みんなちがって、みんなダメ(著:中田考、初版:2018年、出版社:KKベストセラーズ)を読みました。
です。
ちなみに「ウラマー(知識人)」といわれても日本人にはピンとこないでしょうが、
といえば、日本人にも「知のエリート」っぽさが伝わるでしょう。
本記事では、この中田考『みんなちがって、みんなダメ』の金言、
を主軸に、
- 本書『みんなちがって、みんなダメ』の著者紹介
- 『みんなちがって、みんなダメ』の要約及び感想
- 頭のなかにひとり、Dr.中田考を住まわせるススメ
をお送りします。
では以下目次です。
中田考先生の簡単な経歴や信仰の紹介
2019年11月時点における中田考先生のTwitterとWikipediaに書かれているプロフィールを合体させると、
- イスラーム学徒
- 哲学博士
- さすらいの野良博士ラノベ作家
- 元同志社大学教授
- 同志社大学客員教授
- 同志社大学一神教学際研究センター客員フェロー
- 同志社大学アフガニスタン平和開発研究センター客員上級共同研究員
- 実業家
- 老年虚業家
- 株式会社東講(旧・カリフメディアミクス)代表取締役社長
- プロレタリア革命戦士(労働英雄)
- 「カワユイ(^◇^)金貨の伝道師」
- 「皆んなのカワユイ(^◇^)カリフ道」家元
- TikToker
- 地下アイドル
- 食品衛生責任者
- ネズミハウス🐀🏠の食客
となります。
一部ふざけている感も否めませんが、だいたい事実です。
たとえば、
というのは、中田考先生が居候的な生活をしていたり、たびたび「差し入れ」で食事を摂っていたりすることに由来します(ソース:ご本人のTwitter@HASSANKONAKATA)。
また、
というのは、ご本人がTwitterで連載していたライトノベル『俺の妹がカリフなわけがない!』を由来とします。
ちなみに『俺の妹がカリフなわけがない!』は、2020年7月にめでたく書籍化され、国内外のイスラーム界隈で話題となっている注目作です。
有神論者の言葉は参考になるか?
私も神様をあんまり信じていない日本人の一員なので、そこは若干不安でした。
しかし私が『みんなちがって、みんなダメ』を読み始めた第一印象は、
でした(失礼)。
でも「ガチで神様を信じる」って、結構非現実的じゃないですか?
私にとっては非現実的だし、その非現実的な信仰を持った人の言葉は、非現実的だと感じることが多いです。
だから『みんなちがって、みんなダメ』では予想が裏切られ、
と、少し驚かされました。
ここで、私や多くの日本人が共有する「神」に対する姿勢をおさらいしておきましょう。
- 神を信じる(有神論者)
- 神なんていねぇよ!(無神論者)
- 神はいるかもしれないし、いないかもしれない(不可知論者)
このうち、中田考先生は①「神を信じる(有神論者)」です。
私は③「神はいるかもしれないし、いないかもしれない(不可知論者)」です。
そしてついでに、私が敬愛する『レペゼン地球』のDJ社長が②「神なんていねぇよ!(無神論者)」です(64thシングル『花鳥風月』より)。
https://www.youtube.com/watch?v=piTrK16fjjc
ソース:【レペゼン地球】64thシングル『花鳥風月』 – 2019年11月6日閲覧(※『レペゼン地球』は2020年12月に解散後『Candy Foxx』に移行、全楽曲が非公開となりましたが、復活したときのためにリンクは残しておきます)。
- 神を信じるなら「イエス」
- 神を信じないなら「ノー」
この2択において、不可知論者は「ノー」です。
不可知論者は完全には神を信じず、ゆえに完全なる信仰を持たず、実質的な生活態度は無神論者、または無関心論者と同じです。
たとえば不可知論者は、宗教上定められた義務である礼拝を、規定の作法で規定の回数行なったりはしません。
よって私とDJ社長は同類です。
また、「無宗教」で知られる大多数の日本人も、私やDJ社長と同類でしょう。
ですよね。
この「っぽい」というのが重要で、完全に「神様」の存在を否定するわけではない。
ただ、「神様」が非現実であり、幻想であり、空想の産物である可能性も拭いきれない。
だから宗教儀式(お葬式とかお墓参りとか)への参加を断固拒否したりはしないけど、かといってガチで神仏を信じて行動するわけでもない。
ここに決定的な違いがあります。
私たち半信半疑派からすれば、そんなファンタジーっぽいものを半信半疑以上に信じている人間の言葉は、現実を見ているか少々怪しいものではありませんか?
ですからそんな中田考先生が、本書「第1章」の見出しからいきなり、
などと現実に即した物言いをしたことに私は驚いたし、続けざまに現実的な「バカ」認定やアドバイスを展開したことで私は確信しました。
中田考先生は、たしかに有神論ガチ勢という決定的な1点だけは私たち日本人の多数派とは違います。
でも、中田考先生の言葉は非常なまでに現実的だし、本書『みんなちがって、みんなダメ』は、現実の現代の日本でも通用する人生論です。
『みんなちがって、みんなダメ』の要約
です。
この一言はマジに金言で、個人的には本書のタイトルを『みんなちがって、みんなダメ』⇒『あなたが不幸なのはバカだから』に変更したいほどです。
ちなみに本記事は2019年11月に投稿、2021年4月にリライト(加筆修正)を行なっていますが、
以上に切れ味の鋭い一言には、2019年11月以降お目にかかっていません。
もちろんその切れ味は、本書のほかの文章に支えられています。
したがって、
の切れ味を実感するには、本書を全文読んだ上で、言葉の背景を理解する必要があります。
そして、そうするだけの価値があるからこそ、私はタイトルにまで推しています。
でも私が勝手に本書のタイトルを変更するわけにはいかないので、
を本書の要約として推します。
バカの自覚こそが、不幸に対する万能薬です。
では本書における「バカ」とは具体的にはどのような人間なのか、以下で解説しましょう。
「あなたが不幸なのはバカだから」理論
であると表現されています。
ウマとシカとヘビとミミズ……ではわかりにくいかもしれないので、ヒトの例も並行して考えてみましょう。
私たち人間は、「勘違いさせられること」がよくありますよね。
とかいわれたときに、「勘違い」してしまう。
でもこれこそが罠です。
この「勘違い」こそが不幸への入り口なのに、
と本当のことを指摘されて喜ぶバカがあまりにも少ない。
金にもならない。
でも、
と啓発したり洗脳したりすれば、喜んで金を出すバカが大勢いる。
だから世の中は、そうやってバカを騙して金を奪う詐欺師であふれている。
そしてこの手の詐欺に引っかかって、
です。
「ミミズ」が、自分のことをミミズだと理解しているなら、ミミズにできることをやっていればいい。
なのにそこで、自分のことを「ヘビ」だとか「ドラゴン」だとか思い込んで、ミミズがカエルを丸呑みにしようとしたり、火を噴こうとしたりするから失敗して不幸になる。
以上が『みんなちがって、みんなダメ』における「バカ」の定義です。
しかし幻想から目覚めようとも、バカはバカですよね。
バカがバカなりに幸せに生きていく方法
以上2点が、本書『みんなちがって、みんなダメ』におけるバカでも幸せに生きていく方法です。
つまり、一握りのスーパースターや偉人、成功者の真似事をするのはやめるべき。
それより平均的な人間はみんなバカなんだし、そんなバカでも幸せに生きているお手本が周りにいくらでもいるんだから、その人たちの真似をすれば同じように幸福な人生を送れる。
ここで具体例として、上記のアドバイスを私(バカ)の状況に当てはめてみましょう。
じつは恐ろしいことに、本記事でここまで中田考先生のいう「バカ」を解説している私は、それなのに「自分のことがバカだと認められないバカ」なのです(深刻すぎる申告)。
さて、そんな私(バカ)の敬愛するDJ集団『レペゼン地球』に『お前へ』という楽曲があるんですが、
『普通の人にはなんかなりたくないぞ』
でも鏡見てみろ
ほら”普通の人”それでいいの?
私(バカ)はこの「普通の人」を煽ってくれる歌詞が大好きなんですよね。
こうして鼓舞してくれれば、やる気が湧いてくるじゃないですか?
でも中田考先生にいわせれば、
『普通の人にはなんかなりたくないぞ』
でも鏡見てみろ
ほら”普通の人”それでいいの?
となります。
中田考先生は私(バカ)に、「レペゼン地球なんかに騙されるな、おまえは普通でいいんだ!!」と教えてくれます。
ありがたいことですよね。
でも中田考先生ごめんなさい、私(バカ)はバカ耳なので、これからも『レペゼン地球』の曲に耳を貸します。
そしてもちろん、中田考先生も私のような聞く耳を持たないバカがいることは重々承知されているので、あとは勝手にしろ、とおっしゃってくれるか、バカブロック(バカは拒絶して放置)されて終わりでしょう。
この中田考先生の「可能な限り忠告はするが、いうことを聞かないバカは放置」という姿勢も私と共通しており、とても好感が持てます。
『みんなちがって、みんなダメ』は、バカな異教徒への説得に奔走することほど無駄で消耗することはない、ということも教えてくれます。
不幸の原因は「偶像崇拝」じゃないの?
まず「言葉の暴力」が許容されない根拠は、だれかを傷つける恐れがあるからですよね。
でも本書『みんなちがって、みんなダメ』によると、
と否定されます。
本書では、神様以外への「承認欲求」や「言葉の暴力」など、
んですが、これはマジにイスラーム教徒の強みだと思います。
「偶像崇拝」の禁止はイスラームの教えですが、非ムスリムでも参考にできるので、覚えておく価値があるでしょう(神様すら信じない人間は、偶像などたやすく砕けるはずです)。
そしてこの論述の流れにおいて、中田考先生は、
とまで言い切ります。
その論拠の一部は、あの名作漫画『ジョジョの奇妙な冒険』第5部の名言にも通じるところがあるので同時にご紹介しましょう。
以下に、まずは『ジョジョ』第5部よりギャングの暗殺チームメンバー「プロシュート兄貴」のセリフを引用します。
カッコイイ!!
で、これはギャングの暗殺チームが掲げる行動規範ですが、当然私たちの大半はギャングでもなければ暗殺チームでもなければ、ISIS(イスラーム国)に所属しているわけでもありません。
ということは、私たちは逆に「ブッ殺す」という言葉を使う必要がないわけではない。
そして「ブッ殺す」という言葉をもって暴力の代わりとする。
プロシュート兄貴がいうところの、
上記の「なぐさめ」が、一般人である私たちには必要です。
中田考先生は、この「なぐさめ」を、精神分析でいうところの「代償満足」であると説明します。
そして私たち一般人が、「ブッ殺す」とのたまっている間は、「ブッ殺していない」ため、それで平和が維持されます。
にも関わらず、「ブッ殺す」という言葉に過剰反応を示し、大袈裟に捉えて怯えて、言葉を規制して封じ込めればどうなるでしょう?
「ブッ殺す」と伝えたいほど納得のいかない気持ちの捌け口までもが塞がれてしまいます。
すると感情のガス抜きができず、最終的には、
という感情の爆発、現実への発散へと至る。
だから「ブッ殺す」とか、そんな人畜無害な言葉で勝手に傷ついたり、不安になったりしているほうがバカなんであって、言葉を規制しても無意味だし、口だけ野郎は規制しないほうがいい。
これが中田考先生の見解(を私が無駄に『ジョジョ』を用いて解説したもの)です。
これで思いだすのは、友人とオンラインゲーム『Apex Legends』や『桃太郎電鉄』で遊んでいるときでも、素直に感情を吐露して暴言を吐きあったり煽りあったりするのが楽しいんだよな~ってことで、私はこの世界観に賛成です。
もちろん、現実世界ではやるべきときにはやらなければ、それこそ『5ch』で愚痴ったり、「Twitterデモ」とかをやったりして、
になってしまうので、注意が必要ですが。
「不幸の偶像」は、砕いていきましょう。
まとめ:「バカにつける薬」はあるけど
- 本書『みんなちがって、みんなダメ』は、イスラーム学徒の世界的権威が説く人生論
- 本書の要約は「あなたが不幸なのはバカだから」、バカの自覚が不幸に対する万能薬
- 不幸の原因は「偶像崇拝」、神様を信じないくせに「不幸の偶像」を信じるのはバカ
以上です。
それでは総評!
評価: 5.0本書『みんなちがって、みんなダメ』のサブタイトルは、「身の程を知るための劇薬人生論」です。
以上、中田考『みんなちがって、みんなダメ』の読書感想文でした。