クルアーン(イスラーム教の聖典、創造神アッラーの言葉)を読んでいたら、
って書いてありました。
いや、正確には書いていないんですけど、一言で要約するとそう書いてありました。
ということは、
すごい!!
誹謗中傷問題が一瞬で解決した!?
みなさん、これが神の御業です。
というわけで本記事では、中田考監修『日亜対訳 クルアーン』を参考に、
- 『日亜対訳 クルアーン』より第104章「中傷者たち」の解説
- 『クルアーン』とは?「神の言葉」!神の存在証明!奇跡!
- 「神の言葉」と「人の言葉」信じる価値があるのはどっち?
以上を解説します。
では以下目次です。
『日亜対訳 クルアーン』より第104章「中傷者たち」の解説
マッカ垂示
誹謗中傷、貪欲吝嗇が譴責されることに因み「中傷者たち」章と名づけられる。
(つまり)財を集め、その勘定にふける者(に)。
彼は己の財が己を不滅にすると考える。
断じて(財によって不滅になることはなく)、彼は必ずや破砕器に投げ込まれる。
破砕器とは何であるのかを、何がおまえに分からせたか。
(それは)焚きつけられたアッラーの火、
(それは)心臓まで這い上がる(もの)。
それは彼らの上で閉じられている。
張り広げられた列柱の中に。
- 考える……あるいは、「…と考えながら(勘定にふける)」。
- 破砕器……火獄の別名。食い尽くすもの。あるいは火獄の門の名前とも、火獄の層の名前とも言われる。
- 焚きつけられた……激しく燃え消えることのない。
- 列柱……「(彼らは、あるいは火は、その時)…列柱の中に(いる、あるいはある)」。
以上が、中田考監修『日亜対訳 クルアーン』第104章、「中傷者たち」です。
ちなみに、
- 誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)……「誹謗」は悪口、「中傷」は根拠のない言葉で他人の名誉を傷つけること。
- 貪欲吝嗇(どんよくりんしょく)……「貪欲」は強欲や欲深い様子、「吝嗇」は物惜しみ、ケチ。
- 譴責(けんせき)……不正や過失などを戒めて責任を取らせること。
です。
要するに、『クルアーン』第104章、「中傷者たち」を一言で解釈すると、
って書いてあります。
『クルアーン』は、「神の言葉」そのものであるため、信徒の読誦用に客観的な表現が用いられている場合でも、
- 「災いあれ」⇒「災いを与える」
- 「投げ込まれる」⇒「投げ込む」
と、神視点で解釈するのが妥当でしょう(全知全能の神が法則に従うわけはなく、全知全能の神が法則を従えているはずだからです)。
そして、「破砕器」や「火獄」は、イスラームにおける「地獄」の表現であるからして、
これが『クルアーン』第104章、「中傷者たち」の日本語における解釈です。
そしてここで、「解釈」を連呼して回りくどい表現をしているのは、
という原理的な性質を保持しているためです。
少しややこしいですが、この原理的な性質を担保として、『クルアーン』は「神の言葉」たりえます。
では次に、『クルアーン』が「神の言葉」であるということについて、軽く解説しましょう。
『クルアーン』とは?「神の言葉」!神の存在証明!奇跡!
上記は、イスラーム学の世界的権威、ワフバ・アッ=ズハイリー博士による『クルアーン』の解説です(中田考監修『日亜対訳 クルアーン』添付の推薦状より。日本語訳)。
一言でまとめると、
ってことをいっています。
『日亜対訳 クルアーン』の共著者、下村佳州紀氏による序文から掻い摘まむと、たとえば仏教の経典、
- 般若経
- 法華三部経
- 浄土三部経
などは、ゴータマ・シッダッタ(仏教の開祖、釈迦)の教えではなく、後世の二次創作です。
キリスト教の聖書、
- 旧約聖書
- 新約聖書
も、イエス・キリスト(キリスト教の開祖、神)の言葉は一部に留まり、預言者や預言者以外の記者やイエスの弟子たちの言葉が多分に含まれています。
一方で、
- 創造神アッラー
- 大天使ジブリール
- 預言者ムハンマド
以上の順番で地上に伝えられ、預言者ムハンマドの預かった「神の言葉」だけが、一字一句違わずに現代まで伝承されています(予言者ムハンマド以下、あらゆる人間の語りや編集句は排除され、アッラー自身の『クルアーン』ではない言葉も排除されています)。
したがって、
中田考監修『日亜対訳 クルアーン』も、本来の意味での『クルアーン』ではありません。
神は日本語で喋っていませんし、注釈もつけていないからです(『クルアーン』の内容に翻訳や注釈が加えられているものは、「解説」⇒「タフスィール」)。
また、そもそも文字に変換した時点で、本来の意味での『クルアーン』ではありません。
神は文字で啓示していませんし、
したがって、「クルアーンの内容を書物などに記録したもの」は、「紙に記入されたもの」⇒「ムスハフ」として区別されます(ただし、『クルアーン』はムスハフのタイトルとしても用います)。
ややこしいですよね。
しかし、ここまでの厳密な区別を余儀なくさせる言葉と、その保存に成功しているからこそ、
と、考えられるのです(たとえば言葉の保存の難しさは、最近某国政府が平気で公文書を改ざんしたり破棄したりして証明しましたよね)。
一旦まとめると、『クルアーン』が奇跡である理由は3点、
- 創造神アッラー自身が下した言葉だから(預言者や学者の解釈ではなく、「神の言葉」そのものだから)
- 預言者ムハンマドが肉声で伝え、現代まで損なわれていないから(編集者などに改変されていないから)
- あらゆる学者や詩人が太刀打ちできない正確無比かつ芸術的詩文(なお預言者ムハンマドは商人で文盲)
です。
ってことです。
これで連想するのは、インドの数学者にシュリニヴァーサ・ラマヌジャンがいて、
彼自身、発見する公式が正しい理由がわからず、
「(ヒンドゥー教の)女神が夢の中で正しいと言っていた」という納得の仕方をしていた。
彼は短い生涯で3254個の公式を発見した。
その超越的な公式は現在ではほぼ証明されているが、
その公式に至る経緯が全く謎であり、数学の知られざる鉱脈として考えられている。
という紹介で有名ですが、やっていることはムハンマドもラマヌジャンも同じですよね。
ちなみにラマヌジャンは、ケンブリッジ大学数学教授のG.H.ハーディとの共同研究によって、世に奇跡を知らしめました。
一方でムハンマドは、『クルアーン』およびイスラーム教の布教で、世に奇跡を知らしめました(2021年時点における世界のイスラーム教徒人口は、約16億人~20億人)。
「神の言葉」と「人の言葉」信じる価値があるのはどっち?
って私は思います。
だって、
↑これを信じないわけじゃん?
「神様」も「地獄」も信じないんでしょ?
それなのに、
↑これは信じるの??
なんで??
「神様」も「地獄」も信じないのに、なんで「人の心」は信じちゃうの????
↑これ、嘘かもよ?
本当は「心」も「心の傷」も存在しなくて、被害者ぶるために嘘ついてるだけかもよ?
だって自己申告じゃん。
預言者ムハンマドが、
っていってるのと同じじゃん。
真偽不明でしょ、他人からすれば。
つまり百歩譲って、自分は自分に「人の心」があるってわかるからって、
だからよく、いまでいえば小室圭・小室眞子夫妻とかに対して、Yahoo!ニュースのコメント欄で誹謗中傷を連投して基準値超えの違反コメントを検知されてAIにコメント欄を閉鎖されまくっているような人たちに、
だから誹謗中傷はなくならないんです、本当に相手が傷ついているかどうかがわからないし、実感もないから。
それに自分だけは、
それなのに、無敵で無宗教なはずの日本人の信仰ときたら、
- 「神様」……信じない
- 「地獄」……信じない
- 「人の心」……信じる
- 「人の口」……信じる
↑このチグハグさ、かなりマヌケじゃない?
ねえ、どうせなにかを信じるんだったら、
「人の心」は確かめられないけど、『クルアーン』が存在することは確かめられます。
そして『クルアーン』は、禁止にあたって「人の心を傷つけるから」なんてふわふわした理由を添えません。
これだけ。
理由がないから隙もない、すべては神様の言う通り。
この『クルアーン』のほうが、よっぽど単純明快で、完成されたロジックだとは思いませんか?
まとめ:中田考先生は破砕器に投げ込まれるんじゃないか?
- イスラーム教の聖典『クルアーン』とは、「創造神アッラーの御言葉」
- アッラー曰く、「災いあれ、悪口を言う者たち、中傷者たちすべてに」
- つまりみんなでアッラーに服従すれば、この世から誹謗中傷は消える!
以上です。
私はこの記事を書いている間、ずーっと頭に鳴り響いていたセリフがふたつあるんですが、
不可能だという点に 目をつぶればよぉ~~
まずこれが1個目。
で、2個目は、
私この言葉が大好きなんですが、ほかでもない、中田考先生の言葉です(中田考『みんなちがって、みんなダメ』第1章)。
中田考先生は、『日亜対訳 クルアーン』の監修も務めたイスラーム法学の世界的権威で、日本人ムスリム(イスラーム教徒)ガチ勢です。
そしていうまでもなく、「バカ」は悪口です。
あれ? ということは……、
(つまり)財を集め、その勘定にふける者(に)。
彼は己の財が己を不滅にすると考える。
断じて(財によって不滅になることはなく)、彼は必ずや破砕器に投げ込まれる。
破砕器とは何であるのかを、何がおまえに分からせたか。
(それは)焚きつけられたアッラーの火、
(それは)心臓まで這い上がる(もの)。
それは彼らの上で閉じられている。
張り広げられた列柱の中に。(『クルアーン』第104章、「中傷者たち」)
先生……!?
中田考先生、ガチのイスラーム教徒なのに破砕器に投げ込まれるじゃん。
私は考えました、この問題を解決しないことには、全人類がイスラーム教徒になれば誹謗中傷がなくなるなどとは口が裂けてもいえません。
- 「バカ」は悪口だが、処罰される閾値には達していない説
- 「バカ」は悪口だが、中田考「あなたが不幸なのはバカだから」や茨木のり子「自分の感受性くらい、自分で守れ。ばかものよ」のように、事実の指摘や教育的示唆を含む場合は悪口にカウントされない説
おお、我ながらどちらも説得力があります。
まず①……、
たとえば警視庁がSNSの誹謗中傷を苦に自殺したと考えられる女子プロレスラー、木村花氏に関する投稿を1200件調べ、そのうち特に悪質で侮辱罪の疑いを認定したのが30件(10アカウント)、そのうち実際に侮辱罪で立件したのはたったの2人です(2021年10月時点)。
侮辱罪で裁かれたケースは、悪口の最上級「死ね」を含む侮辱表現を複数用いており、悪口の最下級「バカ」程度で裁かれるのは相当難しいと考えられます。
ソース:木村花さんを侮辱した容疑、男を書類送検 2人目の立件 – 朝日新聞デジタル – 2021年10月30日閲覧。
次に②……、
ばか【馬鹿/×莫×迦】 の解説
ソース:馬鹿/莫迦(ばか)の意味 – goo国語辞書 – 2021年10月30日閲覧。
[名・形動]《(梵)mohaの音写。無知の意。「馬鹿」は当て字》
(中略)
[補説]元来は相手をののしる言葉であるが、相手に対する思いやり、親しみ・愛情の気持ちを込めて用いることもある。「―だな。そんなに思いつめなくていいのに」など。また、「―! あきらめるな」のように、否定や批判などの意で、感動詞的にも用いられる。
実際、中田考先生の、
というセリフは、私の座右の銘候補No.1で、隙あらば頭のなかに中田考先生を召喚してリピートしています。
だってそのとおりだもん。
自分が不幸を感じていて、その不幸を解決できない無能なさまは、まさにバカ丸出しで笑えます。
さてしかし、中田考先生の来世における処遇はアッラーが決めることであって、日本の法律や辞書や中田考先生(イスラーム法学の世界的権威)の見解すらも役に立つかどうかはわかりません(ここまで語っておいてなんですが)。
しかし確実に、ひとつの具体的な解決策でもあります。
論拠も行動の指針も具体的な実践方法も、すべて兼ね備えたロジックです。
飲み会で悪口大会を開催しているような酔っ払いの中傷者たちは、全員地獄に落ちます(二重の意味で)。
こうした規範の相互作用こそが、宗教の実践的な強みです。
だからこそ、
以上、中田考監修『日亜対訳 クルアーン』の読書感想文でした!