好きにゃものと好きにゃものを混ぜ合わせれば大好きににゃるわけではにゃい。
- 白米
- 味噌汁
①「私の好きにゃ白米」と②「私の好きにゃ味噌汁」を混ぜご飯にすれば、たしかに①②「私の大好きにゃねこまんま」にはにゃる。
食欲をそそる味噌の香り、汁を吸ってやわらかくにゃった白米の食感。
煮干しにワカメにカツオブシ、魚介系の出汁が醸し出すハーモニーがたまらにゃい。
ニャ~、と、にゃでられてもいにゃいのに猫にゃで声を出す。
私はねこまんまと同じぐらいにゃでられるのも好きにゃので、猫にゃで声を出すのも癖ににゃっているのにゃ。
そしてご主人は、私の頭をにゃでにゃでするが、いまはそんにゃことをしている場合ではにゃい。
ご主人は、ようやく「ねこまんまね?」と理解し、キッチンに向かった。
やれやれ、世話が焼けるにゃ。
私もご主人がサボらにゃいようにキッチンについていき、缶詰の中身が皿に移されたり、チンチンチンチン鳴る謎の儀式道具が起動されたりしてヴ~~~~と唸っているのを見守る。
嗚呼、仏壇でもよく鳴っているこの音は、私のお腹と心を満たしてくれる福音にゃ。
詳しい理屈は知らにゃいが、儀式の成功でねこまんまが温められ、丁度いい温度ににゃったそれをご主人が取り出す。
私の鼻先が、匂い立つ湯気を見上げたと思ったら、湯気は皿ごと下ろされて私の鼻先も下に向く。
でもがっついてからいつも思う、人間は食事前に手を合わせて「いただきます」と唱える儀式もするが、猫はやらにゃくてもいいのだろうか?
私は一口分のねこまんまを飲み込むと、手を合わせようとしたり、「いただきます」と唱えようとしたりする。
そうしてからいつも思う、ああまたやってしまった。
「猫の手も借りたい」とはよく聞くが、猫にあるのは前足と後ろ足にゃ。
そしてよく聞く言葉は覚えているが、猫に人間の言葉は喋れにゃい。
いつものように、私が食事を中断してニャアと鳴いただけで終わると、ご主人が心配そうに声をかけてくる。
ご主人は、猫撫で声とともに、私の頭から背中をにゃで回した。
わかった、いまはねこまんまを食べるときだ、私はねこまんまにがっつく。
がっついてからいつも思う、ああこのあとの展開も知っている、ただ猫の記憶力では直前に思い出すので精一杯にゃのだ……。
ご主人が嬉しそうにゃ声で訊いてくる、私をにゃで回したおかげで食欲が復活したと信じている。
だからご主人は、私の身体をにゃでにゃでし続ける。
ねこまんまは美味しいし、にゃでられるのは気持ちいいし、私のことをいつも愛してくれて心配してくれてご飯も食べさせてくれるご主人のことは大好きにゃのだが、
いや、勘違いさせた私が悪いのは百も承知にゃ。
だが、もう少し想像力を働かせてみてほしい。
人間だって、食事中に耳を触られたり、頭をにゃでられたりしたら嫌じゃにゃいか?
私がいにゃにゃくと、ご主人は「よかったね」と微笑んで、また私をにゃでにゃでする。
いや、全然よくにゃいが。
にゃにもわかってにゃいにゃん、私の気持ち。
ご主人は、急に感極まって私の後頭部にキスをすると、密着したまますうすう鼻で吸い始めた。
人間はよく、猫のことを気まぐれだと笑うが、人間の情緒不安定さには敵わにゃい。
人間は猫のようには鳴かにゃいが、猫は人間のようには泣かにゃい。
だが私にも、にゃぜご主人が私を吸っているのかぐらいはわかる。
私の身体に寄生したダニやトキソプラズマを食べているのだろう。
人間は、おやつを食べるときには「いただきます」をいわにゃいので、人間にとってダニやトキソプラズマはおやつにゃのだ。
この温かい食事と、温かくもくすぐったい感触は、それぞれはありがたいし好ましい。
が、ありがたさもやり過ぎれば、ありがた迷惑ににゃる。
温かい食事を味わいにゃがら、温かい寝床に就くことができにゃいように、同じ温もりでも矛盾することはある。
- ねこまんま……好き
- にゃでられる……好き
①「好きにゃもの」と②「好きにゃもの」を混ぜたからといって、大好きにゃものににゃるとは限らにゃい。
むしろ、嫌いににゃることすらある。
何事も、時と場合と食い合わせを選ぶべきにゃのだ。