私は絶対に貸しません。
友達の定義
前回の記事(【人間関係】「友達」と「仲間」の違いを解説!)で、「友達」と「仲間」の違いについて考えました。
その際、「友達」の意味をgoo辞書でも調べたんですが、「友達」のページに、
◆お金も肩も貸してくれる人。
ソース:友達(ともだち)の意味 – goo国語辞書 – 2019年6月12日(水)閲覧。
と補説があって、んん? となったんですよね。
ちなみに補説とは、
とのことで、goo辞書(が出典に用いているデジタル大辞泉(小学館))による公式の説明ではないのですが、ページに記載されていることに変わりはありません。
お金を貸してくれる人が友だち。
しかも、肩まで要求してくるとは……ここちょっと重要なんですが、「お金も肩も貸せる人」ではなくて、「お金も肩も貸してくれる人」なんですよね。
要求してくるんですよね、お金と肩を。
それって完全に、
って感じで金銭を要求してきて、断ろうものなら肩パンしてくるクズでは……?
いやいや、冗談ではなく、いくらなんでも強欲すぎるというか、肩だけで我慢しろというか、お金の貸し借りはないな……と思ったので、私の考えを書いていきます。
お金はなんでも変える
みたいなことをよくいいますが、しかし、私はお金で買えるものより、お金が変えるもののほうが多いと思います。
その代表例が人間ですよね。
フィクション、ノンフィクション問わず、
という事例には事欠かないでしょう。
そして、お金で人が変わるということは、お金で人間関係が変わるということでもあります。
友だちに、
と頼まれたとき、その依頼を請け負ってしまったが最後、その瞬間から人間関係が変わります。
まあ頼まれた時点で結構やばいんですが、致命的なのは友だち同士から、債務者と債権者、お金を貸してもらった人と貸した人、借金した人と借金取り、という関係に変化することです。
友だちって、完璧に対等ではないにしても、ある程度対等な関係をいうと思います。
なのに、お金の貸し借りによって対等な関係が崩れてしまう。
それでも、私だったらそういう場合には奢ります。
奢ってでも、貸し借りは避けます。
なぜなら、たとえ少額でも(まあ一万円や二万円って結構デカいんですが)、「お金を貸して、返ってこなかったとき」って、金額以上にダメージが大きいんですよね。
私は子どもの頃、よく遊んでいた友だちに、数百円のお金を貸したことがあります。
いまとなっては正確な金額すら覚えていませんし、たかが数百円なんですが(まあ子どもの数百円って結構デカいんですが)、それでも「お金を貸して、返ってきていないこと」はいまでも覚えています。
前回の記事(【人間関係】「友達」と「仲間」の違いを解説!)で「友達」について、「距離」をキーワードにしていますが、「お金を貸して、返ってこない」って、果てしなく遠い距離だと思いませんか?
そして私は、その友だちだった人とはもう、ずっと会っていません。
その友だちだった人のことを思いだすと、真っ先に「お金を貸して、返ってきていないこと」が思いだされます。
台なしじゃないですか?
数百円でさえこの有様です。
微々たるお金に引きずられて、友だちと思い出を失いました。
貸した瞬間から疑心暗鬼になり、友達関係は終了、殺意渦巻く破滅すら見えませんか?
しかも「奢る」にしても、そんなに褒められた行為ではありません。
あげたものとはいえ、結局のところ、「貸し」ですからね。
金額に比例して、
という気持ちが、いつか湧いてきませんか?
普段から奢り奢られの関係で、お互い細かいことは気にしない性格だったり、余裕があったりするなら問題はなさそうですが、そのパワーバランスがいつ崩れるとも知れません。
奢るにしても、やはり友達関係を損なうリスクは、踏まえておいたほうがいいと思います。
まとめ
まあたしかに、「お金も肩も貸してくれる人」は友だちかもしれませんが、実際に貸してもらったら友だちではなくなる(公算が大きい)という、多大なリスクは認識しておくべきです。
そしてもちろん、世の中にはリスクを承知で友だちに大金を貸し、返済されたことによって友情が深まった、という美談もあるでしょうが、それはそれ。
なぜ美談として際立つのかといえば、それが希有な例だからです。
できることなら、友だちがお金に困っていても、お金は貸さず、肩や手を貸し、借金以外の方法で力になれないか、考えたいものですね。
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