読書感想文の提出を求めたり、求められたりしているときに、
みたいな話題をたまに見かけます。
でも私がブログで読書感想文や映画感想文を書いていて思うのは、
ってことです。
私はむしろ、「あらすじ」だけの読書感想文などを取り上げて、日本人の国語力の低下を嘆いている人間とかを見かけると、
って思います。
というわけで本記事では、読書感想文や映画感想文が「あらすじ」だけで良い理由を3点、
- 「あらすじ」とは、「あらすじの作者が、特に重要だと感じた点の要約」である
- 「あらすじの作者が、特に重要だと感じた」なら、「作者の感想」を含んでいる
- 「あらすじ」が「感想」を内包する以上、感想文はあらすじだけで完成している
以上を解説します。
では以下目次です。
「あらすじ」の意味は?あらすじの書き手が重要だと感じた要約
あら‐すじ〔‐すぢ〕【粗筋/荒筋】 の解説
ソース:粗筋/荒筋(あらすじ)の意味 – goo国語辞書 – 2021年11月18日閲覧。
およその筋道。あらまし。概略。特に、小説・演劇・映画などのだいたいの内容。梗概 (こうがい) 。「前号までの物語の―」
あらすじ ‥すぢ【粗筋・荒筋】
ソース:岩波 国語辞典 第七版 新版 – 株式会社岩波書店
大体の筋道。概略。また、梗概(こうがい)。
⇒概略
⇒要約
はい、というわけで本記事用にまとめると、
だといえます。
少し補足すると、ここで要約されるのは、ストーリーのプロット(物語の筋)です。
したがって、
です。
ちなみに「要約」は、得た情報のなかから要点だけを掻い摘まんだり、必要な箇所だけをまとめたりする行為をいいます(いま私が「あらすじ」でやったように)。
だからストーリーを一から十まで全部説明してしまうと、それは要約ではないため、「あらすじ」でもありません。
「あらすじ」から「あらすじの書き手の感想」が読み取れる実例
でも人によっては、
- 小説や映画は、テーマやジャンルこそが最重要である
- 小説や映画は、世界観や舞台装置こそが最重要である
- 小説や映画は、オチやカタルシスこそが最重要である
という考え方もありますよね。
あるいは同じ人間でも、作品ごとに重視するポイントが違ってもおかしくはありません。
そしてそれぞれ、あらすじの書き方は異なるでしょう。
スーサイド・スクワッド(原題:『Suicide Squad』、2016年のアメリカ映画、日本語吹替版)を見終わる直前、安田尊@スタンディングオベーションを謳うブログ。終わり方が最高に好きな映画……!!安田尊@着席を謳[…]
上記の分類でいえば、③「オチ最重要」を採ったため、私の基本姿勢とは異なる構成になったわけです。
以下、当ブログの『スーサイド・スクワッド』感想記事から、あらすじの1行目を抜き出しましょう。
この文章自体は、なんら主観的な感想が含まれていない、映像の客観的な言語化です。
しかし、上記の文章を分解すれば、
- 映画『スーサイド・スクワッド』が終わる直前……エンディングの説明
- 刑務所「ベル・レーヴ 極悪犯収容施設」が映されて……舞台の説明
- Queen『Bohemian Rhapsody』が流れる……劇伴(挿入歌)の説明
という構成になっていますよね。
真っ先に、①「エンディングの説明」から入っています。
という読解が成り立ちますよね。
そして最初の1行に含まれている、
- 「舞台」
- 「劇伴」
も、欠かせない要素だと思っているはずです。
では全部で15行しかないあらすじなので、この調子で全部読解していきましょう。
映画『スーサイド・スクワッド』のあらすじから感想の解説
1行目の読解……いきなりエンディングの描写から入っていることから、「私」⇒「あらすじの作者」が、特にエンディングを重視していることがうかがえます。
2行目の読解……早くも主人公が登場、主人公も重要ですよね。
3行目の読解……だから私が感じている主人公の魅力を垣間見せるために、主人公のキャラクター性(刑務所の独房にぶち込まれながらも、アメリカ政府のために働き、専用のエスプレッソ・マシーンと官能小説を楽しんでいる異常性)を伝えています。
- 4行目……「スーサイド・スクワッド(決死部隊)」のほかのメンバーも、それぞれ自分の独房でくつろいでいる。
- 5行目……ハーレイ・クインは立ち上がって、エスプレッソをお代わりするために、エスプレッソマシーンを操作し始める。
4行目の読解……さて、主人公は重要でしたが、私は「ほかのメンバー」のことも重要だと思っているでしょうか?
5行目の読解……「ほかのメンバー」のことも重要だと思っていたら、5行目でメンバーの名前やキャラクター性を説明しますよね。
しかし、「ほかのメンバー」のことはまとめて一言で切り上げて、主人公ハーレイ・クインの描写に戻っています。
ではこの4行目の存在意義はといえば、「スーサイド・スクワッド(決死部隊)」というタイトルの説明です。
私はタイトルも重要だと思っています。
そして「スクワッド(部隊)」というからには、「ほかのメンバー」もいるでしょうから、申し訳程度に状況描写を添えたのでしょう。
もちろん、「ほかのメンバー」とすら描写されないほかの登場人物については、もう本当に触れる価値がないと思っています。
- 6行目……『Bohemian Rhapsody』はサビに突入して、
6行目の読解……1行目にも登場した『Bohemian Rhapsody』が登場して、私が特にこの楽曲に注目していることがわかります。
7行目の読解……『Bohemian Rhapsody』の歌詞まで抜き出して、私は本当にこの楽曲が気に入っているようです。
8行目の読解……部隊舞台の説明、のちの「あらすじ」に必要な状況描写。
9行目の読解……主人公の説明、刑務所の独房で専用のエスプレッソ・マシーンと官能小説でイキっているくせに、爆発にビビって地声が出ちゃうハーレイ・クインちゃんの可愛さをカットするなんてとんでもない!
- 10行目……特殊部隊は、銃を乱射して警備を一掃すると、電動カッターでハーレイ・クインを閉じ込めている檻を切断する。
- 11行目……特殊部隊のうちのひとりが、ハーレイ・クインの独房に侵入して、フルフェイスの特殊部隊用ヘルメットを外す。
- 12行目……死んだと思われていたジョーカー(ハーレイ・クインの恋人、バットマンの宿敵、サイコパスの王)の顔が露わになり、ハーレイ・クインは歓喜に沸く。
10行目の読解……のちの「あらすじ」に必要な状況描写。
11行目の読解……のちの「あらすじ」に必要な状況描写。
12行目の読解……私は、「ジョーカー」のことは重要だと思っているでしょうか?
主人公ハーレイ・クインや、「ほかのメンバー」の扱いに比べてどうですか?
「ジョーカー」のキャラクター説明は、主人公ハーレイ・クインとの対比(サイコパスの女王に対する、サイコパスの王)ですよね。
また、「死んだと思われていた」という説明は、ジョーカーがカタルシス(ハーレイ・クイン視点では死んだと思われていて、私視点では生死不明だったジョーカーの、生還というハッピーエンドとモヤモヤ感の解消)役であることを強調しています。
10行目も11行目も(もっといえば6~8行目も)、じつは私が感じているジョーカーの魅力を垣間見せるために、ジョーカーのキャラクター性(特殊部隊を率いて刑務所を爆破して刑務官を銃撃して電動カッターで檻のなかの恋人を救出する異常性)を説明していたのです。
そして人殺しの歌やサイコパス・カップルに興味津々の私は、なにか鬱屈した感情でも抱えているでしょうか……そのうちリアルで事件を起こさないか心配です。
さらに、最重要キャラクターが揃ったところで、
13行目の読解……主人公のセリフです。
14行目の読解……カタルシス役のセリフです。
こうして見るに、私は「セリフ」も重要だと考えています。
特にそれが、最高にロマンチックなハッピーエンドを迎えるヒーローとヒロインのセリフだったら、言及せずにはいられないのでしょう。
15行目の読解……最初の1行と同じぐらい重要な最後の1行で、twenty one pilots『Heathens』がハッピーエンドを彩りました。
当然、私はこのハッピーエンドや、一連のエンディングをなによりも評価しているはずです。
だから初っ端から、エンディングの描写を始め、ハッピーエンドへと向かって猛然と突き進んでいたのです。
そして私は、twenty one pilots『Heathens』のことも、絶対に書き漏らすわけにはいかなかったのでしょう。
- Queen『Bohemian Rhapsody』
- twenty one pilots『Heathens』
この「あらすじ」を飾るオープニング曲とエンディング曲は、エンドロールとかで流れるよくわからないインストゥルメンタルなんかより、よっぽど私のお気に召したと考えられます。
以上が、私の『スーサイド・スクワッド』あらすじ文から読み取れる感想の一例です。
1行目~15行目までの文意を、表面的な意味だけで捉えれば、私の主観や感想は一切含まれていません。
しかし、私の書いた「あらすじ」の構成や表現(あるいはなにが表現されていないのか)を読めば、自ずと私の感想も明らかになります。
ってことは、
「読書感想文」じゃなくて「読書解説文」が正しい日本語では?
「私はこう感じました」と小学生並みの稚拙で直截的な表現じゃなきゃ「感じたこと」を読み取れないなら、それこそ国語力低すぎでしょ?
そして、
感想「この作品のこの部分に感じ入りました」⇒解説「なぜなら~」でしょ?
国語や文学や日本語を扱う授業なのに、「読書解説文」を「読書感想文」と誤表記しているならお笑いだよその授業。
「読書感想文」が正しい日本語なら、本当はあらすじさえ不要で、
だけでいいんだよ!
本当は、(ちょっと上で小学生のことを侮辱してしまったけど)、小学生並みでいいんだよ!!
だって実際、面白い作品に出会ったり上手い絵を見たり美味しいものを食べたりしたときの感想、
じゃん。
大人も子どもも、それ以上の感想いらないでしょ。
ラーメン屋に入ったら、隣の席でラーメン食ってるハゲが喋り始めて、
とか語り出したら気持ち悪くて引くでしょ。
こんなふうに解説するんだったら、逆に感想そのものの言語化はいらないんだよ(必須ではないだけで、別に表現してもいいけど)。
これで感想も十分伝わるし、読み取れます。
- 鮎の煮干しが醸し出す
清涼な風味を軸に、 - 比内鶏の鶏ガラ、鹿児島県産黒豚のトンコツ、有機栽培野菜…
本物ばかりの素材の持ち味が、絶妙に調和したラーメンだ。
①、真っ先に言及される「鮎の煮干し」が一番重要な素材で、「清涼」感は素材だけで伝わるため不要(「鮎の煮干し」で清涼感が伝わらない人間には、「清涼な」とかいっても伝わらない)。
②、次いで「比内鶏の鶏ガラ」、「鹿児島県産黒豚のトンコツ」が重要な素材。
行間、ここで言及されない素材については、わりかしどうでもいい(名前の有無で素材に格差が生まれているんだから、わざわざ言及されている素材は、言及されていない素材より「本物」である)。
③、「調和」は前提が「絶妙」なんであって、微妙だったら「調和」とはいわない。
「調和」自体が料理の出来映えに高評価を与える表現だから、(皮肉的な気配がなければ)ここで言及されているラーメンは、
こうした表現と読解のコミュニケーション能力こそが、国語力です。
だから「本物」とか「絶妙」とか「美味しい」とか、わざわざいわれなきゃいわんとするところが読み取れないのは、読み手としてのレベルが低い。
そして書き手としては、こんな回りくどい表現をして結局たどり着く結論が、
なら、最初から素直にそう表現しておけという話である(もちろん、読み手が一言感想を許さない場合、遠慮なく「あらすじ」などで水増しすればいい。「あらすじ」から「感想」を読み取れないのは、無能な読み手の責任である)。
まとめ:「算数」と違って「国語」は正解がひとつとは限らない
- 「あらすじ」とは、「あらすじの作者が、特に重要だと感じた点の要約」である
- 「あらすじの作者が、特に重要だと感じた」なら、「作者の感想」を含んでいる
- 「あらすじ」が「感想」を内包する以上、感想文はあらすじだけで完成している
以上です。
で、じゃあもう本当になんの変哲もない無感情なAIがまとめたとしか思えない感想文があったとするじゃん、それって、
って感想だから。
あるいは、本当にAIにぶん投げたのかもしれませんが(つまり、「AIにぶん投げたかった」という感想ですが)。
そんなことはわかりません。
かもしれないわけですからね。
なお、2022年2月、
ソース:悠仁さま、作文の参考文献「記載漏れ」 指摘に感謝伝えられる – 産経ニュース – 2022年2月22日閲覧。
↑「参考文献」とか「記載漏れ」とか書かれていますが、検証によれば完璧にパクりで、「感謝」ではなく謝罪に値します(詳細は下記)。
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自分の感想は自分のもの、人間の内面も見抜けない程度の他人に評価されるために書くものではありません。
だから感想文を書こうとして、「あらすじ」が出てくるなら、それが「感想」だって堂々と言い張ればいい。
それを否定する根拠や権限はどこにもありません。
以上、ちなみに「あらすじ」は「感想」を含みますが、「感想」は「あらすじ」を含むとは限らないので注意してくださいね。