電車に乗ったとき、すでに満席で、立っている人も多く、座れないということがよくありますよね。
そして電車が次の駅に到着すると、座席に座っていた人が立ち上がり、降りていくという光景もよく見かけます。
このとき、満席だった座席は確実に一人分のスペースが空くことになります。
いったいこの現象はなんなのか?
今回はこの空席バリア問題について、いくつかの仮説を立てたいと思います。
GK
ではさっそく一つ目の仮説です。
電車内に立っている人が多数いるなかで、座席が空いたにも関わらず、だれも座らないとき、それは「座らない」のではなく、「座れない」のかもしれません。
ではなぜ座れないのかといえば、GKの存在が考えられます。
ですから仮に、座席が空いたとき、その空席の前に、
という感じの、若干思い込みの激しそうな人が仁王立ちで、サッカー日本代表ゴールキーパーの川島永嗣ばりの鬼気迫る表情で空席を守護していたなら、それはもうだれも座れなくても仕方がありません。
なんたって川島永嗣はサッカー日本代表のゴールを十年以上も守護しているサムライですからね。
しかしGKにはもうひとつの意味があります。
ゆえにもしかしたら、その空席の守護者は川島永嗣ではなく、自分のことを川島永嗣だと思い込んでいるわけでもない、ただの一般人ということもありえます。
そして周囲の乗客からは、
と思われつつも、そんな周囲の心の声を推し量る余裕すらなく、それはまるで相手キッカーの心を読むことができず、鮮やかなフリーキックを決められてしまったときのゴールキーパーが如く、一歩も動けないでいるのかもしれません。
そんなとき、私たちにできることは、いずれにしてもGKであるその人を、遠巻きに温かく見守ってあげることだけです。
無理にお邪魔して着席することも可能ですが、その場合は目の前で大量失点を目撃する恐れがあるということを、重々承知した上で座りましょう。
そんな覚悟、並大抵の人には完了できないので、だれも座れないのも納得ですね。
さてしかし、これで一件落着かと思いきや、座席の前に立ち塞がる人がいないにも関わらず空席が埋まらないパターンもあります。
この現象はいったいなんなのか、引き続き考えていきましょう。
デモンストレーション
空席を前にして、邪魔立てする障害がなにひとつ存在しないにも関わらず、立っている乗客がだれひとりとして席に腰かけない……。
いったいなぜこんな不思議な現象が起きてしまうのでしょうか?
サッカー日本代表の長友佑都じゃあるまいし、日本人がそこまで熱心にインナーマッスルを鍛えているとは思えません。
では日本人の動向を探ってみると、日本人はいま、「お一人様」が急増しているようです。
サッカー風にいうと、「個の力」が重視されているわけですね。
そしてそうなっている原因ですが、日本人の恋愛離れ、日本人の結婚離れがひとつの要因として挙げられることはいうまでもありません。
ですが日本人は別に、好きで恋愛から離れていたり、結婚から離れていたりするわけではないんですよね。
その背景には、
など、より根深い問題が控えています。
そんな時代にあって、私たちは今日も電車に揺られ、そして満席だった席が空くのを目撃します。
そこにはぽっかりと空いた一人分のスペースがあります。
そしてこう思うわけです。
みなさんもそう思いますよね?
少なくとも、このとき電車内に立っていて、安易に空白を埋めようとしなかった人たちはそう思っていたはずです。
ぽっかりと空いたその穴を、国が埋めようとしないなら私たちも埋めない、そしてなにも生まれなかったとき、一番困るのはだれなのか?
あの空席は、私たちからの警笛であり、メッセージであり、少子化だとか人手不足だとか、手遅れになってからギャーギャー騒ぐんじゃないぞ、という魂の叫びです。
ですからじつは、あれは空席に見えて、
であれば、それは踏みにじれませんよね。
うん。
でも待ってください、そう思っているのは私だけで、本当は、私は本当に独りなのかもしれません……。
集団ストーカー
集団ストーカーに囲まれて、男は痴漢冤罪をでっちあげられま~す。
女は、痴漢をされま~す。
ニュースでは、被害者役と、逮捕役と、通報役しか報道されませんが、実際はほかにも乗客を装った仲間が二、三十人か、もっといま~す。
もちろんでっちあげで逮捕されて裁判にかけられるので、やってないといっても無駄で~す。
女性は警察に被害を訴えても追い返されま~す。
痴漢が痴漢じゃない人を逮捕しているだけなので、痴漢に痴漢を訴えても捕まりませ~ん。
上記の演説は、YouTubeやニコニコ動画などで集団ストーカーを告発している動画配信者、aiueo700氏によるものです。
まずそもそもですが、当記事のテーマは「違和感」に端を発しており、ネタなんかに逃げず、そのイワ感と改めて向き合ってみると……?
はっきりいって異常事態です。
不自然極まりない。
そして席を空けて獲物を待ち構え、私というカモが引っかかって座った瞬間、集団ストーカーによる包囲網が完成し、私は煮るなり灼くなり、好きにされるのかもしれません(ちなみに余談ですが、「煮るなり焼くなり」の「焼くなり」を「灼くなり」にするとかっこよくないですか?)。
つまりそこは、サッカースタジアムにたとえるなら「相手サポーターが陣取るゴール裏」であり、そんな敵地に足を踏み入れてしまった時点でかなりやばいのに、あまつさえ能天気に座ってはいけないということです。
はえー、危なかった……この記事を書くまで真相に気づいてなかった……。
まとめ
というわけで、電車内の空席にだれも座らないという超常現象について、三つの仮説をお送りしてきましたが、みなさんお気づきでしょうか?
じつは三つの仮説すべてに、
- 川島永嗣
- 長友佑都
- ゴール裏
などなど、隙あらばサッカーネタを仕込んでいるんですよね。
なぜだかおわかりですか?
ちょっと考えてみてください。
答えはすぐに述べます。
いいですか?
いきますよ?
はい、意味はないんです。
それにこの記事にも意味はありません。
まあ実際そんなものです。
だれもなんにも考えずに、ただ目的地に到着したから席を立った人と、ただ電車がきたから電車に乗ってきた人と、ただぼーっと意味もなく立ち続ける人がいたという、ただそれだけの話です。
でも世の中にはちゃんと、川島永嗣もいるし、長友佑都もいるし、座席に座りたい人も、便座に座りたい人も、お一人様がいい人も、独りじゃ寂しい人も、集団ストーカーと戦っている人も、集団で戦っている人も、意味のないことを好んでやる私もいます。
そんなとき、多種多様な人々の存在を認め、譲り合って生きていくことができれば、そんなに素晴らしいことはありませんよね(強引なまとめ)。
以上!
THIS IS THE ANSWER.