うんちを爆裂させて泣いている幼児を見て思いました。
もしうんちが臭くなかったら、私たちはいまよりうんちを攻撃しなくなります。
私たちという天敵を失えば、うんちは大繁殖します。
うんちが大繁殖すると、そこら中がうんちまみれになって汚い。
それなら臭いほうが、汚物の存在を探知&排除しやすい。
つまり無害な世界を望むなら、うんちが臭いのは正しいし、うんちが臭くて発狂するのも正しい。
私たちにとっての臭くないうんちは、猟師にとっての鳴かないキジみたいなものである(キジよ、おまえも鳴かずば撃たれずに済んだろうに)。
うんちと会話!ウンコミュニケーション!
ハエやフンコロガシの親子でもない限り、A.「うんちを食べる」は選ばないはずです。
うんちは、人体が不要と判断したゴミ(食べ物や飲み物の残りカス・消化液や腸の細胞や腸内細菌・それらが発酵したり腐敗したりして発生する毒素やガス)で構成されます。
せっかく私たちの身体が、神か親からもらった機能によって自動的にゴミを分別して捨ててくれているのに、
ゴミは捨てるだけ。
うんちは出すだけ。
うんちを出し入れしてはいけません。
- 臭いなら不愉快であり、
- 不愉快なら気分が悪く、
- 気分が悪いなら食事をする気分ではない。
この美しい生理的嫌悪によって、私たちは吐き気を催す代わりに、命拾いをしています。
「うんちを食べてはいけない理由」を理解する前から、うんちを食べずに済んでいます。
つまり、
うんちは喋れませんが、雄弁に語っています(便だけに)。
うんち専門家や、うんち研究者が解説する「うんちが人体に有害である理由」なんて聞くまでもありません。
うんちそのもののニオイを嗅げば、うんちの声なき声が聞こえるはずです。
私たちは、うんちとコミュニケーションを取っています(これを「ウンコミュニケーション」といいます)。
ウンコミュニケーションによって、子どもはうんちが食べられないことを知り、「うんちはたべない!」とお返事をします。
つまり冒頭の答えは、
この世の終わりみたいな発狂は、この世の終わりではありません。
むしろ、ウンコミュニケーションの始まりなのです。
人間がコミュニケーションを武器にする生き物なら、人間としての成長が始まっている証でもあるでしょう。
~ウンコミュニケーションの例~
うんちは先生!ウンティーチャー!
よっぽど前衛的なアーティスト一家でもない限り、A.「壁に塗りたくる」は選ばないはずです。
しかし、子どもはだれもが芸術家の卵です。
子どもが生まれた途端、家中の壁も床も白物家電(白い冷蔵庫とか)も、落書きだらけになります。
その絵の具は、赤ちゃんでも作ることができます。
材料は、パパやママが買ってきてくれて、毎日食べさせてくれます。
ちょっと硬いうんちが出ても、
その家は終わって、一家離散したあと事故物件として登録されるでしょう。
いくら臭くないといっても、うんち屋敷になったらその家は終わり。
さらに子どもの芸術といえば、落書きだけではありません。
こうして両手はもちろん、顔中うんちまみれになって、目にも鼻にも口にもうんちが入ってその子も終わります。
うんちは世界を終わらせるパワーを秘めています。
でも大丈夫、世界はうんちまみれになっていないし、うんち屋敷もうんち遊びもありません。
うんちが臭かったから、子どもの好奇心も芸術家の才能も、うんちの前では息が詰まりました。
うんちが臭かったから、その手は鼻をつまむことに使われ、お絵描きや泥遊びには使えませんでした。
うんちが臭かったから、ちょっとでも漏らせば保護者がすっ飛んできて、一家離散や事故物件を防ぐことができました。
だから、うんちは子どもの教育も担当します(これを「ウンティーチャー」といいます)。
ウンティーチャーが使うのは、もちろんウンコミュニケーションです。
パパやママが使ういろいろな脅し文句の代わりに、ウンティーチャーは生理現象でわからせます。
そして子どもは往々にして、自分の思いどおりにはならない現実を知ると、駄々をこねたり泣き喚いたりします。
その意味において、子どもの発狂は、教育が上手くいっている証でもあります。
つまり冒頭の答えは、
いわば発狂は通過儀礼であり、この発狂を乗り越えられない人間に未来はありません。
人間は最初から最後まで、うんちの処理をミスって手にうんちがつくような人生を送るからです(学校では挫折し、仕事では失敗し、汚職や下半身のスキャンダルで汚名を残します。「汚名」とは、名前にうんちがつくことです)。
うんちが臭いということは、そうした試練を乗り越える第一歩なのです。
~ウンティーチャーの例~
うんちは宝箱!ウンチェスト!
先ほどは、「うんちは人体が不要と判断して捨てたゴミ」と述べました。
しかし、あるところでゴミ扱いされるものが、別の場所では宝物扱いされることは珍しくありません。
たとえば、マンションのゴミ捨て場だって、住人の個人情報を集めたい人からすれば宝の山だし、
- うんちの色
- うんちの形
- うんちのニオイ
①「色」なら、うんちが真っ黒だったり真っ赤だったりすれば、体内で出血していたり(血便)。
②「形」なら、うんちが液体状で出てくれば、腸に異常があったり(下痢便)。
③「ニオイ」なら、うんちが化学兵器みたいな悪臭を放っていれば、体内で悪がはびこっていたり(悪玉菌)。
私たち人間が誇る医学を活かすためには、うんちのニオイもまた必要不可欠なのです。
そして、うんちが良い匂いだったらどんな悲劇が起こるのかは、すでに説明しました。
なぜ男が少女のうんちを買い集めるのかは、もうおわかりですよね。
現状でさえ、うんち臭を乗り越えてウンチェストを買う男がいるぐらいなのに、うんち臭がなくなれば大量発注待ったなしです。
つまりこういうことです。
~ウンチェストの例~
まとめ:うんちが面白い理由は?臭いから!
- うんちは臭いから、専門知識がなくても、食べてはいけないとわかる!
- うんちは臭いから、衛生観念がなくても、遊んではいけないとわかる!
- うんちは臭いから、ほとんど医学的な利用目的に限られていて助かる!
以上です。
私たちは、うんち臭に感謝しなければなりません。
そしてうんちは、ツバや汗や小便のように、微妙な不快感を残すばかりでネタにもならないつまらない排泄物ではありません。
うんちは面白い。
うんちは臭すぎるし、汚すぎるし、タブー(口にしたり触れたりしてはいけないもの)だから、
いまはうんちのニオイに発狂している子どもも、いずれはうんちの面白さに気づくでしょう。
以上、そういえば、うんこ味のカレーとカレー味のうんこみたいな二択がありますが……。
ニオイ(嗅覚)と味(味覚)は別だし、カレー味でもうんこは有害なのだから、うんこ味のカレーを選ぶのが正解です(うんこ味なだけでうんこ臭がしないなら、超苦いだけのカレーなら、頑張れば食べられるし健康被害も少ないはずです)。
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