自民党の麻生太郎副総裁曰く、
だそうです(2022年7月)。
ソース:「弱い子がいじめられる、国も弱そうな国がやられる」自民・麻生氏 – 朝日新聞デジタル – 2022年7月6日閲覧。
もちろん、私はこれから麻生議員の発言を擁護するし、「頭が弱い」とは思いませんが。
それが叩かれているということは、実際に弱いかどうかは関係がなく、
という、恐ろしい事実が浮き彫りになっているようにしか見えません。
でももっと恐ろしいのは、「弱い子がいじめられる」という事実に対して、
もうちょっと頭を強くしたほうが、自分の怒りの感情とかも抑えられると思うよ!
というわけで本記事では、前回の記事に引き続き、麻生議員の抑止論を解説します。
では以下目次です。
弱い子がいじめられる!人間界と自然の摂理
以上が、麻生太郎議員の発言全文です(本記事冒頭のソース、朝日新聞デジタルに基づきます)。
漫画『るろうに剣心』から、志々雄真実の名言を引用すれば、
ってやつですよね。
日本はアメリカに真珠湾攻撃を仕掛けましたが、その報復で強弱をわからされて以降は、アメリカの犬みたいになっています。
麻生議員の発言に問題点があるとすれば、
という疑問はあります。
でも私は、そんなに的外れとも、バカな例え話とも思いません。
ニュースとかをよく見る人なら、よくご存知でしょうけど、
と苦言を呈したくなるような、幼稚で汚い大人たちの愚行は、散々見てきたはずです。
つまり実際は、「小学生か?(大人ならそんなことしない)」という理想論のほうがバカなんであって、
これが現実です。
だから、学校や学生間のイジメ問題は、そのまま会社や社会人間のイジメ問題にスライドしています。
そして、それがそのまま国家や民族間の戦争問題にスライドするといわれても、不思議はありません。
さてしかし、私が5chとかTwitterとかYahoo!ニュースのコメント欄とかを見る限り、別の方向で麻生議員を叩いている人が多く見受けられます。
曰く、
みたいなやつ。
いや、麻生議員は、
被害者批判とは?事実判断と価値判断の違い
~イジメ被害者に対して~
~痴漢被害者に対して~
~誹謗中傷被害者に対して~
- 加害者
- 被害者
このように、①「加害者」と②「被害者」を比較して、②「被害者」のほうを批判するのが被害者批判です。
では上記から、事実(客観的かつ多数の観測や経験によって現実に存在すると考えられる傾向)のみを抜き出してみましょう。
~イジメ被害について~
~痴漢被害について~
~中傷被害について~
- 善
- 悪
これらの事実判断は、そもそも①「善」や②「悪」のような価値判断を含んでいません。
「だれが悪いか」とか、「なにが良いか」みたいな判断は述べていません。
ただ、空き巣に入られた家が、玄関の鍵開けっぱなしっていうか、玄関のドア自体開けっぱなしだったら、
というだけの話です。
その事実を基に、なんらかの目的意識を加えて、目的の達成度合いに応じて価値判断を下すなら、
- 目的……泥棒に入られたくない
- 手段……戸締まりをちゃんとしない
- 結果……泥棒に入られやすい
①「目的」と③「結果」が矛盾するなら、②「手段」が悪いよね、みたいな話になります。
このとき、②「手段」と「手段を講じた人」を同一視するなら、②「被害者」が悪いです。
ただしその場合でも、
- 目標達成
- 目標未達
①「達成」と②「未達」を比較して、②を「悪い」と評価しているのであり、それは目標が達成できないなら悪いでしょう(「目標が達成できる人・状態」と比較して)。
そして、麻生太郎議員の目標は、「国防」ですよね。
以上を踏まえて、麻生議員の発言(子どものイジメ問題の部分)を見てみましょう。
違いませんし、ただの事実・傾向を述べているだけです。
そこに価値判断を含める場合でも、「国防の是非」がテーマであり、「加害者被害者の善悪」は論じていません。
月並みな心理学でいえば、
弱い人間は悪いか?人間の強みがないなら?
私たちの人間社会では、「強い」とか「弱い」とかの定義が、野性的な力に支配された弱肉強食ではありません。
簡単にいえば、警察とか弁護士とかがいます。
法律とかがあるし、SNSとかがあります。
のび太だって、ドラえもんに「秘密道具」という名の暴力を借りれば、ジャイアンをボコれます。
ジャイアンの母ちゃんなら、「秘密道具」なんかなくても、ジャイアンをボコれます。
私たちの現実世界には、「ドラえもん」とか「秘密道具」みたいなチートは存在しませんが、
なら存在します。
じゃあそういう社会や大人を頼ればいいよね。
表向き真っ当だと信じられている社会や大人が助けてくれないなら、真っ当じゃないと信じられている反社会的勢力でもヤクザでも頼ればいいじゃん。
それがヤクザであれなんであれ、助けてほしい弱者は、自分を助けてくれる強者を頼ればいい。
表社会は、裏社会に頼られるのが嫌なら、その前におまえが助けろという話でしかない。
そして実際、社会はそういう方向で動いているし、
「弱い者イジメ」なんて、社会に公開質問すれば、大多数の人間が「反対」でしょう(違ったらごめんなさい、人間はもう終わりです)。
警察の持つ暴力(手錠・銃火器)や、法律の持つ暴力(刑務所・刑罰)だって、その反対パワーの具現化です。
その反対パワーを使えば、「弱い者イジメを受ける人間」は、一瞬で「イジメ加害者を叩き潰す人間」になれます。
まとめ:考えなくて良いというのは良いこと
- 麻生太郎「弱い子がいじめられる~違いますか」はまったく違わない
- 「弱い子がいじめられる」は単なる事実であり、被害者批判ではない
- 弱い子は助けるべきだが、助けも呼べない「弱さ」は生存に適さない
以上です。
さて、「良い」とか「悪い」とかでいえば、麻生太郎議員は数日前に、
と、述べています(2022年7月)。
ソース:「政治に関心持たず生きていける国は良い国です」自民・麻生太郎氏 – 朝日新聞デジタル – 2022年7月6日閲覧。
もちろん私は、完全に同意です。
人間の問題に対処するためには、政治や社会に関心を向けて、「がおー!」より政治力で答えたほうが良い。
たとえば、「警察を動かす」とかいえばとんでもない政治力に見えますが、実際は電話で110番をするだけで動かせます。
それでも、
そういう意味では、人間の赤ちゃんとかも、めちゃくちゃ「悪い」です(頭悪すぎだし成長遅すぎだし、自力で生きられないし、なにあの生き物?)。
でもその赤ちゃんでさえ、所構わず力の限り泣き叫んで、周りに異常を訴える程度の社会性は発揮しますが(だから、産まれてすぐに泣かない赤ちゃんは、「悪い」)。
以上、もちろん「生きるのに向いていない人間も含めて、誰一人取り残さずに全員を100%助けられないなら、悪い」という目的意識と価値判断があるなら、私も「悪い」のでしょう(最近でいえば、SDGs系の人たちはそう主張しています。こわ……)。
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自民党の麻生太郎副総裁曰く、麻生太郎議員のイメージ政治に関心を持たなくても生きていけるというのは良い国です。考えなきゃ生きていけない国のほうがよほど問題なんだだそうです(2022年7月)。ソース:「政治に関[…]