京大生のお墨付きです。
漫画は「読書感想」には含まれない?
まずは私がこの疑問を抱くに至った経緯と結論ですが、前回の記事で著・中田考先生の「みんなちがって、みんなダメ」の書評以下読書感想文以上を謳う記事をアップしました。
みんなちがって、みんなダメ(著:中田考、初版:2018年、出版社:KKベストセラーズ)を読みました。安田尊@『みんなちがって、みんなダメ』を謳うブログ。中田考先生という日本人ムスリム(イスラーム教徒)で、ウラマー(知識人)[…]
その際、当ブログ「アンサーソング。」初の試みだったため、新規でタグを設定したんですね。
で、そのタグに「読書感想」と名付けたわけですが、自然に入力した「読書感想」タグの説明文がこちらです。
おいおい、いまナチュラルに漫画をディスらなかったか……?
いいのかおい?
漫画を読む行為は読書に入らないのか?
私は漫画大好き人間だぞ?
と思っていて気づいたんですが、またナチュラルに漫画をディスっていました……。
え、これは差別……? 区別……?
まあ中田考先生によれば、
そうですが(「みんなちがって、みんなダメ」に書いてありました)。
とはいえ、私は悩みました。
それで結論としては、
です。
そしてこの結論を応用すれば、
まで導きだせてしまいます。
では順を追ってその理由と根拠を述べましょう。
漫画が「読書」に含まれる理由と証明
「書物を読む」と書いて「読書」です。
「書物」とは「書かれた物」です。
では「漫画」はというと、
です。
浪漫を描いた画なのか、漫談を描いた画なのか、漫然と描かれた画なのかは知りませんが、とにかく確かなのは「漫画」が「描かれた画」であるということです。
ですから「漫画」は「描く」ものであって、「漫画を書く」とはいいません……。
つまり漫画は「書かれた物」ではないし、「漫画」を読んでも「読画」にはなるかもしれないけど、「読書」にはならない……。
で終了?
いやいやそんなはずがない!
この漫画大好き人間の私が、「書かれた物」などという、
みたいな過去の遺物の既得権益に屈して新しい文化である漫画を差別するわけにはいかない!!
それで思ったんですが、そもそも「描かれた画」だったら「読む」ものじゃなくて「観る」ものじゃない?
だって「絵画」とか、
とはいわないよね。
「観にいく」だよね。
じゃあ「漫画」は?
読むもの。
「描かれた画」だけど漫画は読むもの。
なぜか?
そうして「書かれた物」を私たちは「読んで」いる。
じゃあ「読書」じゃん。
いや、わかるよ?
最初に説明したとおり、漫画は「描かれた画」なんだから、「読書」ではないっていいたい気持ちはわかるよ?
でも同時に、漫画にはセリフも心理描写オノマトペも地の文も書かれていて、
わけだよね。
そしてご存知のとおり、大多数の人間が漫画は「読むもの」だと認識している以上、漫画から読み取れる性質は絵画よりも「書物」のほうが強いといっても過言ではない。
特に「漫」という字には、
- みだりに。とりとめがない。「散漫」「放漫」
- そぞろに。なんとなく。「漫然」「漫遊」
- ひろい。「漫漫」「爛漫(ランマン)」
- みなぎる。一面に広がる。「瀰漫(ビマン)」
- こっけいな。「漫画」「漫才」
という意味があって、ソースは学校や学生に大人気の「日本漢字能力検定協会」による解説で、goo漢字辞典にも掲載されています。
ソース:漫の解説 – 日本漢字能力検定協会 漢字ペディア – 2019年11月12日(火)閲覧。
で、上記「漫」の意味5番でそのものずばり、「漫画」を指して「こっけい」であると説明しているけど、なぜ「漫画」が「こっけい」=「面白い」のかといえば、「描かれた画」である「漫画」なのに「読ませる」から面白いのだ。
あるいは3番と4番、「漫」には「ひろい」、「広がる」という意味もあるということは、
であると捉えることもできる。
「画を」広く拡張・拡大解釈した結果、「漫画」となり、「書物」としての機能を獲得し、「読まれる」ようになった。
さらに「漫」の意味1番、「みだりに」ということは、「画が乱れた」結果、「漫画」となって読まれるようになった。
「漫」の意味2番、「なんとなく」ということは、
となって読まれるようになった。
はい「漫」の意味1番から5番コンプリート。
ほらね、読書じゃん。
「漫」の意味すべてが「漫画」=「読書」であることを指し示しています。
つまりどう転んでも「漫画を読めば読書になる」ということが、これで証明されました。
漫画が「読書感想」に含まれない理由
さて、こうして「読書」のうちに「漫画」が含まれることは証明されましたが、しかし当ブログの「読書感想」タグは相も変わらず、
と説明されています。
なぜなのか?
答えは簡単です。
たとえば完熟マンゴーだって豚骨ラーメンだって「食べ物」としては同じですが、分けたほうがわかりやすいですよね。
それだけの話です。
だからまだありませんが、当ブログで漫画の感想を書くことがあれば「漫画感想」タグを新設します。
そして学校でも同様に、「漫画の読書感想文」を書かせる時代がきたら、「漫画の時間」が設けられることでしょう。
その分類のために、現状の「読書の時間」には「漫画」が含まれていないってわけです。
でも私は最近、「読書の時間」がある学校には通っていないので、もしかしたらすでに実現されているただの現実を述べているだけかもしれませんが、そうだったら申し訳ありません……まあそりゃそうですよね、だってもう令和ですし、昭和じゃないんだから、漫画が読書に含まれないだなんて抜かすアホな老害なんて教育現場からは絶滅しているでしょう……いますように……。
まとめ:京大生も漫画で読書している
- 漫画にはセリフなどがあり、書かれたものを読む以上は読書だといえる
- 漫画は絵画とは違い、読むものだとみんなが認識しているのがその証拠
- 漫画が「読書の時間」などに読めないのは、教育現場の怠慢でしかない
というわけで、漫画を読めば読書になります。
漫画を好んで読む人は読書家だとすらいえます。
なのに「読書の時間」に「漫画」を取り入れず、別枠でも「漫画教育」を行なっていない学校が(この令和の時代に!?)現存するなら嘆かわしいことです。
そんな時代錯誤も甚だしい学校の指定なんて、私だったら無視します。
そしてもちろん、すでに教育現場の「読書の時間」や紙の書籍からは卒業して電子端末ばっかりいじっているみなさんも、その画面で漫画を読み耽りましょう。
漫画から学べることはたくさんあります。
それはあの「ビブリオバトル」発祥の地にして最高学府のなかの最高学府、京都大学でも最近(2019年10月末)、
を名乗る、4コマ漫画およびその漫画を原作とするアニメ「ぼのぼの」の同好会が設立され、そのツイッターアカウントには、
と記載されているとおりです。
あの京大生ですら4コマ漫画を読み、しかも「読書会」と称して「集団で漫画を読書するプロジェクト」を立ち上げているわけです。
なのに漫画=読書論に逆らうってことは、天下の京大生に逆らうってことですが大丈夫?
ちなみにより正確にいえば、
このフォロワー100人はだいたい京大生です。
つまり漫画=読書論に逆らうってことは、京大生集団を敵に回すってことですが大丈夫??
京大生は昔から無駄に頭がいいせいで性質の悪い活動家に育つことで知られており、令和の時代になっても母校である京都大学をアニメ「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」に登場する腐敗した治安維持組織「ギャラルホルン」に見立てて攻撃を仕掛けたことによって処分を受けるなど、わけのわからない事件を起こしているので敵に回さないほうが身のためです。
以上!
THIS IS THE ANSWER.