事後諸葛亮(じご・しょかつりょう)とは、
のことを指します。
日本でも「三国志」関連の小説や漫画、ゲームなどを通じて根強い人気を誇り、現代においても「賢者」の代名詞として愛されていますね。
さて、本記事ではそんな不世出の賢者、諸葛亮を語源とする、
について解説します。
では目次です。
「諸葛亮」は伝説上の生き物?
まずはご存知ない方のために、諸葛亮の天才ぶりを簡単にご紹介しましょう。
諸葛亮は中国の三国時代(西暦200年前後)に活躍した人物です。
この三国時代から伝わる四字熟語に、
という言葉があります。
意味は「まだ世に出ていない天才」。
その「天才」を伝説上の生き物、「竜」と「鳳凰」に例え、まだ世に出ていないので「伏せた竜」、そして「鳳凰のヒナ」と表現しているわけですね。
ちなみに「鳳凰」と評されたのは龐統(ほうとう)であり、諸葛亮と並び称された天才軍師ですが、ここでは割愛します。
諸葛亮はまだ世に出ていない、だれにも仕えていない時期からすでに「竜」と目されるほどの実力を秘めていました。
そしてその評判を聞きつけ、諸葛亮を配下に加えるべく働きかける将軍が現れます。
劉備はのちに、「三国志」の一国である「蜀(しょく)」を建国し、初代皇帝となる人物です。
この時点ではまだ皇帝ではありませんが、しかしそれでも戦乱の世で武名を馳せており、
などを従えていました。
その劉備が、有名な「三顧(さんこ)の礼」、すなわち明らかに格下で年下でなんの実績もない諸葛亮を相手に、三度も家を訪ねて直接スカウトをしたわけですから、普通に伝説になりました。
ここまで、まだデビュー前です。
諸葛亮は政治家や軍師としてデビューする以前から、すでに伝説でした。
そしてその伝説は、デビュー後には「神算鬼謀」と評される神の如き鬼の参謀と化します。
まるで諸葛亮が伝説上の生き物であるといわんばかりですが、もちろんそういわれるだけのエピソードは枚挙に暇がありません。
つまりこの調子で紹介を続けると、何万文字になるかわかりません。
ですからここで切り上げます。
本題に参りましょう。
「事後諸葛亮」の意味と解説
さて、「事後諸葛亮」とは、
のことでしたね。
この「事後諸葛亮」自体は中国で昔から使用されており、それが近年、日本のネット上で流行している模様です。
さて、では「事後諸葛亮」の意味を掘り下げていきましょう。
せっかくですし、諸葛亮に絡めて例えます。
しかしこの「臥竜鳳雛」という人物評、じつは諸葛亮と龐統以外に、もうひとり偉大な人物の存在を示しています。
諸葛亮と龐統を、「竜」であり「鳳凰」であると見抜いた人物、龐徳公(ほうとくこう)です。
龐徳公の偉大なところは、まだ世に出ていない、天下に名を轟かせていない諸葛亮や龐統の才知を言い当てた点にあります。
さて、では諸葛亮や龐統が世に出たあと、天才軍師としてその名を天下に知らしめたあとに、
などと宣う人間が現れたら、どうですか?
そいつは龐徳公と同等に偉大でしょうか?
否、ですよね。
そいつは結果がわかってから龐徳公と同じことをいっているだけで、いわば事後龐徳公です。
事後では意味がありません。
答えを見てから答えを謳うなんてことはだれにでもできます。
答えを見ずに答えを述べ、答え合わせに成功した人間だけが称賛される。
なのに、そのことがわからず、答えが出てから、世間のみんなが気づいてから、
などと主張するような人間。
そういう人間は、「事後諸葛亮」と呼ばれてバカにされても仕方がありませんよね。
「後出し孔明」の意味と解説
ところで、そんな「事後諸葛亮」ですが、「後出し孔明」と訳す向きもあります。
諸葛亮(姓+名)はまたの名を諸葛孔明(姓+字)といい、単に「孔明」と呼ぶこともあります。
その「孔明」と、「後出しジャンケン」などの「後出し」をくっつけて、
です。
この「後出し孔明」は、特に2020年1月にツイッターで拡散されました。
ただし、ツイッターに限っても2019年以前から「後出し孔明」の使用例は確認できたので、上記のツイートが語源というわけではなさそうです。
もちろん意味は「事後諸葛亮」も「後出し孔明」も同じなので、お好みで使い分けてOKです。
「事後諸葛亮」は漢字が詰まっているので硬い印象、「後出し孔明」のほうが柔らかい印象になります。
「事後諸葛亮」や「後出し孔明」使用時の注意点
なぜなら、「諸葛亮」と同等の立場や権限、責任を持たない人間が、「諸葛亮」である必要はまったくありません。
たとえば「事後諸葛亮」がツイッターでトレンド入りしていた際、時を同じくして、
というワードもトレンド入りしていました。
この「東京五輪中止」は確定情報ではなく、新型コロナウイルスの流行により流布されたデマの一種ですが、でもみんな思っていることではありますよね。
新型ウイルスの流行により、東京五輪が中止されるかもしれない……ありそうな話です。
さて、しかしそこで、
と、わざわざ口にする人間が、どれだけいるでしょう?
ぶっちゃけ、日本人の和を乱さない精神的に、思ってはいても口には出さない方がほとんどではないでしょうか。
でも実際に東京五輪が中止されたら、大きな話題になるでしょうし、そこで初めて口を開く方がいるかもしれませんね。
と。
そして中止になると思っていた理由も、つらつらと語り始めるかもしれません。
どうですか?
そいつ、
にしか見えませんよね。
けど私には、その行為がそこまでバカにされるような、罪深い行為だとは思えません。
別に普通です。
人間は別に、予め思っていることをすべて発信し、立場を明確にしておかなければならない、なんて決まりはありません。
したがって、なんでもかんでも予め発信すればいいってものではありませんし、そうする必要があるのは、義務と責任がある人間だけでしょう。
つまり、然るべき立場にあり、然るべき職務にあたり、然るべき責任を負っている人間だけです。
新型コロナウイルスでいえば、世界各所で対策チームが立ち上げられていますが、対策チームに参加し、議論の席に加わっているにも関わらず、その場で思っていることを発言せず、すべてが終わったあとで、
などと抜かす人間がいたら大問題ですし、そいつは本当に「事後」であったとしても「諸葛亮」などとは呼びたくない正真正銘のゴミですが、でも外野は?
外野は別に、思っているだけでもよくない?
そして結果が出たあとで、あれこれ談義してもよくない?
そこで外野からごちゃごちゃいわれたくないんだったら、いわれないようにちゃんと仕事しろって話でしょ?
で、その外野に対して、
と謳うのであれば、それは「ほならね理論」に発展するので、もう泥沼です。
ほならね理論は、使われた時点で負け確です。ほならね理論の定義まずは「ほならね理論」についてきちんと理解しましょう。ほならね理論とは、syamu(VTuberバージョン)ウイイイイイイイイイイイイ↑ッス![…]
私はこういうの、楽しめるのでいいんですが、大抵の人は疲れるだけです。
と、このように「事後諸葛亮」も万能ではないので、自分や相手の立場や状況に応じて、よく考えて使ったほうが良さげです。
まとめ:「事後諸葛亮」も「後出し孔明」もネタ!
さて、ではまとめます。
- 「諸葛亮(諸葛孔明)」は、竜とか神とか鬼とかいわれるぐらいすごい
- 「事後諸葛亮(後出し孔明)」は、結果がわかってから諸葛亮ぶるバカ
- でもほとんどの人間は「諸葛亮」ではないので、「事後諸葛亮」でOK!
そして個人的には、相手がマウント野郎だとしても、批判やディス、レスバトルで使用するには少々使い勝手が悪いという印象です。
まあそもそも、批判とかディスとかバトルとか、よくないよ!
たとえ「事後」だとしても、「諸葛亮」呼ばわり自体がよくないです。
平和な現代日本に、そんな物騒な軍師を召喚するものではありません。
せっかく私たちは「事後」を生きているんですから、事後に描かれた諸葛亮を、そして三国志を、小説や漫画やゲームなどで楽しむのが一番ではないでしょうか。
以上。
THIS IS THE ANSWER.