弟子(著:中島敦、初出は『中央公論』1943年2月号)を読みました。
ソース:図書カード:弟子 – 青空文庫 – 2022年10月30日閲覧。
ちなみに『弟子』は、「でし」読み派と「ていし」読み派が争っているそうですが、青空文庫(『ちくま日本文学全集 中島敦』)や文春文庫『現代日本文学館 李陵 山月記』では「でし」と読み仮名が振られています。
まあぶっちゃけ、
というわけで、本記事では中島敦『弟子』の簡単なあらすじから感想までを述べます。
では以下目次です。
中島敦『弟子』の簡単なあらすじ
~中島敦『弟子』の簡単なあらすじ~
- 師匠……孔子(こうし)
- 弟子……子路(しろ)
基本的には上記「師弟」が主要人物ですが、子路以外の弟子たち(特に、子路の対比としての子貢など)も多数登場します。
では、主人公の子路とはいったいどういう人物だったのか?
『弟子』の書き出しを引用後、簡単に翻訳します。
~難しい原文~
~簡単な翻訳~
ちなみにこのとき、孔子は30代で、子路は9歳年下でした。
孔子は、子路とのレスバトルを受けて立ち、問答を始めます。
以後、基本的に「簡単な翻訳」バージョンのみでいきます。
~孔子と子路のレスバトル~
こうして子路は、孔子に逆論破されて、孔子一門に降りました。
弟子入りしてわかったことは、孔子は勉強しかできないガリ勉ではなく、文武両道で子路を圧倒する完璧超人だということでした。
子路は、たった9歳年上でしかない孔子に無限の年齢差を感じ、すぐに孔子信者となり、
子路には、音楽を奏でているときでさえ音色に表れるような、殺伐とした暴力性があります。
そのせいで、子路はよく孔子に叱られましたが、この正義だけは孔子にも譲れませんでした。
そうして子路は、孔子の下でメキメキと実力を伸ばしていくなかで、子どもの頃からずっと抱いていた疑念が晴れません。
実際、孔子と子路は一時期、魯の国で重用されて目覚ましい成果を上げました。
しかし、孔子の力を恐れた敵国が、魯の国にちょっと美女軍団を贈っただけで……。
魯の主君もほかの重臣たちも、メロメロの骨抜きにされて、国が傾きました。
それからも、孔子は行く先々で……子路が弟子たちのリーダー格となる前もなった後も、サルに支配された国からの無礼や妨害に遭い続けました。
孔子が賢者であることはどこの国の王も認めるのに、孔子の言葉に耳を傾けて有言実行しようとする王はどこにもいません。
そして子路は、孔子に無礼が働かれるたびに、たとえ王族相手でも正義の暴力を働こうとしました。
孔子は、子路の正義をこう評します。
昔、衛の国にも「史魚」という大夫(貴族)がいて、己を曲げられない男でした。
史魚は、病気で自分の死期を悟ると、国が傾いているのに無能の弥子瑕(びしか。韓非子にもネタにされているバカ)を重用している王様に抗議して、
という、正義の死体遺棄を決行しました(実行者は遺言を託された息子)。
当時の中国で、貴族が自分の死体や葬式をゴミみたいに扱うのは、かなり衝撃的でした。
「史魚屍諫(しぎょしかん)」という言葉まで生まれたほどです。
~「史魚屍諫」の意味~
これには衛の王様も大変ショックを受けました。
そして、史魚の助言通りに弥子瑕(バカ)を要職から外し、蘧伯玉(きょはくぎょく。賢者)を要職に就けました。
孔子曰く、
後年の子路は、孔子の推薦で衛の国に仕えていましたが、政変(権力争い)に巻き込まれました。
敵に主君を捕らえられた子路は、果敢に主君を奪還しようとするも失敗、敵の剣に切り刻まれます。
子路は死の直前、戦闘で地面に落ちた自分の冠を拾い、礼儀正しく被り直して紐を結びました。
衛の国で政変が起きたとの知らせを受けた孔子は、衛へ赴いていたふたりの弟子を思い浮かべました。
子路(仲由子路)と、子羔(高柴子羔)です。
そして、そのふたりの弟子について、
と予言して、そのとおり子羔は逃げ帰りましたが、子路は帰らぬ人となりました。
孔子は涙し、子路の死体が塩漬けにされた(保存処理を施した上で長期間晒される刑罰を受けた)ことを知ると、家のなかの塩漬け加工食をすべて破棄させました。
それから一生、孔子が塩漬け肉を食べることはありませんでした。
簡単な読み方は?雰囲気で読む!
- 陬人孔丘
- 蓬頭突鬢
- 嗷しい
- 脣吻の音
- 絃歌講誦
- 擾そう
↑書き出しだけでもこの有様、読み仮名は振られているとして、正確な意味を知る日本人がどれだけいるのか?
「絃歌講誦の声」だとか「嗷しい脣吻の音」だとか、どんな声色だか正確に想像できますか?
よっぽどの読書好きでもない限り、この調子が最後まで続くと予想すれば(そしてその予想は正しい)、この書き出しを見ただけで本を閉じそうです。
わからないうちは、雰囲気で読めばいいのです。
ひとつひとつの熟語はわからなくても、全体を通して読めるところだけ読めば、意味もなんとなくわかります。
たとえば「陬人孔丘」なら、直前に「賢者の噂も高い学匠」とあります。
~難しい原文~
~簡単な読解~
この程度の理解でも、ストーリーを読み進めるのに問題はありません。
「陬」が孔子の出身地の名称だとか、「孔丘」が孔子の名前で、「孔子」はその尊称だとかまでは把握する必要がありません。
「絃歌講誦の声」や、「嗷しい脣吻の音」も同様です。
~「絃歌講誦の声」~
~「嗷しい脣吻の音」~
子路がバカだったのは、両手でニワトリとかブタとかを振り回しながら他人の家に乗り込んでいることからも明らかです。
そんなバカの言葉は、騒音にしかなりませんよね。
しかし、そんな「愛すべき単純な若者」は、孔子との師弟愛を育んで大きく成長します。
教訓は?学問とは超能力である!
~中島敦『弟子』の教訓~
~『弟子』~
~『三国志』~
劉備は、三国志(魏・蜀・呉の三国がバトルした中国史)の一角、蜀の君主です。
張飛は、関羽や諸葛亮と並ぶ蜀の幹部です。
劉備と関羽と張飛は、まるで兄弟のように仲が良く、三国志演義(三国志をベースにした小説)では義兄弟の契りを結んでいます(桃園の誓い)。
といわんばかりのこういうエピソードが、私は大好きです。
ちなみに、「虫の知らせ」的な、靴紐が切れたり写真立てが倒れたりするオカルトパワーで不幸を知るのは好きではありません。
論理的ではないからです。
この超能力じみたコミュニケーションは、関係性が親密だからこそ為せる業です。
虫が知らせているのではなく、人となりが知らせています。
それを知れること、少ないヒントから重大な答えを導き出せる知恵や関係性を築くこと、
- 親子関係
- 恋人関係
- 友人関係
あらゆる関係性で、私たちには超能力じみたコミュニケーションが必要です。
本作『弟子』に基づくなら、それの実現に最も近いトレーニングは、学問を修めることでしょう。
孔子は、衛の国に子路(仲由)を推薦する際に、こう褒め称えました。
~超能力~
まとめ:中島敦『弟子』の感想!
- 中島敦『弟子』は、孔子の弟子である子路を主人公に、師弟関係を描いた小説
- 難解な漢字&読み方が多く、普通に読むのが難しい場合、雰囲気で読めばいい
- 十分に習得した学問は超能力と見分けがつかず、孔子も子路も超能力者だった
以上です。
以下総評!
評価: 5.0中島敦『弟子』は、孔子と子路の師弟関係を描いた短編で、文庫版なら40ページ~50ページぐらいです。
以上、中島敦『弟子』の読書感想文でした!