海で溺れた。家族で海に遊びにきていて、砂浜で水遊びをしていたら波にさらわれて沖に流されて大海原のど真ん中で沈んだ。右手か左手かはもう憶えていないが、まだ幼かった私は片手だけを海面に突き出して指を折り曲げたり組み合わせたりして「た」「す」「け」「て」の文字を作って助けを呼んだ。はたして、私のSOSは父に届いた。父は私のところまで泳いできて私を救い出した。
これが私の憶えている最も古い親の愛情だ。
私の自慢の親。
だが幼く古いだけあって、あとになって考えてみればいくつかおかしな点がある。
たとえば、どう考えても片手で「た」「す」「け」「て」の文字は作れない。「た」の時点で試す気にもならない。手話の一種で、手の形や指の形でひらがなを表現する手文字や指文字はある。でも当時の私はそんな言語知らない。つまりまだ幼い子どもが、片手しか使えない絶望のぶっつけ本番で、単純に純粋にひらがなを模倣した「た」「す」「け」「て」を創作できるわけがない。
でも私は、たしかに片手で「た」「す」「け」「て」……めんどくさいので以降たすけ手と呼ぶが、たすけ手をちゃんと作った気がする。
私は私のたすけ手を見た気がする。
私がこの記憶を思い起こすとき、唯一残っているイメージは、海面に突き出された私の片手なんだから……ってそれもおかしい。私が溺れているなら、私は水中の暗闇にいて、目を開けていたとしても私が吐き出したり藻掻いたりして生み出された気泡でブクブクモガモガやっている光景しか見えないはずだ。
なにより、私の父はライフセーバーではないし、海のど真ん中で溺れている子どもを救助できるほど水泳が上手いイメージはない。
では夢だったのだろうか?
私の自慢の親は……。
でもさらにあとになって考えてみれば、たしかにたすけ手を作ることはできないが、たすけ手はたすけ手じゃなくてもたすけ手なんじゃないだろうか? だって子どもが海面に片手だけを突き出して沈んでいたら、その手のひらや指のサインがどれだけ小さく拙くても、それはたすけ手でしかないだろう。
そのたすけ手を俯瞰している私のイメージだって、幼い未熟な記憶なんだから、あとから理解したり再解釈したりした際に主観が客観に変換されて定着しただけなのかもしれないし。
父の水泳スキルについては、ぶっちゃけいまもよく知らない。
私はいちいち、この親の愛情について親に確かめたりしていない。
事実かどうかは重要ではない。
重要なのは、私が死にかけていたとき、ちゃんと親が助けてくれたことだ。
それが夢の世界だとしても、私の親はちゃんと私を救ってくれた。
私にはそのイメージがある。
親の愛情のイメージが。
それで本当に申し訳ないけど、たすけ手以外の親の愛情については、私はもうほとんどマジで覚えていない。
手に関連していえば、私の母は私に手料理を作って育ててくれたし……。
私の父は、私がおねだりした絵を描いて遊んでくれたりしたし……。
私が生まれてからこの方、私を抱いたり撫でたりベビーカーを押したりミルクを飲ませたりうんちしたオムツを替えたりしてくれていたのは父と母の手だ。
でもそんな親の愛情は、意識的に思考しなければ導き出せなかったほど日常に溶け込んでいて、すぐに忘れてしまう。
私は薄情な親不孝者なんだろうか?
まあそれはそうかもしれないが、私だけが特別に薄情なわけではない。
世の中には、自分が親になって初めて、親に感謝を覚える人間がたくさんいる。自分が我が子に注ぎ込む愛情の量を知り、自分が同じだけの愛を注ぎ込んでもらっていたことを思いだす人間が。それまでは忘れているのだ、幸せを平凡でありふれた日常にする親の努力なんて。
良い思い出はすぐに忘れるし。
嫌な思い出はいつまでも残る。
だから私がいつまでも憶えていて、思いだそうとしなくても思いだすのは、嫌な思い出ばかりだ。
お父さんにお風呂で身体を洗ってもらっていたとき、ボディタオルで乱暴にゴシゴシ擦られて肌が赤くなるぐらい痛かったが、そう訴えると「ちゃんと洗わんと」「これぐらい我慢せな」とかいわれて話を聞いてもらえなかった(それ以来、他人に身体を触らせるハードルが2段階ぐらい上がった)。
お母さんにしつこく言い聞かせられたのは、「みんなと同じように」「普通に育ってほしい」という願いだが、みんなが普通に持っているものを私は買ってもらえなかった(それ以来、「みんな」の範囲と「普通」という言葉の意味について私は異常なこだわりを持つはめになった)。
お父さんにアホな民間療法の話をしたとき、「嘘をつけ」「そんな話はするんやない」とキツく叱られたが、おばあちゃん(父の母)から聞いた話だと抗議すると黙った(それ以来、私は「なにを話したか」ではなく「だれが話したか」を重視するバカのことが大嫌いになった)。
お母さんに……。
なんか思いだしていて泣けてきた。他人からすれば些細な、取るに足らない思い出かもしれないが、私からすればいつまでも覚えている悔しくて嫌な思い出ばかりだ。
客観的にいって取るに足る思い出でいえば、私はお父さんにもお母さんにも叩かれたり殴られたり突き飛ばされたり暗闇に閉じ込められたりひとりで外に放り出されたり、要するに暴力を受けて泣かされたことが何度もある。まだ10歳にも満たない年齢のときに。
枕元で浮気だの不倫だの実家に帰るだのの痴話ゲンカをされたこともあるし、私や他人の悪口をいったり笑い物にしたりしている醜い姿も覚えている。私は精神的にはタフだったから、そんなことでは泣かなかったけど。お母さんがひとりで泣いているのは見たことがある。
私は寝ているふりも上手かったし察しも良い子どもだったから、両親が気づかれていないと思っている醜態も醜聞も隠し事もかなり知っているし、私が知っているということを私のほうが隠している。反抗期の頃は、親戚の集まりで20人とかが一堂に会する前で全部ぶちまけて親の顔に嘔吐を塗る妄想を何度したかわからない。
でも嫌な思い出しかない、といわないのは、その嫌な思い出には少なからず良い思い出がくっついていたりするからだ……。
というよりはむしろ、良い思い出とは、嫌な思い出にくっついているものだ。
たすけ手にしても、そもそも海で溺れて死にかけた最悪な思い出だ。でも父が助けてくれた、という良い思い出がくっついている。
私にはお母さんにご飯抜きを言い渡されて晩ご飯を作ってもらえなかった思い出もあるが、その日普段は一切家事をしないお父さんが私にご飯を作ってくれた思い出もある。
そのお父さんは、私に罰を与えるとき、私のゲーム機を隠すような躾しか知らなかった。でもそもそも、私のゲーム機を隠すには私にゲームを買い与えていなければならず、そのゲームは私の誕生日とかクリスマスとかにプレゼントしてくれたものなんだろう。
いつも嫌な思い出が先行し、良い思い出はあとからやってくる。
嫌な思い出は単体でも簡単に思いだせるが、良い思い出を単体で思いだすのは難しい。
私は1年ごとに誕生日やクリスマスを祝ってもらい、そのたびにプレゼントをもらったりケーキを食べさせてもらったりして喜んでいたはずだが、嫌な思い出にくっついていない分の喜びについてどれだけ覚えているだろうか?
いやもう重ね重ね申し訳ないが、もう本当にマジでまったくといっていいほど覚えていない。少なくとも、自力で意識の表面には浮かんでこない。
だから子どもが感じられる親の愛情とは、根本的に嫌な思い出にくっついているんじゃないだろうか?
子どもが嫌な思いをしたときに、どれだけ良い思い出で上書きできるかなんじゃないだろうか?
愛は無限だとか、愛は減らないとかいう綺麗事をたまに見聞きする。
でもそんなはずはない。
親の愛情だって、毎日毎日何年も子どもに与え続けていればすり減るし疲れる。
しかもその子どもときたら、「一番かわいい時期」とかいって親が一番愛してくれる最初の10年分ぐらいの愛情はほとんど忘れたりする。というか忘れる以前に自覚や実感がない。
無償の愛といえば、なんだか尊い感じがするし聞こえもいいのかもしれないが、正直無意味……とまではいわないが、労力に見合っていない。
でも嫌な思い出は、最初の10年の人生で経験した分を20年後も30年後もきっちり覚えていたりするんだから……。
親の愛情は、そこに注ぎ込むべきだ。
どうせ忘れられる日常に愛を振りまいて忙殺されていると見逃す。
私の親は、私が本当に助けてほしいときにはいつも助けてくれた。
子どもにその思い出を与えられなければ、無償の愛だろうが無限の愛だろうが意味はない。