わたしです。
なぜ白黒テレビは灰色の世界しか見ないのか
~世界は何色なのか?~

現在(2025年)、私たちが一般にテレビと呼ぶのはカラーテレビであり、カラーテレビは白黒放送とカラー放送の電波に対応した映像受信機です。
一方で、白黒テレビは白黒放送にしか対応しておらず、仮にカラー放送を受信しても白黒映像に変換して表示する機能しか持ちません。
さてそこで、もしも白黒テレビに意識と口を与えた場合、白黒テレビはなにを喋るでしょうか?
~白黒テレビの見解~

などと喋るでしょうね。
そして私たちは、そんな白黒テレビをバカにします。
なぜなら、私たちは白黒テレビの外側にいて、この哀れな白黒テレビに世界の真実を突きつけることができるからです。
~私たちの見解~


しかし、私たちがどれだけ力説したところで、白黒テレビは灰色の世界しか見ようとしません。
白黒テレビは自分の殻に閉じこもり、自分に内蔵された機能に囚われているのです。
嗚呼、かわいそうな白黒テレビ……。

なぜ上杉謙信と武田信玄が別人に見えるのか
~日本のことわざ「敵に塩を送る」~



この上杉謙信は「軍神」、武田信玄は「武神」と呼ばれる日本の戦国時代最強の武将です。
上杉謙信と武田信玄は、10年以上にわたり5回も大規模な戦争を繰り広げた挙げ句(川中島の戦い×5)、結局決着がつかなかったのでどっちも最強ということになりました。
さてそうしてふたりが戦争に明け暮れていたある日、武田信玄の領地で食塩が枯渇して、死活問題となりました。
~戦国時代の塩対応~



私たちの驚愕は、もちろん上杉謙信と武田信玄が因縁の敵同士なのに、という認識に基づいています。
ところで、ふたりが敵同士だという認識は、ふたりが別人だという認識に基づいています。
そしてふたりが別人だという認識は、位置関係という認識に基づいています。

たとえば上杉謙信は西暦1530年生まれで、武田信玄は西暦1521年生まれなのだから、時間的に生まれた位置が違います。
さらに上杉謙信は越後国の人間で、武田信玄は甲斐国の人間なのだから、空間的に生きていた位置も違います。
上杉謙信と武田信玄は、時間的にも空間的にも存在する位置が違うのだから、違う存在である。

なぜ指が頭を見上げて自分だと思わないのか
~人間の自意識について~

あるいは白色と黒色とか、上杉謙信と武田信玄と呼んでもかまいませんが。
この人間の指が、それゆえ人間の認識能力を伴っていれば、お互いを自分とは別の指だと認識するでしょう。
さらにこの指たちに意識と口を与えれば、こんなふうに会話をしたり、喧嘩を始めたりするかもしれません。
~不毛なやりとり~




……そもそもお箸は中国起源の文化ですが、それを抜きにしても、この不毛な争いは指たちの外側から見れば滑稽に映ります。
つまりお箸を支えているのは、人差し指も中指もほかの指も同じです。
だからお箸と聞けば親指や薬指も名乗りを上げてきて、しかし最後に一番外側に立つ小指だけが、おまえだけがお箸を支えていないと指摘されそうになってあわててこう叫びます。

視野が狭い人差し指たちは、一見するとお互いの指が別々の位置に生えているため、お互いを別々の存在だと認識しています。
しかし外側からすべてを見渡せば、お箸を支えているのは「同じ手」、根本的にはすべての指が繋がっている「同じ存在」です。
そしてさらにその手は手首と繋がり、手首は腕と繋がり、腕は肩に繋がって首から頭へと繋がっているわけですが……、


人差し指が頭を見上げて、あの頭は自分ではないと思うように……。
私たちは太陽を見上げて、あの太陽は自分ではないと思う。
しかし、「外側」からすべてを見渡せば、もしも「時間と空間の外」にまで視野を広げることができれば、

まとめ:なぜ敵に塩を送り隣人を愛するのか

- 白黒テレビは、予め世界に存在している「白と黒」を認識しているのではなく、白黒テレビの機能が世界を白黒に染めている
- 人間は、予め世界に存在している「時間と空間」を認識しているのではなく、人間の機能が世界を時間と空間で満たしている
- 私たちが、白黒テレビの外側から白黒の世界をバカにするように、私たちの時間と空間も外側からはバカにされているだろう
以上です。
じつは上杉謙信と武田信玄の「敵に塩を送る」エピソードは、後世の創作である可能性が高いと指摘されています。
しかし創作ならなおさら、なぜ作者はそのような非現実的な話を作ったのかという謎が深まり、
~日本のことわざ「敵に塩を送る」~


上杉謙信と武田信玄が、本当にお互いを滅ぼし合う敵同士なら、上杉が武田を助けるのは矛盾しています。
しかし、上杉は武田を助けるべきである、ここに真実が含まれています。
真実は、上杉と武田は敵同士ではなく、同じ存在だからです。
~イエス・キリストの名言~

という不滅の言葉もまた、やはり同じ真実を言い当てているがゆえに、真実と同じく永遠に不滅となりました。
自分を愛するように隣の人も愛するべき理由は、自分と隣にいる人が「実際」、同じ存在だからです。
以上、日本人も古来より「八百万の神」といってすべての個体に神を認めてきましたが、これはすべての個別に見えるものを見破り「自分」を認めよという神話的表現にほかなりません。
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