ヴィトゲンシュタイン(原題:『WITTGENSTEIN』、1993年のイギリス映画、日本語字幕版)を観ました。
です。
めちゃくちゃ低予算っぽくて、映画というよりは、
う~ん、じゃあ会話劇なら、名言集いくか~。
というわけで、映画『ヴィトゲンシュタイン』より、名言を10個まとめて解説します。
では以下目次です。
人が時に愚かな事をしなければ意味ある事は何もなし得ない
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その①~
映画『ヴィトゲンシュタイン』は、このセリフで幕を開けます。
発言者は、少年時代のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン。
本作は、ヴィトゲンシュタインの少年時代~晩年(死没)を描くため、年代ごとのヴィトゲンシュタインが登場します。
神童です
これはヴィトゲンシュタイン少年の自己紹介。
神童を自称する少年は、とても愚かに見えますが、意味あることを成し遂げるためには必要だったのかもしれません。
なぜなら、
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その①~
火星人は哲学者になれないのかい
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その②~
さて、ヴィトゲンシュタイン少年は、ミスター・グリーンを名乗る謎の人物(地球外生命体?)と出会います。
そして、挨拶代わりの問答で、ミスター・グリーンに黙らされます。
そのときのやりとりが以下です。
僕は哲学者 ヴィトゲンシュタイン
あなたは?
質問していいかい
哲学者の足の指は何本?
人間と同じじゃないか
指の数くらい知ってる
火星人は 哲学者になれないのかい
ヴィトゲンシュタイン少年のミスは、「哲学者は人間(足の指が10本の地球人)」と定義してしまったことです。
「地球外生命体の哲学者」が存在するなら、「哲学者は人間」と矛盾します。
しかし、では火星人は存在するのでしょうか?(そして、火星人は哲学者になれないのでしょうか?)
ヴィトゲンシュタイン少年は、ちょっと呻いたあと、呆れたように(あるいは諦めたように)黙ります。
もしかしたら、これがのちの、あの有名なセリフに繋がるのかもしれません。
さて、みなさんも考えてみてください。
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その②~
世界は物ではなく事実でできているんですよ
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その③~
ここからは、ヴィトゲンシュタイン青年……またの名を、前期ヴィトゲンシュタインです。
前期ヴィトゲンシュタインは、イギリスのマンチェスター大学で航空工学を専攻し、挫折しました。
そして、ケンブリッジ大学で哲学を専攻し、世界的哲学者ラッセルと出会います。
ここにサイは おらんということを
この部屋にサイはいない
ラッセルは、サイの存在を形而下で(五感で、肉眼で机の下とかを覗き込んで)確かめて、サイは存在しないと論じています。
前期ヴィトゲンシュタインは、形而上(人間の知能や五感を超越しているっぽいもの。たとえば「神の存在」とか)で論じています。
そして、ラッセルが怒って去り、前期ヴィトゲンシュタインが追いかけていくと、
- ラッセルの主張……この部屋にサイはいない
- 前期ヴィトゲンシュタインの主張……形而上、「この部屋にサイはいない」は事実かどうか不明
さて、①「ラッセル」と②「前期ヴィトゲンシュタイン」、正しいのはどちらだったのか?
私たち映画の視聴者は、映画の世界や登場人物からすれば、形而上の存在です。
その私たち天使の視点(もちろん、神の視点は監督です)から見下ろせば、「事実」は……?
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その③~
世界は実際に起こる事のすべてである
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その④~
前期ヴィトゲンシュタインは、「論理ノート」を書き始めます。
論理ノートの執筆は、前期ヴィトゲンシュタインが、第一次世界大戦に志願兵として参戦している最中にも続けられました。
前期ヴィトゲンシュタインは、「戦争」をこう表現しています。
互いに相手を”バカ”
“異端”と呼び合う
そしてこの言葉が正しく、「実際に起こる事」を写し取っているなら、この言葉は「世界」を写しています。
これは「写像理論」(正しい言語は、「実際に起こる事」と1対1の関係にあり、「実際に起こる事」⇒世界を写し取る。したがって、正しい言語をすべて分析すれば、世界をすべて分析できる)の先駆けです。
のちに、前期ヴィトゲンシュタインの代表作『論理哲学論考』に収録されるその序論が、
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その④~
語りえない事については沈黙しなければならない
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その⑤~
前期ヴィトゲンシュタインの代表作『論理哲学論考』の結論です。
「語りえない事」とは、形而上の命題(たとえば、「神は存在するか否か」など、人間の知能や五感では真偽不明の問題。人間の能力を超えた問題を、人間の言語で扱うのは無理があり、正しくない言語)です。
この結論は、全期ヴィトゲンシュタインを通して最も有名な言葉ですが、本作では姉のヘルミーネに酷評されています。
訳の分からない本を書いといて
ちなみに余談ですが、このシーン、無意味に女性の裸体が登場するので気をつけてください(姉ヘルミーネが素人画家で、被写体の女性モデルが脱ぎます。おっぱい丸出し。巨乳。乳首ピアス)。
しかし、この女性のおっぱいには、本当に「意味」がないのでしょうか……?
その答えを、監督のデレク・ジャーマンのみぞ知るなら(あるいは監督すら知らないなら)、私たちにはなにが語れるのか……?
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その⑤~
私の言ってる事が分からんか!
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その⑥~
今度は若干「名言」と呼ぶのは憚られるセリフですが、ヴィトゲンシュタインの苦悩を端的に言い表しているため紹介します。
前期ヴィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』で一仕事を終えて、田舎で小学校教師になりました(中期ヴィトゲンシュタインへ)。
そして、平均的な子どもが論理学も数学もできないことを知ると、発狂して挫折します(どれぐらい発狂したのかというと、片手で鉛筆を握りしめて折ったり、右手で女子生徒の髪か耳のあたりを摘まみ上げながら左手で机を強く叩いたりしたぐらい)。
分かるかね 私の言う事が分かるか
時間のムダだ 私のも君のも
みんなの時間がムダだ
※詰めている相手は女子小学生です(鉛筆を折りながら体罰を加えながら台パンしながら)。
こんなの、大学生でも泣いちゃうんじゃないの?
でも、
ヴィトゲンシュタインの人生は、他人からの無理解に苦悩する人生でした。
世界有数の頭脳ラッセルでさえ、『論理哲学論考』に寄せた序文で、「何も分かってない」ことを露呈しました。
家族も恩師も教え子も、だれもヴィトゲンシュタインの言葉を理解しないのです。
~姉に「田舎の教師なんて!」と理解されなくて~
外の人間の動作が 分からぬ人のようだ
強風でよろめいてるのか
体が悪いだけなのか 判別できないのだ
~姉に『論考』を「自費で出版できたのに」といわれて~
分からんのか
~ラッセルに「哲学をばかにしとる」といわれて~
なぜ分からんか!
問題は、ヴィトゲンシュタインの言葉が理解できない私たち(小学生からラッセルまで)にあるのか?
それとも、「私たちがヴィトゲンシュタインの言葉を理解できないこと」を理解できない、ヴィトゲンシュタインに問題があるのか?
いや問題は、「言語の壁」や「言語の限界」で、ヴィトゲンシュタインはその壁が崩せないことに苦しんでいました。
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その⑥~
哲学は周知の事実を述べる
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その⑦~
哲学者のジョニーは、ヴィトゲンシュタインから哲学をやめるように忠告され、世界的経済学者のケインズに相談します。
ただそれだけの話ですが、世界的学者たちの会話劇において、私には一般人に近いジョニーの感想が一番共感できました。
「私の言ってる事が分からんか!」とかいわれても、わからないものはわからないし、
とかって、私たちにわかる範囲でいえば、まあ当たり前の話ですよね。
それを高度に理論化したり、論理的・数学的に記述したりした過程は、天才の仕事かもしれませんが……。
と同じ結論は、ヴィトゲンシュタインより2000年以上前の人間でも到達しています(孔子「怪力乱神を語らず」)。
それに「方言」を知っている人間なら、それはその地方の生活ルールに密着していなければ、言葉の意味がわからないことも知っているでしょう(言語ゲーム)。
つまり、どういうことかというと、
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その⑦~
神が到着した
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その⑧~
ケンブリッジ大学教授のケインズは、同大教授のラッセルと手を組み、「天才」と崇めるヴィトゲンシュタインをケンブリッジに呼び戻しました。
5時15分の汽車で到着したのは、中期ヴィトゲンシュタインです。
「神」は、存在するのか否か……その答えは、ケインズにとっては簡単でした。
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その⑧~
様々な言語ゲーム
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その⑨~
さて、後期ヴィトゲンシュタインの代表的な理論、「言語ゲーム」です。
「言語ゲーム」によって、前期の「写像理論」は否定されます。
たとえば、
というセリフの「神」は、1対複数の関係で、いろいろな意味を持ちます(「神」は、特定の普遍的な神と1対1の関係にあるわけではない)。
上記の場合、一般常識および「経済学者ケインズと哲学者ヴィトゲンシュタイン」というルールを知っていれば、複数の「神」から意味を特定できます(前項目参照)。
逆に、言語のルールを知らなければ、「神」は意味不明です。
内容は分からないだろう
- 人間……人間世界のルールで話す
- ライオン……ライオン世界のルールで話す
人間の「遊び」と、ライオンの「遊び」は違うし、人間同士でも「遊び」は「女遊び」から「ゆとり」までさまざまな意味があります(方言、業界用語、スラング……etc)。
日本語を話す日本人でも、京都市内に住んでいなければ、京都市民の言葉は異世界人の言葉に感じられるはずです(「京都市民」や「京都市内」がどこからどこまでを指すのかは、住所や地図を読んでもわかりません)。
このように、人々が自分たちの属する生活ルールに則って、言葉をプレイする様子こそ、
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その⑨~
世界を一つの論理にしようとした若者がいた
~映画『ヴィトゲンシュタイン』の名言その⑩~
頭のいい彼は その夢を実現し
一歩下がって出来栄えを見た
美しかった
不完全も不確実なものもない世界
若者は自分の世界を 探検することにした
踏み出した彼は 仰向けに倒れた
摩擦を忘れていたのだ
氷はつるつるで汚れもなかった
だから歩けない
若者はそこに座り込んで 涙にくれた
ザラザラは欠点ではなくて 世界を動かすものだと
彼は踊りたくなった
地面に散らかった物や言葉は
汚れて形も定かでなかった
賢い老人は
それが あるべき姿だと悟った
そこでは すべてが輝き
純粋で絶対だった
ザラザラの地面はいいが 彼には住めなかった
それで 彼は地面と氷の間にいて
どちらにも安住できなかった
まとめ:僕の哲学の最も大事な部分は決して書かれまい
- 初期「人が時に愚かな事をしなければ 意味ある事は何もなし得ない」
- 不明「火星人は哲学者になれないのかい」
- 前期「世界は物ではなく 事実でできているんですよ」
- 前期「世界は 実際に起こる事のすべてである」
- 前期「語りえない事については――沈黙しなければならない」
- 中期「私の言ってる事が 分からんか!」
- 凡人「哲学は周知の事実を述べる」
- 友人「神が到着した」
- 後期「様々な言語ゲーム」
- 終幕「世界を一つの論理にしようとした若者がいた」
以上です。
さてしかし、このなかにひとつでも、ヴィトゲンシュタインを理解したセリフがあるでしょうか?
人 文化 空気
すべて違ってしまう
たしかにヴィトゲンシュタインは、映画化してしまったし、日本語化してしまいました(挙げ句の果てに、かわいいイラスト化まで!)。
かわいそうなヴィトゲンシュタイン、そりゃ死にたくもなりますよね。
「余生はどうなさるの?」と訊かれて、
と答えたやりとりは、シュールで笑えました。
私は史実のヴィトゲンシュタインが自殺しないことを知っていたし、「余生」を「まず自殺」で過ごすのは、矛盾しているからです。
でもそのあと、私の頭のなかに住むヴィトゲンシュタインがいいました。
- 自殺……自ら生命活動を停止する
- 自殺……前期ヴィトゲンシュタインを殺す
残念ながら、ヴィトゲンシュタインがどういう意味で「自殺を決意した」のか、私にはわかりません。
それでも、私がヴィトゲンシュタインの言葉を扱うのは、
からです。
以上、愚かなまとめ記事でした(なぜなら私は、『論理哲学論考』も『哲学探究』も、理解以前に読んでいないのです。でもヴィトゲンシュタインは、許してくれるでしょう。なぜなら、「僕の哲学を無理に人に読ませる気はない」)。
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、オーストリア出身の世界的哲学者。安田尊@前期ウィトゲンシュタインを謳うブログ。前期ウィトゲンシュタイン安田尊@後期ウィトゲンシュタインを謳うブログ。後期ウィトゲンシュタイン[…]