映画「101」はディズニーのアニメーション映画「101匹わんちゃん」の実写版リメイクです。
当ブログは2019年大晦日に100記事を達成し、次に投稿する記事は101記事目です。
そこで私は子どもの頃に観た映画「101」のことを思いだしました。
映画の内容は「白黒ブチ模様の可愛い犬が101匹登場する」ぐらいしか覚えていませんでしたが、
という漠然とした記憶があり、しかも大晦日の翌日は01月01日、「101」が含まれています。
もちろん私は01月01日に映画「101」を観て同日すぐに感想記事をアップする計画を立て、実行に移しました。
したがって映画「101」は息抜きの娯楽として鑑賞するのはオススメできません。
詳しい解説は以下でいたします。
映画「101」の簡単なあらすじ
まずは映画「101」の簡単なあらすじをご紹介しましょう。
主要な登場キャラクターは以下のとおりです。
- ポンゴ……犬側の主人公。ダルメシアンの成犬♂
- ロジャー……人間側の主人公。ポンゴの飼い主でゲームデザイナー♂
- パーディタ……犬側のヒロイン。ポンゴが一目惚れしたダルメシアン♀
- アニタ……人間側のヒロイン。パーディタの飼い主でファッションデザイナー♀
- クルエラ・デ・ビル……本作のラスボス。アニタが勤務するファッションデザイン会社の社長♀
さて、物語は上記のダルメシアン♂がダルメシアン♀に一目惚れしてくっつき、ついでに飼い主の♂と♀もくっつき、ダルメシアンは子犬を15匹産みますが、子犬たちはその毛皮が目当てのクルエラに強奪されるところまでが前半です。
後半、ポンゴは街に向かって吠え、その呼びかけは連鎖し、犬種はもちろん、哺乳類も鳥類も分け隔てなく動物たちは一致団結し、悪に立ち向かいます。
そして見事、動物たちは囚われた子犬をすべて奪還し、クルエラたちを散々懲らしめた挙げ句、逮捕へと追いやりましたとさ、めでたしめでたし。
ああ、いい話だなあ……表向きは。
映画「101」の登場人物は無能
さて、では私が落ち込んだ理由を説明していきましょう。
まず映画「101」に登場する人間たちは基本的に無能です。
ここでいう無能とは、作中における社会的ステータスは無関係です。
でもクルエラは無能です。
たとえばクルエラの愚行として、
- 密猟業者に依頼して動物園で飼育されている貴重な(つまり事件として大注目を浴びることになる)シベリアン・ホワイト・タイガーを殺害して皮を剥ぎ取らせたり、
- 部下のアニタ(人間側のヒロイン)が飼育する予定の子犬15匹を買い取ろうとして失敗、その場でアニタはクビ、子犬は後日すべて手下の犯罪者コンビに盗ませたり、
するなど、ハイリスクな犯罪を連発しすぎて最後は捕まります。
そして飼い犬は飼い主に似るといいますが、クルエラが飼っている手下どももアホ揃いです。
- クルエラの執事……ゲストにお茶もまともに出せない無能、イエスマン、指示待ち人間。
- クルエラが懇意にしている密猟業者……犬にクビを噛まれた後遺症で喋れなくなったマヌケ、しかもそのことをタブーにして話題にされると不機嫌になるアホ。
- クルエラ配下の犯罪者コンビ……ギャグ要員、特に片割れは上記の密猟業者と会う際にタブーを犯さないよう説明を受けて了承したにも関わらず十秒後にはタブーを犯しているアホ、その後強盗に挑む際には相方が被ろうとするストッキングに自らも頭を突っ込むなど、正気の沙汰ではない。
そしてそんな無能な悪役たちに子犬を15匹も奪われた人間側の主人公ロジャー、彼も無能です。
このロジャー、一応人間側の主人公ポジションです。
なのに子犬泥棒の発覚後、警察への通報と事情聴取を終えたあと、なんていうと思います?
ネガティブ!!!!
なんだこいつ!?
めっちゃ諦めるの早い上に畳みかけてくるやん!!
え、待って、こんな無能いる?
せめて子犬たちを探して、本当は無理だと認めそうになりながらも希望を捨てずに街中を駆けずり回って、それでも見つからなくて絶望するならまだわかるよ、でもまだ警察に通報しただけだよ?
まあそれでもね、最低限警察に通報はしたんだから、あとは警察を信じよう、っていうならまだわかるよ?
なにこれ?
なにが「警察でも無理さ」だよ、これもう子犬が15匹も産まれちゃって表面上は喜んでいたけど内心は全員消えてくれと願っていたら本当に消えてくれて一安心しているサイコパスだろ。
しかもアニタはアニタで、子犬たちが盗まれてだいぶ経ってからクルエラの狙いに気づくという鈍感ぶり。
いや、最初からわかってたよね?
マジでビックリした、だって、
- アニタがペットのダルメシアンをモチーフにした服をデザインする
- クルエラがダルメシアンの柄を気に入って高笑いする
- クルエラ「だって、このコートを着ると、あなたの犬を身につけてるようなんですもの。オホホホホホホホホ、オホァホホホホ、ウォウウォウ(犬の鳴き真似)、アッハッハッハッハッハッハッハッハハ、アハハハハハハハ、アハハハハ……!」
- アニタの飼っているダルメシアンが子犬を15匹産む
- 直後、アニタたちの家にクルエラが乗り込んできて子犬たちを売り渡すよう要求
- 拒否するとアニタはクビ、家に強盗が入り子犬だけが盗まれる
この翌日の夜ですよ?
アニタがクルエラの目的に気づいたの、上記六番の強盗が入った日の翌日の夜。
いやわかるやん、クルエラが子犬を15匹も要求してきた時点で毛皮のコートに仕立てたいの丸分かりやん、でもわかってなかったんだ……。
じゃあ逆に訊きたいんだけど、どうしてクルエラがダルメシアンの毛皮について何度も何度も執拗に質問を重ねて、ダルメシアンの成犬ではなく子犬だけがコートに適した毛皮であることを確認した上で、相場の二倍の値段でダルメシアンの子犬だけを15匹も売れと要求してきたと思ったの?
あのさ、はっきりいってそれわからないなら犯罪者コンビの頭が悪いほうと同レベルの知能だぞ?
……と、ディスるのはこのへんにして、以上でおわかりのとおり、映画「101」に登場する人物たちは主人公側も悪役側も無能しかいません。
人間は無力です。
さて一方で、犬たちは……?
映画「101」動物は魔法使い
映画「101」に登場する犬を始めとする動物たちは、とてもファンタジックに活躍します。
例を挙げましょう。
- 人間の言語を理解し、動物同士では種族問わず相互理解が可能なコミュニケーション能力
- リード(紐)で繋がれた自転車を乗車する人間ごと引っ張り、フルブレーキをかけられながらも数百メートル爆走、最後はリードをぶっちぎる脚力
- 連携プレイで悪人たちを欺き、アジトに潜入後は次々とトラップを仕掛け、追っ手をハメながら子犬たちを救出する知能
ね、すごいでしょ?
以上を一言で表せば、
です。
この「魔法」は、映画「101」において一番楽しい要素です。
愛くるしい動物たちが、人語を解し、強靱な身体能力を発露し、仲間のために一肌脱ぎ、一致団結して悪を懲らしめる……最高ですよね。
子ども時代の私も、この「魔法」に魅せられたはずです。
でも大人となったいまでは、この「魔法」こそが一番ツラかったです。
先述したように、映画「101」に登場する人間たちは無能で無力です。
つまり人間は等身大なんです。
一方で動物たちは魔法を使う。
言い換えれば、
ということは、魔法を使わなければ悪役が倒せないなら、この現実世界に救いはありません。
そう、たしかに私たちが生きる現実世界では、今日も動物たちが残酷な運命を全うしているはずです。
なんて虚しい映画なんだろう……。
そう思わずにはいられませんでした。
作中で悪役たちがどれだけ制裁を受けようと、私はただただ虚しさしか感じませんでした。
映画「101」の裏設定と解説
以上の理由により、映画「101」は等身大の悪人と魔法使いの動物が戦う物語です。
作中ではこんなセリフも登場します。
でも私たちが生きる現実世界に、人間の悪意を嗅ぎつけたり、悪人と戦ってくれたりする魔法の力はありません。
なのに、作中においてはラスト、悪役たちが逮捕されて護送される車内でこんなやりとりも見られます。
本当に虚しいですね。
ファンタジーの世界で犬たちが特殊能力を持ち、人間に知恵比べで勝つからこそ、
という疑問がより鮮明に浮き彫りとなります。
ディズニーはこの映画「101」を、わざとこうした解釈ができるように制作したのでしょうか?
おそらくそうだと思います。
ディズニーは一応、表向きはご家庭に夢と希望とハッピーエンドをお届けする優良企業です。
ええもちろん私は、ディズニーが途上国の児童を奴隷扱いして違法な労働に従事させているというレポートや、日本においてもディズニーランドにおけるブラックバイト問題があり、ネット上でステルスマーケティングに勤しんでいることだって忘れていません。
私はディズニーが、まさしく薄汚いネズミの如く這い回っている姿をちゃんと見ています。
ですから、そんな我らがディズニー映画である以上、結末は必ずハッピーエンドでなくてはなりません。
強奪されたわんちゃんたちが全員生皮を剥がされ、コートにされ、クルエラに羽織られるような結末は許されません。
しかし、その上で「残酷な現実」も描くとすれば、「人間対人間」にしなければいい。
最後は正義が勝つけれど、「正義の人間」が勝たなければ「残酷な現実」は描けます。
だからこそ、映画「101」の人間、特に主人公たちは徹底的に無能として描かれ、活躍の場を与えられてはいません。
そして「正義の人間」である警察も、魔法使いにコテンパンにやられたあとの悪人たちを回収するだけで、いわば後始末をする役回りしか与えられていません。
このように、あくまで飼い主や警察の手を借りず、動物たちが自力で悪を倒すストーリーになっているのは、
- 「正義の人間」に勝利の栄光を与えず、
- 「魔法使い」が勝利する虚構を映した
かったからにほかなりません。
映画「101」の感想と解説まとめ
さて、ではまとめましょう。
- 映画「101」で表現される「人間の悪意」は現実に存在するもの
- 一方で悪意に勝利する「動物の魔法」は現実には存在しないもの
- 「悪意」に勝てるのが「魔法」だけだとすれば、現実は救えない
私は上記の現実を再認識してしまい、憂鬱な気持ちに沈み込みました。
でも子供の時分にはなんの疑いもなく楽しめたはずですし、実際魔法のように動き回る動物たちはとても可愛らしく、日本語吹き替え版であればクルエラ・デ・ビルの声を担当されている山田邦子さんの名演も光っています。
ですから映画「101」は子どもたちに、子どもたちだけで鑑賞させてあげましょう。
くれぐれも大人になってから観たり、親子で観たりは控えるように……後悔しますよ。
というわけで総評です。
評価: 5.0ただし、深読みすると後悔するので、勘のいいガキには鑑賞させないようにしましょう。
以上、映画「101」のレビューでした。
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