夢日記が読まれない理由を説明できますか?
こんにちは、雑記ブロガーの安田尊です。
~これまでのあらすじ~ソース(英語:source、出典や情報源)の提示は、ブロガーにとって必須のスキルです。
いらないのは、「ソースの正しい書き方」みたいな、どうでもいい作法です。
ソース自体は、どんなブログにも有用であり、使わないのは損です。
と、前回の記事で述べました。
ただ前回は、「ソースの貼り方」がテーマだったため、「必須」や「有用」の説明は省略しました。
というわけで本記事では、
日記だろうが、雑記だろうが、老人のうわごとだろうが、ソースが必須+有用=必要である理由
を解説します。
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今日孫と会ってきたが……最近の若者はダメだ……オレの若い頃はもっと……うんたらかんたら
今日孫と会ってきたが……最近の若者はダメだ……こういうデータもある……
オレの若い頃はもっと……うんたらかんたら
さて問題、前者(ソース無し)と後者(ソース有り)、読み応えがあるのはどっち?
後者(ソース有り)ですよね。
後者は、ソースの提示によって、「事実ベース」という前提を作っています。
「事実」や「現実」は、情報としての強度が最高レベルの「ソース」です。
たとえば、有名な三段論法の例があります。
- 人は必ず死ぬ
- 私は人である
- 私は必ず死ぬ
完璧で美しいロジックですよね(伝統的には、哲学者のソクラテスに死の宣告を送る決まりですが、彼はもう死んでいるため不適格です)。
では、このロジックの完璧さを支えているものはなんでしょうか?
「事実」や「現実」です。
- 人は必ず死ぬ……人類史上観測されている事実
- 私は人である……医学的に認定されている事実
- 私は必ず死ぬ……事実と事実から導かれる現実
これが「事実ベース」です。
もちろん、「人は必ず死ぬ」は、現在生きている人間が全員死ななければ証明されません。
「私は必ず死ぬ」といっても、じつは私こそが、不死身の人類第1号かもしれません。
が、しかしいまのところは、そんな「例外的事実」は観測されていません。
したがって「人は必ず死ぬ」んだし、「私は必ず死ぬ」んだといえば、多くの人が納得します(反論がある方は受け付けます、200億年後に生きて会いましょう)。
そして「事実」は、日記でも雑記でも感想でも、支えてくれます。
- 事実ベースの(事実に基づいた、事実から導かれた)感想
- 事実ベースではない(事実に基づくかは真偽不明の)感想
どちらが多くの納得を得られるでしょうか?
愚問ですよね。
同じ日記・雑記・感想でも、「事実」や「現実」という後ろ楯があれば、情報としての強度が一気に引き上げられます。
そして、「事実ベース」であることを提示するための手段が、「ソースの提示」です。
2
オレはこういう事実を知っている、これがオレの見ている現実だ!!
で、ソースは?
極論、「自分が見知ったこと」は、「自分しか見たり知ったりすることができないこと」です。
なぜなら、脳みそも視界も、他人とは共有できません。
あなたは恋人と美術館デート! 同じ美術館で、同じ絵画を見ています。
でも……?
- 身長や視力が0.1違えば……
- 立ち位置が1mm違えば……
- 教養や洞察力が違えば……
見えている「事実」は違います。
しかし、こんなふうに「厳密な事実」にこだわっていると、まったく話が進みませんよね。
そこで、
一定の基準をクリアすれば、ひとまずは我々に共通の「同じ事実」として、受け入れようじゃないか!
という、共通認識があります。
たとえば、
恋人と目撃証言が一致鑑賞した絵画
などは、少なくとも恋人とは、同じ「絵画」を共有できていると見なします。
そして、さらにもっと大勢の人間と「事実」を共有したければ、
大手新聞社の配信したニュース記事
学術雑誌に掲載された査読付き論文
歴史ある出版社が編纂した国語辞書
など、事実や現実を伝える仕事、およびその成果を利用することになります。
う~ん、でもこの事件は国営放送公共放送NHKが報じているけど、NHKが報じているからって事実とは限らないよね……
とか、全部疑っていると話が進まないので、とりあえず受け入れる。
受け入れたあと、間違いが発覚すれば訂正し、NHKをぶっ叩けばいい。
情報の発信元を受け入れる基準は、これまでぶっ叩かれてきた不祥事より、積み上げてきた信頼のほうが高いか否かです。
そして受け入れた情報を、「ソース」として扱い、「事実」と見なす。
で、ソースは?
と、訊かれる(読者はいちいち直接訊いてはくれないので、そう思われる)ことを前提に、予めソースを提示しておく。
この「事実」と「自分の発信する情報」を結びつけるプロセス(過程)において、ソースの提示が必須なのです。
3
他人の夢の話ほどつまらないものはない……ブログ風にいえば、夢日記ほどつまらないものはない……と、いわれる理由もこれで説明できますよね。
「夢」は、「事実」や「現実」の対極にあるからです。
本人は「こういう夢を見た」という「事実」に基づいて忠実に話しているつもりでも、客観的には検証不可能な「作り話」にすぎません。
実際、頭のなかでこしらえあげただけの、作り話です。
しかも抽象的だし、非論理的です。
端から見れば、老人のうわごとであり、寝言であり、
最近の若者はダメだ……オレの若い頃はもっと……うんたらかんたら(ソース無し)
と、やっていることが同じです。
でもソースがあれば、
最近の若者はダメだ……
オレの若い頃はもっと……うんたらかんたら
「事実」や「現実」が助けてくれます。
「事実」さえ味方につければ、「具体」や「論理」は自ずと家来にしてくださいと頭を垂れてきます。
上記の例でいえば、
「若者はダメ」とは、
体力過去最低
読解力過去最低
であると、「事実」が教えてくれています。
これで「具体」が仲間に加わりました。
では「体力過去最低」と「読解力過去最低」を根拠に、持論を述べましょう。
オレの若い頃はもっと……外で遊んでいたし、読み書きもしていた……それなのに、いまは全部スマホだ……体力も、知力も、落ちて当然だ……いったい、息子夫婦はなにを考えているのか……スマホなんぞ、取り上げるべきだ……せめて、時間制限をつけろ……ゲームは1日1時間みたいに、スマホは1日1時間が妥当だろう……しかし、オレはそれをいえない……うるさいことをいって、息子夫婦や孫に嫌われたくはない……が、こうしている間にも、落ちていく……可愛い孫の、体力も、知力も、視力も……ダメになっていく……嗚呼、自分が情けない……本当に孫のためを思うなら、自分が嫌われ役になってでも……うんたらかんたら
はい、「論理」も仲間に加わりました。
- 事実
- 具体
- 論理
鬼ヶ島にも乗り込めそうな最強メンバーです。
「鬼に金棒」より、
事実に具体的論理。
これでぶん殴れば、日記だろうが雑記だろうが老いぼれジジイのうわごとだろうが、相手に大ダメージ間違いナシって寸法です。