THIS IS THE CAT, THANK YOU.
~これまでのあらすじ~
↑私はこれの下書きを終えると、吹き出し用の画像を太陽や猫や青空のキーワードでAI生成して、いくつかの候補に絞り込みました。
これは猫耳があったら完璧なんですが、まあ太陽でもあるので丸くてもいいでしょう、太陽寄りの猫……などと思いながら保存して寝ました。
それで翌日、改めて画像を見てビックリしたんですが、
猫耳はないし首から下もないし輪郭は丸いし炎みたいに揺れているし青空に浮かんでいるし……んん?
どうして私は、このどう考えても猫ではない謎の画像を、猫だと思ったのでしょうか……?
では以下目次です。
猫とは何か?猫耳の有無で判断する猫耳理論
~猫とはなにか?~
私はロシアンブルー推しなので、とりあえずロシアンブルーを採用してみました。
が、ロシアンブルーは猫の品種であって、ロシアンブルー以外にも猫はいます。
そこで生物学的に、猫に分類される種類の動物を猫と定義することは可能ですが、
画像は生き物ではないので、触ったり鳴き声を聞いたり行動を観察したり、舐めたり吸ったりDNA鑑定をしたりはできないのです。
しかし私たちは、猫の画像を見て猫の画像だと判断します、それはどうやって?
画像が持つ情報は視覚で処理されるので、それは見た目で判断されるはずです。
たしかに猫には猫耳があります、それはロシアンブルーでも三毛猫でもそのへんの道路や公園で見かける野良猫でも同じです。
つまり猫耳が描写されてさえいれば、画像でも写真でも絵でも、猫を見ることができると定義できそうです。
だから逆にいえば、猫耳がなければ猫ではない。
そうですね、ドラえもんはネコ型ロボットであって、その正体はロボットです。
だからドラえもんは猫ではないし、ドラえもんがロボットだと知らない人でも、猫耳がないのでタヌキだと判断するのが一般的です。
でもドラえもんは外見上、耳自体ありませんが、タヌキには狸耳があるような……このへんを掘り下げると深淵を覗く気がするので、いまは猫の話に集中しましょう。
そうですね、猫耳があるので猫です。
一見するとロボットに見えるかもしれませんが、ドラえもんがネコ型ロボットであるように、こちらはロボット型ネコなのです。
このように、猫耳理論などに基づいて定義(ここでは猫耳の有無)に当てはまるか否かで考えれば、猫か猫ではないかは一目瞭然です。
猫に見える状態と猫に見えない状態の重なり
~猫耳がないのに猫に見える~
猫耳理論に基づけば、猫耳が写っていない⇒猫が写っていないはずの画像に猫を見てしまいました。
しかも同じように考えれば、この画像は「猫寄りの太陽」でもありません。
太陽には目や鼻が口やヒゲがないのに、この画像には目や鼻や口やヒゲがあるように見えます。
論理的に考えれば、猫の定義にも太陽の定義にも当てはまらないもの、つまり謎の物体です。
問題は、私はその謎の物体に猫を見てしまった、それはなぜでしょうか?
まあそれは、猫耳は見えなくても、猫の目や猫の鼻や猫の口や猫のヒゲが見えるから?
つまり猫を構成するパーツ(部分)が含まれているから、部分的には猫である?
そして同時に、猫耳パーツは含まれていないから、部分的には猫ではない?
それではこの画像は、ある意味では猫であり、ある意味では猫ではない、
- 猫のパーツが欠けていれば猫ではない
- 猫のパーツが含まれていれば猫である
①「猫耳が欠けている」という条件によって「猫ではない」。
②「猫の顔面が含まれる」という条件によって「猫である」。
もしもこの①②「新しい定義」が導入できるなら、私が上記の画像に猫を見て、なおかつ猫ではないとビックリしたのもうなずけます。
「猫の額(ひたい)」は、慣用句にもなっているほど猫のパーツとして有名です。
でも猫の額が含まれているからといって、(少なくとも私には)猫には見えません。
まあそれは、「猫の額」は場所が狭いことのたとえだし、面積が少なければ存在感も薄いから?
たとえば、田舎の土地が広くても安いのに比べて、東京(都心部)の土地が狭くても高いのと同じです。
「猫の額」は、「日本の東京」と言い換えてもいいほどの存在感を放っています。
にもかかわらず、「猫の額」だけでは猫たりえないとは、いったいどういう了見の狭さなのでしょうか?
目も鼻も口もヒゲも真っ黒に塗り潰されていて見えない、でも猫耳に見える影があるだけで猫に見えます。
もちろん完全な猫ではありませんが、これがなんの影なのかといわれれば、犬でもネズミでもタヌキでもなく猫に見えます。
しかしそこから猫耳をなくすと、
私たちは忘れ続けている猫の面影を見ている
~私たちは忘れ続けている~
人間は忘れる生き物だという事実を忘れてはいけない。~「ありがとう」が言えない人の特徴~安田尊@マナー講師を謳うブログ。無駄にプライドが高くて感謝の気持ちがないクズです。~「ごめんなさい」が言えない人の特徴~安田[…]
小さい画像だとわかりにくいかもしれませんが、大きい画像で見れば「Thank You」と書かれた文字を加工しているのがわかります。
この加工はグリッチ(Glitch)と呼ばれ、デジタルなシステムにおけるエラーや障害、ビデオゲームのバグ画面を模倣しています。
つまりグリッチを転用すれば、人間の記憶障害や「忘れる」というエラーもまた、画像で表現可能だと考えたわけですが、
そうですね、たとえば英語のテストで「Thank You」と書くべきところにこれを書いたら、点数はもらえないでしょう。
しかし「Thank You」を知っている人間であれば、これを「Thank You」と読むことはできます。
「Thank You」ではないのに「Thank You」と読める、
このふたつは同じ問題を扱っています。
ということは、前回の記事の理論を応用すれば、今回の問題も説明できるかもしれません。
そこで前回の記事を一言で要約すれば、「人間は常に忘れ続ける生き物」になるわけですが、
使わない英語を忘れるように、使わない「ありがとう」を忘れるように、見ていない猫のことも忘れ続けます。
でも完全に忘れる前なら、また猫ちゃんを見ることで猫を覚えることができます。
でもまた猫ちゃんから目を離すと忘れ続け、また猫ちゃんを見ては覚え直し、また猫ちゃんを忘れては覚えて忘れて覚えて忘れて忘れて、
この猫の幻影は、私たちが覚え続けている猫であり、忘れ続けている猫の名残です。
そして上記の影イメージには猫耳がありますが、どのような猫の影があるかは人それぞれです。
それは忘れ続けている猫ですから、時と場合によっては、
もちろんここでいう「影」は比喩ですが、まさに影は伸びたり縮んだり溶けたり混ざったり揺れたり薄れたりと変幻自在であり、影の生みの親の具体的な色や形やパーツなどは指定しません。
ただ影は、自分がついていくべき親を覚えています。
そして私たちは、次になにかを見るとき、それが親子のように影とくっついているかを見ているのであり、
この影による照合システムは、猫耳理論のように論理的ではないので、不完全で誤った判断を下すことがよくあります。
たとえば非論理的な迷子の子どもが、実際は知らない女性の後ろ姿に「ママ」と呼びかけたり、学校で女の先生を「お母さん」と呼んだりするような間違いが起きます。
だから同じ猫のパーツでも、猫耳があれば猫であり、猫の額があっても猫ではないと判断したりします。
一方で、論理的な計算ではないがゆえに、私たちは非論理的な猫も猫として見ることができます。
実在しない猫であっても、ファンタジーの猫であっても、AIで生成した猫の画像であっても……。
私の頭のなかにある猫の影がくっついていくなら、それは私にとっての猫なのです。
私たちはこのようにして、猫の影を見て猫を見ています。
「Thank You」の影を見て「Thank You」を見ています。
というわけで、私は猫を完璧に理解しました。
まとめ:ねこです。よろしくおねがいします
よろしく
おねがい
します
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