逆に訊くけど手以外でどうやってチョコを溶かして固めるの?
まあ本場の讃岐うどんみたいなコシを出したくて一旦溶かしたチョコを足で踏み踏みして固めていたらそれは足で作っているわけだから手作りではないのかもしれないけど、そんな文化はうどん県にしかないから安心しろな。
「手作りチョコ批判」をする男性の言い分
悲しい現実ですが、この世の中にはバレンタインデーなどに女子が手作業で作る手作りバレンタインチョコを批判する哀しい生き物が実在します。
実例を挙げましょう。
上記の批判は有名予備校講師で国語科(現代文)を担当されている林修先生の発言です。
ソース:林修先生「手作りチョコ批判」に、賛同者続出!「さすがの一言」 – 2020年2月14日(金)閲覧。
ちなみに林修先生といえば、
の持ちネタで一世を風靡したタレントとしてのイメージが強い方も多いかもしれません。
しかしじつのところ、林修先生は東京大学法学部出身の秀才であり、それが東大生を多数輩出する有名予備校「東進ハイスクール」で国語を専門に教えているわけですから、日本人のなかでも特に国語を極めているエリートです。
そんな国語を極めている林修先生が、修めた語彙を使用して、
このような下劣極まりない、女心の機微を欠片も理解せぬどころか逆に攻撃して破壊し尽くすような言動を公の電波に乗せて発信されるとは、とても残念なことです。
あの女心を文学的に表現しきった名作「女生徒」を上梓した太宰治とは大違いですね、名前の読みは同じなのに。
「手作り」の意味と三原則
さて、では林修先生とその愉快な賛同者たちに反論を試みましょう。
彼らの主張はこうでしたね。
「どこが手作りだ?」という質問に答えるためには、「手作り」の意味を確認しなければなりません。
辞書から引用しましょう。
て‐づくり【手作り】 の解説
ソース:手作り(てづくり)の意味 – goo国語辞書 – 2020年2月14日(金)閲覧。
1 機械を使わないで、手で作ること。店で買わないで、自分の手で作ること。また、その物。手製。「母の手作り」「手作りの料理」
てづくり【手作り】
ソース:岩波 国語辞典 第七版 新版 – 株式会社岩波書店
他人の労力や機械の働きによらず、自分の手・力で作ること。そういう作り方をしたもの。「―の味」
▷「手製(てせい)」には無い、丹念とか趣をこめたとかの語感で使うのは、一九八〇年代から。
以上ふたつの辞書から意味を要約し、「手作りの三原則」を作成してみましょう。
- お店で買ったものではなく、
- 機械を使用することもなく、
- 自分の手と力で作ったもの。
上記三つの条件をすべて満たしたとき、「手作り」といえます。
大半のチョコは「手作り」ではない
では「手作り」の意味を確かめたところで、林修先生の発言をもう一度振り返ってみましょう。
林修先生のこの発言は、
- 「既製品」←お店で買ったものじゃないか?
- 「溶かして変形」←機械を使用したのでは?
この二点で「手作り」を否定していますね……。
ふむ……。
…………。
まあ完璧に「手作り」は否定されていますよね。
世の大半の女子は、バレンタインチョコを作る際、
- お店で買ったチョコを、
- 機械で溶かして固める。
工程を踏むはずなので、反論はできません。
お店でチョコを買えば即アウトですし、チョコを溶かす際にレンジやコンロを使用するならそれは機械ですし、溶かしたチョコを変形させて固めたり保冷したりする際に冷蔵庫を使用するならそれも機械なのでアウトです。
いやあ、さすがはエリート国語専任予備校講師、あっぱれというほかありませんね。
参った参った……。
あれ……?
でも待って、
使用した時点で手作りではなくなるって……え?
それ家庭の「手作り料理」九割壊滅しない?
大半の家庭料理も「手作り」ではない
ここで「手作りの三原則」に照らして、「手作り料理」についても考えてみましょう。
~あるカップルの場合~
さて問題、上記のカレーライスは手作りでしょうか?
「手作りの三原則」を再掲します。
- お店で買ったものではなく、
- 機械を使用することもなく、
- 自分の手と力で作ったもの。
この条件に照らせば、「手作り」ではないことがわかりますね。
上記カップルの例でいえば、
- お店で既製品のカレールーを買ってしまっている
- しかも機械を同時に何個も使用して調理している
- さらに彼女は彼氏の力を借りて料理を完成させた
このとおり、「手作りの三原則」すべてに反しています。
したがって国語的にいえば、上記のカップルは「手作り料理」を作ったことにはなりません。
国語的に正しい「手作り」は非現実的
では国語的にではなく、現実的に考えてみるとどうでしょう。
一つ前の項目で示したような過程を経てカレーライスを完成させたあと、
こんなカップル存在するの?
怖すぎない?
秒で別れるでしょ、彼女からしたら。
でも国語的にいえば、この林修先生じみた彼氏こそが正しいのです。
普通に商品化されて市販されている既製品のカレールーを購入してしまった時点で、彼女の「手作りカレー」への道は途絶えていました。
あるいは彼氏の部屋にお泊まりすることが決まった時点で、勝敗も決していたのかもしれません。
ガチで「手作りカレー」を作りたければ、
をするべきでした。
辞書に照らせば、それが正解です。
どうですか?
納得できますか?
現実に照らせば、辞書のほうが間違いではないですか?
私はこの現実世界に生きて実践的な国語を操る人間として断言しますが、
まとめ:現実的に「手作り」を再定義する
というわけで、辞書的に正しい「手作り」は現実的に考えると間違っています。
その間違った辞書が示す「手作り」に基づいた「手作りチョコ、手作りじゃない説」も間違っています。
それでも辞書の定義に従うなら、
- お店で買ったものではなく、
- 機械を使用することもなく、
- 自分の手と力で作ったもの。
上記「手作り三原則」を満たさない料理もお菓子もすべて手作りではないとする世界が待っています。
その世界では、たとえば新婚ほやほやの夫が出勤前、
と口を滑らせた瞬間、妻が目を見開いて驚愕の表情で夫を見ます。
夫は「しまった」と思いますが、もう手遅れです。
なにこの世界?
やばくない?
私はそんな世界に住みたくないので、本記事で「手作り」を再定義します。
- 手作業で作ったもの。
以上。
この定義に則れば、
させただけでも、その作業が手で行われている限り、手作りです。
したがって市販のチョコを買ってきて溶かして変形させただけでも、「手作りチョコ」と名乗れます。
さあ選んでください。
国語的に正しい意味合いの「手作り三原則」↓
- お店で買ったものではなく、
- 機械を使用することもなく、
- 自分の手と力で作ったもの。
私の提案する「手作り」の定義↓
- 手作業で作ったもの。
どちらが「手作り」にふさわしいのか?
もし「手作り三原則」に従うというのであれば、本記事の企画は失敗、私の負けで結構です。
しかし私に勝たれた方は、「手作り」の料理もお菓子もほとんど存在しない、ゴミみたいな世界で余生を過ごすことになります。
それよりは、私の提案する「手作り」チョコなどに甘んじていたほうが、幸せなのではないでしょうか。
以上、賢明なるご判断を期待します。
THIS IS THE ANSWER.