食事のマナー大丈夫?
~これまでのあらすじ~
~私のなかの大人と子ども~
……ゆってない。
ちなみに、「ごちそうさま」も言う気ない。
なんなら、パソコンやスマホを触る指をポテトチップスの油で汚したくないけどお箸とかを使うのも面倒だから袋からポテチ直飲みみたいにしてボリボリ貪っている(ポテチなだれを起こさないように小刻みに袋を傾けてちょっとずつ滑り落ちてきたポテチを食べる技術めちゃくちゃ上手い)。
でも、猿じゃないなら、お菓子を食べるときにも「頂きます」「ご馳走様」はいうべきなのでは?
教養ある人間なら、「頂きます」「ご馳走様」の意味は知っていますよね。
では以下目次です。
「いただきます」は感謝の言葉?謝罪の意味もある
日本全国のパパやママは、子どもが生まれたら、「パパ」「ママ」「生んでくれてありがとう」の次ぐらいに教えたい言葉だと思っています。
だから日本では、「いただきます」「ごちそうさま」がいえない場合、人間として終わっている……というか、始まっていない判定を受けることも珍しくありません(特別な事情を除く)。
人間としてのスタートラインに立つ言葉が、「いただきます」「ごちそうさま」です。
しかし考えてみれば、ひどい話ではありませんか?
猿じゃなくて、人間が。
だって人間以外の生き物からすれば、別に人間に食べられるために生まれて生きてきたわけではないはずです。
みたいな生き物は、いませんよね。
人間に最も忠実とされる犬でさえ、
みたいなヤバめのメンヘラみたいな思想は持っていないはずです(持ってたらごめん、気付いてあげられなくて……)。
それなのに人間は、勝手に命を奪い、勝手に命を食らい、
~弱肉強食~
ぶっちゃけ、なんにも考えずに食欲に支配されている猿のほうがマシでは?
だってこれ、人間界でいうと、
~銀行強盗~
↑人質にされた銀行員や銀行の利用客からすれば、そんな言葉ひとつで犠牲が帳消しにされてはたまったものではありません。
私たち人間は、それと同じことを、農作物や家畜やむしり取られるフルーツたちに対してやっているのです。
勝手に食材にして、勝手に料理にして、しかしほかにどんな贖罪の方法があるでしょうか?
なぜお菓子には感謝しないのか?同じ食べ物なのに
~簡単なポテトチップスの作り方~
野菜だって穀物だって、ジャガイモだって、生命だったことに変わりはないのに……。
その生命にひどいことをして、命をいただいていることに変わりはないのに……。
というか、同じジャガイモ料理でも、
肉がないから、ポテトチップスには「いただきます」をいわないのでしょうか?
たしかに、ハンバーガーとかハンバーグには、「いただきます」をいうけど……。
ハンバーガーとかハンバーグの添え物みたいになっている、
いや、違う……!!
命に添え物もなにもない、みんな平等なんだ……!!
その証拠に、サラダだってサイドメニュー的な扱いを受けてはいるけど、
お肉でもない、淡色野菜でも緑黄色野菜でもない、ポテトチップスがお菓子だから……。
ジャンクフード(人間の傲慢で身勝手な分類によれば、栄養バランスが終わっている食品)だから、「いただきます」をいわないのでしょうか?
でもジャガイモをジャンク(日本語読み:ゴミ)に調理しているのは、自分たち人間ですけど……。
「ごちそうさま」は感謝の言葉!食事の準備に感謝
どんなに変わり果てた姿でも、そのかけがえのない命の恵みに、どうして感謝せずにいられるでしょう。
これはご飯だから「いただきます」、こっちはお菓子だから黙ってモグモグ、どうしてそんな差別ができるでしょうか。
すべての食事は平等に、
たとえその食べ物が、なにかの命を犠牲にしていなかったり、生命だったのかなんだったのかよくわからなかったりする場合でも。
「いただきます」「ごちそうさま」には、その食事が食卓に届けられるまでに関わった、すべての人への感謝も含まれています。
ち‐そう【×馳走】 の解説
ソース:馳走(ちそう)の意味 – goo国語辞書 – 2022年10月13日閲覧。
[名](スル)
1 《その準備のために走りまわる意から》食事を出すなどして客をもてなすこと。また、そのための料理。「友人宅で―にあずかる」→御馳走 (ごちそう)
2 走り回ること。奔走。
「東西に―す」〈今昔・二・三七〉
出典:デジタル大辞泉(小学館)
ちそう【×馳走】
ソース:岩波 国語辞典 第七版 新版 – 株式会社岩波書店
〘名・ス他〙客への供応。転じて、りっぱな料理。
▷現在では、多く「ご―」の形を使う。もと、走り回る意。
現代のイメージでいえば、料理に必要な食材を買い集めるために、あっちこっちのスーパーやコンビニを駆け回るのが「馳走」です
そして「食事の準備」とは、突き詰めれば、
- 生産
- 収穫
- 運搬
- 加工
- 販売
こうした「馳走」に感謝を捧げる言葉こそ、「ご馳走様」なのです。
だから私たちは、彼らに向けていうべきでしょう、
まとめ:言葉や食べ方が食事マナーの本質ではない
- 「いただきます」「ごちそうさま」は、食事に関わった人や生き物への感謝
- 「感謝」の「謝」には、犠牲になった命への「謝罪の気持ち」も込めるべき
- 「馳走」は「食事の準備」で、準備にその身を犠牲にした人へ「ご馳走様」
以上です。
美しい所作で綺麗に食事をする、そんなことは猿よりなにも考えていないロボットでもできます。
ロボットは紳士でしょうか?
ママにいわれたから、マナー講師にいわれたから、そうプログラムされたから……、
人間の美しい中身を表現するのが礼儀であって、中身がなければ猿真似です。
以上、そういう意味では、必ずしも「いただきます」「ごちそうさま」を「言う」必要はないかもしれません(無言でポテチ食ってた自分の正当化に成功)。
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