプ被害に気づいてさえいなかった。
つまり主人公ダニーが、勝手に犯人を見かけて、勝手に犯人を殺しただけ。
動機は、
あなたが殺したのね
見過ごせと?
これだけ。
自分が見過ごせないから、殺した……まさに自己中、クララのためというより、見過ごせないと思う自分のためにやっている。
しかし、その自己中心的な、自分に素直で正直に生きる気持ちこそが、
「私の心のなかの青い鳥」なのではないか?
キーワードは「私の心のなかの青い鳥」と「信用」
主人公ダニーの「青い鳥」は、ダニーの「心のなか」に棲んでいるので、他人には理解が難しい感覚です。
だから、ダニーの「青い鳥」を垣間見たクララの母ローレンスは、半泣きで怒ります。
警察に行くべきだった!
レイプ犯を突き出すべきだったのよ!
実際、ダニーは身勝手なクズで、「だれにも理解されないけど正義のために人知れず戦っている孤独なヒーロー」とかではありません。
普通に犯罪者だし、普通に短絡的なクズです。
まだそこのところをよく理解していなかった私は、ダニーがレイプ犯の車に乗り込み、運転席に座るレイプ犯の顔面をぶん殴ったときに思いました。
嗚呼、これは……2~3発殴って、警告だけして見逃すやつだ……それで見逃したばっかりに、やり返されて、やり返して、復讐が復讐を生むくだらない連鎖の始まりパターンだ……だから復讐をするときには、ちゃんと初手でトドメを刺して終わりにしなきゃダメなんだよ……
と、私の心のなかの青い鳥がさえずっていたら、ダニーが暴行をやめませんでした。
ダニーは、レイプ犯の顔面を殴って、殴って殴って……殴って殴って殴って殴って殴って、膝蹴り膝蹴り膝蹴り膝蹴り膝蹴り膝蹴り膝蹴り膝蹴り膝蹴り膝蹴り、踏みつけ踏みつけ踏みつけ踏みつけ踏みつけ踏みつけ踏みつけ踏みつけ、
え、待って、初手でトドメ刺すの?
って、私は焦りました。
たしかにそれは私の青い鳥と一致していましたが、映画でちゃんとそれをやるパターンはあんまり見ないので、私はちょっとビックリしました。
ダニーが、ズタボロになったレイプ犯を助手席に追いやって、車を運転しだしたときにも私はまだ疑っていました。
レイプ犯は、顔面血みどろで意識不明で、車に揺られるがままに身体や頭を前後左右させている……けど、まだ生きているよね?
ダニーは、一応は後悔しているらしく、人気のない場所で停車して隣の血みどろレイプ犯を見やるとハンドルをバンバン叩いて天井もガシガシ殴って、
クソッ!
ダニー、まだ大丈夫だよ……いまから救急車を呼べば、ぎりぎり半殺しで済むかもしれないよ……(そして、くだらない復讐の連鎖を始めることができるよ……)?
私がそう思っていたら、ダニーは車内に液体燃料を撒きだして、火を放ってレイプ犯ごと車を全焼させました。
ちゃんと……ちゃんと、復讐の連鎖を断ち切っているじゃないか……!!
少なくとも、相手本人から復讐される可能性の芽は、ちゃんと刈り取っているじゃないか……!!
私が予想外の歓喜に打ち震えていると、ダニーは仕事場に戻り、女性オーナーに、
どこへ? 勤務中に散歩なんてしないで
って、怒られます。
ダニー……私はてっきり、休憩時間か、職場に断って抜け出したんだとばかり思っていたけど……。
普通に仕事中、無断で抜け出していたんだ……。
そして、人を殺した……。
みなさん、このダニーの「青い鳥」を、受け入れることができるでしょうか?
やっぱりダニーは、短気で短絡的で、これだから犯罪者のクズは……と、思われても仕方がありません。
でも私は、ダニーのような真っ直ぐなクズも、この世には必要だと思います。
これが正義のヒーローだと、やっぱり中途半端に2~3発殴って、警告して終わりだろうから(そして、くだらない復讐の連鎖を許す……どころか、それ以前に、仕事中だからと言い訳をして悪人を見逃す可能性すらある。仕事をサボるのは、「悪」だから。そうして正義のヒーローは、新たな被害者が生まれることを見過ごす)。
それじゃダメだから、私はダニーのようなクズが飼っている「青い鳥」が、好きだといえる。
見過ごせと?
NO!
警察にいけって?
その警察が見過ごしてきたから、クソみたいなドラッグの売人が、おまえの娘をレイプするまで野放しになっていたんじゃないのか。
そしてダニーがいなかったら、おまえの娘をレイプしたあとも、ドラッグの売人はのうのうと生き延びて麻薬を売りさばいたり少女を売りさばいたりして不幸をまき散らしながら暮らしていたんじゃないのか。
警察は、「信用」に値しない。
そのことを、クララの母ローレンスもわかっています。
だからローレンスは、結局はダニーを警察に突き出さなかったし、むしろ最後は警察からの逃走を助けました。
ダニーのことが好きなのは、私やローレンスだけではありません。
ローレンスの娘クララだって、ダニーのことが好きになりました(クララは、エイズの検査という重大な試練を前に、親ではなくダニーをお供に選んだ)。
中華料理店の女性オーナーだって、そのへんの野良犬だって、ダニーのことが好きになりました(一緒に食事をしたり、連れ添ったりするようになった)。
ダニーは、クララが空腹で困っていたら食事を奢ってやり、クララがレイプされたときもエイズに怯えているときもそばで寄り添ってきました。
ダニーは、水漏れも壁の修繕も食洗機の修理も、黙々と仕事をこなしてきました(本来なら、皿洗いと、食洗機の修理は別の仕事なのに……私たちが皿洗いのバイトに応募して、業務用食洗機の修理を頼まれたら、文句ひとついわずにやれるだろうか?)。
ダニーは、黙ってやるべきことやり、見過ごすべきではないことを見過ごしませんでした。
これがダニーの「青い鳥」で、ダニーの「青い鳥」は、「信用」に値する。
だからみんな、見た目は反社会的勢力にしか見えない犯罪者のダニーから、逃げなかった。
なぜ逃げるのかしら?
信用してないからだ
逆にいえば、「私の心のなかの青い鳥」が「信用」を勝ち得るなら、見た目や経歴にかかわらず好かれる人になれる。
まとめ:幸せとは?外見の美しさより内面の美しさ
それではおさらいも兼ねて、ここまでの要点を3点でまとめます。
- 映画『復讐者のメロディ』は、原題の直訳では「私の心のなかの青い鳥」
- あと、鳥とか復讐者とか以前に、皿洗いのシーンが最高にカッコイイ映画
- 「青い鳥」とは?凶暴でも愚直でも、自他を魅了する「自分に正直な心」
以上です。
以下総評!
なぜ不幸になるのに「青い鳥」に従うのか?
安田尊@スタンディングオベーションを謳うブログ。
評価: 5.0本作『復讐者のメロディ』は、原題『A Bluebird in My Heart』⇒「私の心のなかの青い鳥」です。
主人公ダニーの「青い鳥」は、とても凶暴で凶悪で、女の子が見たら泣いてしまいます。
実際、ダニーがレイプ犯を殺害したと知って、女主人ローレンスは泣きました。
ダニーがギャングを返り討ちにしたときには、少女クララも泣きました。
ギャングにトドメを刺そうとするダニーに対して、クララは泣きじゃくりながら、懇願します。
クララ「ダメよ やめて」
ダニー「泣くな もう子供じゃないだろ」
クララは、瀕死で横たわるギャングの首を自分の両手で抑えますが、結局は出血が止まらなくてギャングは死にます。
ダニーのセリフに象徴されるように、本作はクララの成長物語でもあります。
が、それはさておき。
どうしてダニーは、こんなにも凶暴で凶悪で、女の子を泣かせるような「青い鳥」に従っているのか?
たぶん、ダニーが犯罪者として服役していたのだって、その「青い鳥」が原因でしょう。
ダニーが少しでも、自分の「青い鳥」……自分に正直な気持ち、愚直さ、義憤……を抑えれば、もう少し生きやすいのでは?
昔から、「青い鳥」は、「幸福の象徴」です。
でもダニーは、どう見ても、「青い鳥」のせいで不幸になっていませんか?
本作開始時点で、ダニーは、仮釈放中の犯罪者。
本作終了時点で、ダニーは、逃走中の殺人犯。
客観的にいって、最初から最後まで不幸だし、なんならかなり悪化しています。
そうなることぐらい、犯罪者になってしまった時点で、わかっていたことでしょう。
「青い鳥」の声に従えば、「復讐」なんかに手を染めれば、最悪になることぐらい。
ではなぜ従った?
結局のところ、それが幸せだから。
なんてことはない、ダニーの「青い鳥」をだれよりも「信用」しているのは、ダニー自身です。
「青い鳥」の美しさ、正しさ、魅力。
「青い鳥」に従うことの幸福を、だれよりも知っているのは、ダニーです(ただし、自覚しているとは限りませんが)。
だからダニーは、「青い鳥」に逆らわないし、抗わない。
それで表面上は、反社になったり貧乏になったり不潔になったりしますが、そんなことはどうでもいい。
人は外見より中身でしょう。
ダニーの中身は、「青い鳥」は、こんなにも美しい!
その美しさを、ちょっと触れ合っただけのローレンスやクララ、中華料理店のオーナーから野良犬までもが認めています。
そんなにも美しい「青い鳥」を、ダニーは、自分の心のなかに飼っている!
これ以上の幸福がありますか?
ありません。
ほかに求めるものがありますか?
ありません。
だからダニーは、すでに最上の幸福を飼い慣らしているのであって、そのためにほかのすべての生活を犠牲にすることもお構いなしです。
さて、翻って、私たちの「心のなか」はどうでしょうか?
ダニーのように、全幅の信頼を寄せる「青い鳥」は棲んでいるでしょうか?
他人に曝け出したときに、「信用」を勝ち得るような美しさを持っているでしょうか?
「いいえ」の私が思うのは……こそこそと外面を取り繕うより、内面に目を向け、「青い鳥」を探したほうが幸福への近道かもしれません。
以上、映画『復讐者のメロディ』の感想でした!