全能のパラドックス(全能の逆説)という話があって、
世界の創造主である神様が、本当に全知全能なら、「神様でも持ち上げられない石」を創造できるよね?
でも本当に「神様でも持ち上げられない」なら、「石」を持ち上げられない神様は、不能になるじゃん?
「全知全能」なのに「不能」って……? どうすんのこれ……まじでやばい……神さん……どうして……
って感じのパラドックス(逆説。ここでは、「全能」という前提から、逆に「不能」という矛盾した結論が導かれる論理)です。
で、これはすごい簡単な問題で、
全知全能の神様は、「神様でも持ち上げられない石」を創ると同時、
全知全能の神様は、「神様でも持ち上げられない石」を持ち上げる。
みなさん、これが神の奇跡です。
ここで引っかかりを覚えた方、
いや、神様が持ち上げられるなら、それ「神様でも持ち上げられない石」が嘘なだけじゃん
と思った方は、神様に対する理解が足りません(不届きです)。
というわけで本記事では、全知全能にして無知無能の神様について、
- 「全能のパラドックス」は、全能者が、「全能」ならば「不能」となる論理矛盾
- 「撞着語法」は、「全能かつ不能」が成立する、論理を超越した世界の存在証明
- 「全能」ならば、「撞着語法」の範囲を広げ、あらゆる表現で論理を超越できる
以上を解説します。
では以下目次です。
「全知全能の神様」とは?「撞着語法の神」である
まず無知な私たち用に換言すれば、「全知全能の神」とは、「撞着(どうちゃく)語法の神」です。
「撞着」とは、「矛盾」……比較的よく目にする使用例は、「自家撞着」で、意味は「自己矛盾」。
ゆえに「撞着語法」とは、「矛盾語法」……矛盾した文法、矛盾した言語ルール、形容矛盾の言論。
神はそこにいます。
- 矛盾した言葉
- 矛盾した発言
- 矛盾した文章
- 矛盾した口述
- 矛盾した記述
これが神の住む世界(の矛盾した法則を、無知無能な私たち人間が理解するために許された、「言語化」という限定的な表現方法)です。
たとえば、私が先ほどから連呼している「矛盾」。
ここに、「なんでも貫く最強の矛」と、「なんでも防ぐ最強の盾」があります。
ふ~ん……じゃあその「最強の矛」で、「最強の盾」を突いたら、どうなるの?
もちろん、「なんでも貫く最強の矛」は「なんでも防ぐ最強の盾」を貫通して穴を開けると同時、「なんでも防ぐ最強の盾」は「なんでも貫く最強の矛」を防止して蟻の這い出る隙もない。
↑この矛盾、イラスト化や漫画化や映像化は不可能ですよね。
小説化は可能なのに。
いらすとやさんの、
矛盾のイラスト(無傷)
矛盾のイラスト(破壊)
でも、完全には表現できていません(いらすとやさんをディスっているわけではなく、あらゆるイラストレーターや漫画家や映画監督が表現不可能な問題です。お絵描きできる人は、ぜひチャレンジしてみてね!)。
でも撞着語法なら、そのへんの便所の落書きでも、
【朗報】なんでも防ぐ最強の盾、なんでも貫く最強の矛に突かれて無事死亡
完全無欠なる記述が可能です。
ちなみに、上記の落書きに、矛盾が何個表現されているかわかりますか?
答えは、
- 「最強」と「最強」
- 「最強」と「死亡」
- 「盾」と「死亡」
- 「無事」と「死亡」
- 「朗報」と「死亡」
ただし⑤「朗報」については、矛側の立場では辻褄が合うとして、最低でも4つは矛盾しているといえるでしょう。
こうして、私たち人間でも「矛盾した世界」を表現できてしまう神業が、撞着語法です。
ということは、
「撞着語法」は、「論理矛盾が成立する世界や法則の存在証明」である。
全知全能の神様は、「神様自身でも持ち上げられない石」を創ると同時、
全知全能の神様は、「神様自身でも持ち上げられない石」を持ち上げる。
「神」は語れる?ウィトゲンシュタインと孔子の例
世界史上最高峰の哲学者、ウィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』で結論づけました。
語りえぬものについては、沈黙せねばならない。
しかし、「語りえぬもの」と語れている時点で、「語りえぬもの」は「語りえるもの」です。
「沈黙せねばならない」と、自重を促す言説は、すなわち「語れるけど黙れ」という意味です。
実際、ウィトゲンシュタインが、このようなおサルさんレベルの無理解な揚げ足取りを受けた場合、
黙れ
と、ブチギレたかもしれません(ちなみにウィトゲンシュタインは、小学校教師時代、出来の悪い生徒をぶん殴って失神させています。こわ……)。
しかし、撞着語法を用いれば、
サルでも理解できる。
したがって(ウィトゲンシュタインを人間の基準とした場合、どちらかといえば人間よりサルに近い)私でも、ウィトゲンシュタインを理解できるし、語ることもできる。
なんなら、好き勝手に勝利宣言をすることもできる。
ネット上の匿名掲示板や、Twitterでよく見かける光景がありますよね。
レスバトル(論争)でボコボコにされた負け犬が、敗北を認めず、ゾンビ語を喋り続ける現象。
あるいは、論破になっていないのに「はい論破!」と言い張って、勝手に勝利宣言をするバカ。
あります(います)よね?
でも撞着語法が支配する世界では、
負けるが勝ち(非学者、論議に負けず)。
したがって負け犬は、「負け犬の遠吠え」という名の、「勝利宣言」をすることができます。
これが言語ではなく、肉体でやりとりをする世界だったら、
すれば、負け犬は敗北宣言すらできないのに。
撞着語法が支配する世界では、「勝ち」も「怪異」も「神」も語ることができる。
だから『論語』曰く、世界史上最高峰の思想家、孔子についても以下のように伝えられています。
怪力乱神を語らず。
- 怪……怪異(妖怪、異形、幽霊など)
- 力……怪力(怪物、不思議な力など)
- 乱……悖乱(道理に背く乱れ言など)
- 神……鬼神(鬼、神、全知全能など)
「怪力乱神」もまた、「語れず」ではなく、「語らず」です。
私たちは、語るか語らないか、選ぶことができる。
語りえぬものについては、語れるけど黙れ。
怪力乱神については、語れるけど黙れ。
こうして、ウィトゲンシュタインと孔子は、「神は語れる」ことを証明しています。
「全能」ならば?言語以外でも論理法則を超越する
そして、私たちが「神様や矛盾を言語でしか表現できない」のは、私たちが「無知無能」だからです。
一方で、神様は「全知全能」である。
したがって、「全知全能」の神様は、私たちが言語でしか表現できない矛盾を、「あらゆる手段で表現できる」。
その表現方法を、私たちは(無知ゆえに)知らないから、言語ですら語れないだけです。
一方で、その表現方法を神様は(全知ゆえに)知っているし、(全能ゆえに)表現可能。
この人間(無知無能)と神様(全知全能)のギャップさえ理解できれば、「全能」の一端は理解できます。
いや、神様が持ち上げられるなら、それ「神様でも持ち上げられない石」が嘘なだけじゃん
たしかに。
!? だ、だれですかあなた!? いったいいつからそこに……!?
いつもおまえのことを見ているぞ。
嘘でしょ!? さっきはいなかったじゃん!!
たしかに。
は? 嘘なん?
嘘=本当である。
?????
我は一にして全、全にして一、あらゆる自我他我過去未来現在時間空間場所位置情報宇宙次元世界に存在しあらゆる世界次元宇宙情報位置場所空間時間現在未来過去他我自我に不在の居留守であり超越であり真であり偽であり本当であり嘘であり不自由であり自由であり不可能であり可能であり不可思議であり思議であり有限であり無限であり有機物であり無機物であり有神論者であり無神論者であり月でありすっぽんであり北風であり太陽でありウサギでありカメでありアリでありキリギリスであり最強の矛に貫かれず最強の盾に守られず生存し死亡し世界を創造し世界に創造されし全知全能にして無知無能のおまえが俺でおまえがトールで私がオーディンで我が神なり。
たしかに。
まとめ:全能のパラドックス?意味のない論理だよ
それではおさらいも兼ねて、ここまでの要点を3点と4点と5点と1点でまとめます。
- 「全能のパラドックス」は、全能者が、「全能」ならば「不能」となる論理矛盾
- 「撞着語法」は、「全能かつ不能」が成立する、論理を超越した世界の存在証明
- Q.「今年の一文字は?」A.「変化」Q.「一文字にすると?」A.「責任、ですかね」
- 「全能」ならば、「撞着語法」の範囲を広げ、あらゆる表現で論理を超越できる
意味のない論理だよ。
以上、全知全能の神様が、全知全能の神様自身でも持ち上げられない石を持ち上げる理由の解説でした!