全能のパラドックス(全能の逆説)という話があって、
安田尊@全能を謳うブログ。
安田尊@不能を謳うブログ。
安田尊@逆説を謳うブログ。って感じのパラドックス(逆説。ここでは、「全能」という前提から、逆に「不能」という矛盾した結論が導かれる論理)です。
で、これはすごい簡単な問題で、
安田尊@神を謳うブログ。
安田尊@神を謳うブログ。みなさん、これが神の奇跡です。
ここで引っかかりを覚えた方、
安田尊@無論を謳うブログ。と思った方は、神様に対する理解が足りません(不届きです)。
というわけで本記事では、全知全能にして無知無能の神様について、
- 「全能のパラドックス」は、全能者が、「全能」ならば「不能」となる論理矛盾
- 「撞着語法」は、「全能かつ不能」が成立する、論理を超越した世界の存在証明
- 「全能」ならば、「撞着語法」の範囲を広げ、あらゆる表現で論理を超越できる
以上を解説します。
では以下目次です。
「全知全能の神様」とは?「撞着語法の神」である
安田尊@全知全能の神を謳うブログ。
安田尊@矛盾を謳うブログ。
安田尊@撞着語法を謳うブログ。
安田尊@撞着語法の神を謳うブログ。- 矛盾した言葉
- 矛盾した発言
- 矛盾した文章
- 矛盾した口述
- 矛盾した記述
これが神の住む世界(の矛盾した法則を、無知無能な私たち人間が理解するために許された、「言語化」という限定的な表現方法)です。
たとえば、私が先ほどから連呼している「矛盾」。
安田尊@武器商人を謳うブログ。
安田尊@Questionを謳うブログ。
安田尊@Answerを謳うブログ。↑この矛盾、イラスト化や漫画化や映像化は不可能ですよね。
小説化は可能なのに。
いらすとやさんの、
矛盾のイラスト(無傷)
矛盾のイラスト(破壊)でも、完全には表現できていません(いらすとやさんをディスっているわけではなく、あらゆるイラストレーターや漫画家や映画監督が表現不可能な問題です。お絵描きできる人は、ぜひチャレンジしてみてね!)。
でも撞着語法なら、そのへんの便所の落書きでも、
安田尊@便所の落書きを謳うブログ。完全無欠なる記述が可能です。
ちなみに、上記の落書きに、矛盾が何個表現されているかわかりますか?
答えは、
- 「最強」と「最強」
- 「最強」と「死亡」
- 「盾」と「死亡」
- 「無事」と「死亡」
- 「朗報」と「死亡」
ただし⑤「朗報」については、矛側の立場では辻褄が合うとして、最低でも4つは矛盾しているといえるでしょう。
こうして、私たち人間でも「矛盾した世界」を表現できてしまう神業が、撞着語法です。
ということは、
安田尊@撞着語法を謳うブログ。
安田尊@撞着語法の神を謳うブログ。
安田尊@撞着語法の神を謳うブログ。「神」は語れる?ウィトゲンシュタインと孔子の例
安田尊@ウィトゲンシュタインを謳うブログ。
ウィトゲンシュタインのイメージ
安田尊@『論理哲学論考』を謳うブログ。「沈黙せねばならない」と、自重を促す言説は、すなわち「語れるけど黙れ」という意味です。
実際、ウィトゲンシュタインが、このようなおサルさんレベルの無理解な揚げ足取りを受けた場合、
安田尊@ウィトゲンシュタインを謳うブログ。と、ブチギレたかもしれません(ちなみにウィトゲンシュタインは、小学校教師時代、出来の悪い生徒をぶん殴って失神させています。こわ……)。
しかし、撞着語法を用いれば、
安田尊@撞着語法を謳うブログ。したがって(ウィトゲンシュタインを人間の基準とした場合、どちらかといえば人間よりサルに近い)私でも、ウィトゲンシュタインを理解できるし、語ることもできる。
なんなら、好き勝手に勝利宣言をすることもできる。
安田尊@匿名掲示板を謳うブログ。
安田尊@負け犬ゾンビを謳うブログ。
安田尊@バカッターを謳うブログ。あります(います)よね?
でも撞着語法が支配する世界では、
安田尊@「負けるが勝ち」を謳うブログ。
安田尊@負け犬ゾンビを謳うブログ。これが言語ではなく、肉体でやりとりをする世界だったら、
- 撲殺されたり、
- 刺殺されたり、
- 射殺されたり、
すれば、負け犬は敗北宣言すらできないのに。
撞着語法が支配する世界では、「勝ち」も「怪異」も「神」も語ることができる。
だから『論語』曰く、世界史上最高峰の思想家、孔子についても以下のように伝えられています。
孔子のイメージ- 怪……怪異(妖怪、異形、幽霊など)
- 力……怪力(怪物、不思議な力など)
- 乱……悖乱(道理に背く乱れ言など)
- 神……鬼神(鬼、神、全知全能など)
「怪力乱神」もまた、「語れず」ではなく、「語らず」です。
私たちは、語るか語らないか、選ぶことができる。
安田尊@ウィトゲンシュタインを謳うブログ。
安田尊@孔子を謳うブログ。
安田尊@「神」の存在証明を謳うブログ。「全能」ならば?言語以外でも論理法則を超越する
安田尊@無知無能を謳うブログ。
安田尊@全知全能を謳うブログ。
安田尊@全知全能を謳うブログ。その表現方法を、私たちは(無知ゆえに)知らないから、言語ですら語れないだけです。
一方で、その表現方法を神様は(全知ゆえに)知っているし、(全能ゆえに)表現可能。
この人間(無知無能)と神様(全知全能)のギャップさえ理解できれば、「全能」の一端は理解できます。
安田尊@無論を謳うブログ。
安田尊@無論を謳うブログ。
安田尊@無論を謳うブログ。
安田尊@無論を謳うブログ。
安田尊@無論を謳うブログ。
安田尊@無論を謳うブログ。
安田尊@無論を謳うブログ。
安田尊@無論を謳うブログ。
安田尊@無論を謳うブログ。
安田尊@無論を謳うブログ。
安田尊@無論を謳うブログ。まとめ:全能のパラドックス?意味のない論理だよ
安田尊@撞着語法を謳うブログ。- 「全能のパラドックス」は、全能者が、「全能」ならば「不能」となる論理矛盾
- 「撞着語法」は、「全能かつ不能」が成立する、論理を超越した世界の存在証明
- Q.「今年の一文字は?」A.「変化」Q.「一文字にすると?」A.「責任、ですかね」
- 「全能」ならば、「撞着語法」の範囲を広げ、あらゆる表現で論理を超越できる
安田尊@神を謳うブログ。以上、全知全能の神様が、全知全能の神様自身でも持ち上げられない石を持ち上げる理由の解説でした!

