著者に見つかることがあるんですよね……本の感想とかレビュー記事をネットにアップすると。
とかに見つかることがあります。
エゴサーチとは、エゴ=自己、サーチ=検索であり、
つまり、主に自分や自分に関する評価や評判を検索する行為を指します。
では著者や作者や編集者に見つかることのなにがまずいのかといえば、
からです。
本記事では、この精神的ダメージや対策について詳しく解説します。
では以下目次です。
初心者は書評や読書感想の書き方以前の問題
です。
もちろんほかにもいろいろと学べたり得たりするものはあるでしょう。
しかしブログを継続することによってなにがもっとも磨かれるのかといえば、
- 文才
- 文章力
- ライティング・スキル
要するに筆力です。
筆力を筆頭に、そのあとも10位ぐらいまで筆力の同義語か類語が並びます。
- 筆力
- 文才
- 文章力
- 国語力
- 語彙力
- 言語力
- 表現力
- 思考力
- 発信力
- ライティング・スキル
こうして使用できる日本語が増えたり、扱える言葉遣いのバリエーションが増えたりするのはもちろん、
が上がっていきます。
「ブログ用の」というのが肝心なところです。
子どもの頃から国語のテストでいい点を取ってきた人生だからといって、その国語力をそのままブログに転用できるとは限りません。
たとえば私がここまで行なってきた句点ごとの改行などは、まさしくブログ専用のスタイルだといえます。当ブログ「アンサーソング。」をスタートさせてから身につけ、主にブログ上でしか使用していません。別段改行を入れずとも、文章そのものの質には影響しませんが、このように改行を入れずに文章を続けてしまうと、画面が文字で埋め尽くされてしまい、非常に読みづらいですよね。想像してみてください、これが最初から最後まで続く光景を。また、いままさにすべて破っているところですが、ブログの基本的な文章作法として、一文は短く、読点は多用しない、といった決まり事も挙げられます。それらの決まり事は、あくまで基本であって、絶対に遵守すべきルールではありませんし、究極的には文章に正解などは存在しませんが、世間一般で上級者と呼ばれるような人たちがやっているような、型破りを演じたり、個性を発揮したり、自分のスタイルを確立したりするためには、最低限、まずは型を習得する必要があり、型を習得するためには、ブログ上で、ブロガーの、ブロガーによる、ブロガーのための筆力を、実践的に伸ばすほかありません。
以上を一言でまとめると、
ということです。
しかし「伸び代がめちゃくちゃある」は、言い換えれば、
だということです。
書評の書き方とか読書感想文の書き方とか、そんな問題以前に、
がわかっていないんです。
ではその未熟な筆力で書評や読書感想文、レビュー記事を書いたとしましょう。
本記事冒頭で述べた要素……エゴサーチと組み合わせると、どうなりますか?
著者や作者や編集者に見つかると恥ずかしい
もちろんわかっています。
それをもって恥ずかしがったり、怖がったり、ビビったりする必要はありません。
多くの創作者は、(好意的な)感想があるだけで嬉しく、その感想のレベルが高いとか低いとかは意に介さず感謝しています。
たとえば今月ツイッターでバズっていたツイートですが、
と、漫画家のゆうきまさみさん(代表作「究極超人あ〜る」、「鉄腕バーディー」、「機動警察パトレイバー」など)も仰っています。
そう、作者に見つかったからといって、感想を消したりする必要はありません。
たとえ相手がゆうきまさみさん(ツイッターフォロワー数16万人)で、自分の感想がリツイートされて16万人の眼前に晒されたとしても、気にする必要はありません。
でも気にしますよね?
恥ずかしい理由は自分の感想文が未熟だから
そりゃあ気にするでしょう、その作品の作者、創造主、神に見つかったとなれば、嬉し恥ずかしい反面、怖いし、ビビるし、恐れ多いし、だからツイッターでは、
みたいなやりとりが絶えません。
ではこの「ギャー!!」はなにかといえば、
です。
それでもツイッターはまだマシですよね。
1ツイート140文字では、稚拙な感想を呟こうにも、語彙力が失われたツイートをするのがやっとだからです。
文章というのは、長文になればなるほど、粗やほころびが生じやすくなります。
1行の言葉が矛盾を孕んでしまうことはあまりないでしょう。
しかし1冊の小説が矛盾を孕んでしまうことはままあります。
だれしも短文ならまともなのに、長文になった途端、
- 思いのほかキモくなったり、
- 誤謬や誤字脱字が増えたり、
- 深夜に送るメールやメッセージよりも恥ずかしい文章になったり、
した経験があるはずです。
ブログは、まさにそうした、
です。
その恥ずかしい文章が、感想が、
- 著者に、
- 作者に、
- 編集者に、
届いてしまうことに、耐えられますか?
ちなみに書いている当初は耐えられます。
なぜなら、未熟な人間は、未熟であるがゆえに、己の未熟さを自覚できないからです。
初心者の場合、自分がやらかした「恥ずかしさ」を十全に自覚できるようになるまで、1年~3年ほどは要するでしょう。
逆に1年以上経って過去の自分を恥ずかしいと思わない場合、
- 1年目から完成度が高かった
- まるで成長していない………
のどちらかであり、大抵は後者なのでかなりまずいです。
感想記事はブログ開設から1年後がオススメ
- 2019年3月、ブログを開設
- 2019年5月、本格的に始動
- 2019年11月、感想1記事目
ここまで慎重を期していても、ダメだったわけです。
半年程度では、全然成長が足りていませんでした。
私のブロガー暦は本記事執筆時点で約1年半ですが、
おそらくあと1年半ぐらいは成長が止まりません。
最近ようやく100点満点がどの程度なのかがわかるようになり、自己採点で60点の取り方がわかるようになってきたと感じています。
もちろん書評や感想記事で100点を取るためには、書評や感想記事を書いて実践的な練習を積むことも必要です。
したがって、昔の職人じゃあるまいし、最初の感想記事を書くまでに3年は我慢しろなどとはいいません。
実際、私も先月あたりから感想記事の練習を再開しています。
基礎的な筆力において、初心者マークが剥がせるようになるまで、それぐらいはかかります。
ちなみに私の肌感覚では、1年半でも初心者マークはまだ剥がせていません。
そういう意見もあるでしょう。
たしかにブログ記事は、修正のしやすさでいえば画像や動画の比ではありません。
しかし、こと書評や感想やレビュー記事に関しては、手直しのコストは軽くありません。
本のレビュー記事はリライトのコストも膨大
自分の思考体系や経験に基づいた記事であれば、メインテーマは自分の頭のなかに入っているため、再読み込みも再言語化も容易でしょう。
しかし他者の作品をテーマに扱った記事では、そういうわけにもいきません。
読書感想文やレビュー記事の質を上げたければ、課題図書の再読は必須です。
特に自分が未熟であるときに投稿した書評であれば、なおさらそうなります。
ブログで一番成長するのは筆力ですが、次いで読解力もアップするからです。
が、
特に私は漫画以外の読書がぶっちぎりで苦手なため、そう思います。
それで私は、昨年2記事しか書いていない「読書感想」タグのついた記事を、いまだにどっちも修正できていません。
もしこれが20記事とかだったと思うと、今頃ブログごと爆破していた可能性は否めません。
もちろん細部は違えど、感想やレビュー記事であれば本に限った話ではありません。
リライトが発生するとしても、最低でも本の再読が不要なレベルまで実力をつける必要があります。
そしてそこまでレベルを上げるためには、ブログ開設後1年の成長期間を設ける必要があるってわけです。
まとめ:作者もまたこちらを覗いているのだ
- 感想記事をネットにアップすると、作者らのエゴサの餌食になる恐れがある
- 相手はプロであり、己の未熟さと比較したときに申し訳なさで消えたくなる
- 作者らの鑑賞眼に堪える感想を述べるには、修行期間として最低1年は必要
です。
②「相手はプロであり、己の未熟さと比較したときに申し訳なさで消えたくなる」について補足を入れます。
たしかにブログと書評や読書感想記事の相性がいいのは間違いありません。
しかし、なぜ相性がいいのかといえば、
ですよね。
ということは、同じテキスト媒体で、
です。
その素人が、さらに初心者だったとき、実力差はいかほどでしょう?
もちろん、プロの作家や編集者は、そんなレベル差は眼中にないでしょう。
でもそれは、強者の余裕であって、弱者には余裕がありません。
ですから、著者や作者や編集者に見つかったとき、私たち素人は、
- 恥を感じたり、
- 怖くなったり、
- おののいたり、
するわけです。
ちなみに本記事は、強者によるエゴサーチを非難するものではありません。
弱者は見つかりたくなければ黙っていればいいんであって、ひたすらに己の未熟さだけが問題です。
との有名な格言があるとおりです。
感想を発表した瞬間から、自分もまた「感想の作者」になり、評価の対象となってしまいます。
それでもどうしても未熟なうちから書評や読書感想記事を投稿した上で、相手のエゴサを防止したい場合は、ニーチェのような外国人だったり、すでに亡くなっていたりする人物の著作をレビューするといいでしょう。
死人にエゴサはできません。
以上、ブログ初心者に書評や読書感想記事をおすすめしない理由でした。
THIS IS THE ANSWER.