※体験談ではありません。
私がジョギングを布教しているAちゃん(仮名)から受けた質問。
でも、わたし便秘気味じゃん。ジョギング中にいきなりしたくなることってある?
うん。あるんじゃないかな……? 内蔵とか結構揺れるし
じゃあいきなり大きいほうしたくなったらどうするの……(怯え)
野グソをするしかないなら、野グソをするしかないんだよ(トートロジー)
野グソするしかないなら、ジョギングしないだけなんだよ
ほんとクソだなこいつ……(だって痩せる方法聞いてきたのAちゃんだし、私は一番簡単で一番健康的で一番幸せになれるダイエット法を教えてあげているだけなのに……!)と思いながら、私はAちゃんを説得することができませんでした。
どうしてわかってくれないんだ……。
野グソをするしかないなら=野グソをするしかない。
これは「1+1=1+1」といっているのと同じで、圧倒的に正しい理屈なのに……。
これが正論では人は動かないというやつか……と私は打ちのめされました。
でも私は論理に訴えかけることしかできない悲しきモンスター、リベンジに向けて論理を磨くしかありません。
というわけで本記事は、野グソをしてもいい論理的な理由3つ!
では以下目次です。
野グソは軽犯罪法違反です。ただし、やむを得ない場合に場所選び(主に人目と私有地を避ける)と事後処理さえ怠らなければ、罪に問われない可能性が高い行為です(緊急避難)。本記事で肯定する「野グソ」は、この緊急避難を前提とするものであり、違法行為や脱法行為を推奨するものではありません。予めご了承ください。
野グソをするしかないなら?野グソをするしかない
野グソをしてもいい理由その①「野グソをするしかないなら野グソをするしかない」
~本記事冒頭の会話のフルバージョン~でも、わたし便秘気味じゃん。ジョギング中にいきなりしたくなることってある?
うん。あるんじゃないかな……? 内蔵とか結構揺れるし
じゃあいきなり大きいほうしたくなったらどうするの……(怯え)
近くの公園とかコンビニとか……?
公園とかコンビニとか全然ない、川沿いとか山沿いみたいな道を走ってたら?
……つまり、近くに利用可能なトイレがないってこと?
うん
……我慢?
我慢もできない
……じゃあそのへんで
無理
いや、無理じゃないでしょ?
無理
無理じゃないよ??
じゃあしたことあるの
ない
ほら無理じゃん!
いや……(そもそも私は便秘気味じゃないし、ジョギングで外にいるの1時間ぐらいだからそんな緊急事態になること自体がないんだけど……)
自分がしたことないのに人にできるっていうのよくない!!
でも外で漏れそうで、トイレなくて、我慢できないんでしょ?
うん
野グソをするしかないなら、野グソをするしかないんだよ(トートロジー)
野グソするしかないなら、ジョギングしないだけなんだよ
しかし、このAちゃんの結論は明らかに間違っています。
なぜなら、
犬は野グソをするしかないけど、散歩をしている。
クソ、どうしてあのときの私は、この単純明快すぎる例え話を思い浮かべることができなかったのか……。
もちろん、人間と犬は違います。
犬は、自分で野グソの後始末ができません。
人間はできます。
それじゃあもう、人間はなんの気兼ねもなく、野グソできるじゃん!!
だって犬は、自分で後始末ができないのに、野グソが許されているんですよ。
なら自分で後始末のできる人間が、緊急時に野グソをして、許されない理由がありません。
犬なんてもはや、野グソをする前提で、飼い主が後始末用のスコップとかうんち処理袋とかを持ち歩いていますからね。
冷静に考えたら、それってどうなの? 不測の事態でもなんでもないじゃん、だって予測できているんだから!
でも仕方がありません、だって犬は野グソをするしかないんだし、
野グソをするしかないなら、野グソをするしかないのだから。
野グソをした?何時何分何秒地球が何回回った日?
野グソをしてもいい理由その②「あなたは野グソをしていない」
うんち!
と私がブログで書いていることをだれも知らないように、あなたが野グソをしたとしても、あなた以外はだれもそのことを知りません。
あなたが、慎重に物陰を選んで、だれにも喋りさえしなければ。
簡単な話です。
じゃあしたことあるの
ない
これで終わりです。
私がじつは野グソをしていたとしても、この一言で、私は野グソをしていないことになります。
近くにトイレが利用可能な公共施設も商業施設もない辺鄙な場所(あるいは時間帯)なら、人もいないか、人目を避けるのも簡単です。
川沿いや河川敷なら、木陰とか草むらとか橋の下。
山沿いや山道なら、それこそ山に入ったり森に入ったり登ったり降ったりすれば、草木や高低差や死角で無限に隠れられます。
ところで森といえば、こんな有名な話があります。
だれもいない森で、1本の木が倒れたとき、倒木の音は鳴るか?
鳴らない。
なぜなら、だれも倒木の音を聞いていないから。
だれにも認識できない現象は、存在できない。
元ネタは、アイルランドの哲学者、ジョージ・バークリーが唱えた認識論だそうです(だれもソースを確認できないなら、ソースは存在できない)。
この認識論は、そもそも「だれもいない森」や「倒木の瞬間」すらも存在できないじゃないか……という方向に話が進んでいきますが、野グソを消すなら、ここまでの理解で十分です。
では、応用してみましょう。
自分以外だれもいない森で、1本の野グソを垂れたとき、自分以外の人間は野グソがあったことを知るか?
知らない。
なぜなら、自分以外に野グソの目撃者はいないし、自分はだれにも喋っていないから。
自分以外だれにも認識できない現象は、自分以外にとって存在できない。
はい、これで野グソは半分消えました。
あとは野グソが雨に流されたり、自然に還ったりすれば、完全に消えます。
もはや自分でも、野グソが夢か現実か幻かは、判別できません。
もちろん、「だれもいない森」を想像できるように、
「だれもしていない野グソ」を想像することはできます。
もしかしたら、あなたがそれを想像して、だれかに喋るかもしれません。
でもそれは想像であって、現実ではありません。
日本の哲学者、一休さんはいいました。
ではその野グソを、屏風絵から出してください。
出せないなら、あなたは野グソをしていない。
あなたが、野グソをしたことを、だれかに喋ったとしても。
人の野グソを笑うな!みんなちがってみんなクソ!
野グソをしてもいい理由その③「生理現象」
世の中は 食うて糞して寝て起きて さあて そのあとは 死ぬるばかりぞ
にんげんだもの
と、一休さんや相田みつをもいっているように、人間は生きている限りクソを垂れ流す生き物です。
垂れますよね?
外で湿った目やにを取り除いている人間もいれば、外で下痢っぽい鼻水をかんでいる人間もいます。
指で耳クソをほじっている人間もいれば、咳やくしゃみをして毒素を飛ばしている人間もいます。
そして食事をすれば、歯クソも垂れるし、クソも垂れます。
それが正常な人間です。
だから可愛い清純派アイドルもイキった俺様系ホストも、貴族も王族も皇族も、乞食から王様まで全員クソを垂れています。
もちろん、褒められた行為ではないし、人前では可能な限り控えるのも人間です。
でも、我慢できなかったら、しょうがないじゃん。
「目糞鼻糞を笑う」という言葉があります。
自分も目クソで汚いくせに、鼻クソを汚いと笑うバカのことです。
これで考えてみれば、野グソを笑う人間はバカです。
だってその笑っている人間だって、クソは垂れているわけでしょう。
そのクソを垂れている場所が、どこであれ……。
- 野外
- 家のトイレ
- 学校のトイレ
- 公園のトイレ
- コンビニのトイレ
どこで垂れてもクソはクソで、汚いことに変わりはありません。
大丈夫、最近流行りのソロキャンプとかでも、みんな野グソしてるから!
「花摘み」もクソ、「キジ撃ち」もクソ、逆になにがクソじゃないの?
みんなちがって、みんなクソじゃん。