モモ(著:ミヒャエル・エンデ、原作:1973年、訳:大島かおり)を読みました。
です。
私が読んだ『モモ』は岩波少年文庫版で、「小学5・6年以上」と紹介されています。
つまり児童書です。
しかし優れた児童書がみんなそうであるように、大人が読んでも示唆に富んでいるのが『モモ』です。
こうした『モモ』の問いかけは、むしろ仕事で能率化や合理化に取り組まざるをえない大人のほうが考えさせられるものでしょう。
実際、私に『モモ』をオススメしてくれた美容師さんは、人間の労働力化や、能率重視の生き方に批判的でした(後述しますが、『モモ』に登場する理髪師に感情移入していたようです)。
でも私が『モモ』を読んでみると、
と、ずっと思いながら読むことになりました。
『モモ』が鳴らす警鐘は、そのまま現実世界に適用することはできません。
現実には、
です。
本記事では、この「時間」というテーマを中心に、
- 「時間どろぼう」の仕事
- 「時間節約」の落とし穴
- 「時間どろぼう」の正体
以上の概要と感想を考えます。
では以下目次です。
時間どろぼうと,ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子モモのふしぎな物語.人間本来の生き方を忘れてしまっている現代の人々に〈時間〉の真の意味を問う,エンデの名作.1974年にドイツ児童文学賞を受賞(Amazonの商品ページより抜粋)
なぜ紙やスマホやiPadがあるのにKindleを買うのか?
★読書に集中できる。電話やメールやSNSなどの誘惑を完全遮断
★紙のようなディスプレイ。スマホやiPadより眼精疲労も少ない
★充電が楽。Amazon公式の基準では1度の充電で数週間利用可能
★軽くて防水。ベッドの上でもお風呂のなかでもどこでも読める
★高機能。辞書検索、メモ、ハイライト機能など紙より断然便利
★場所を取らない。本数千冊(一般的な書籍の場合)がこの1台に
読書習慣を身につけるならKindle一択です。ぜひ素晴らしい読書体験と教養を手に入れてください。
ミヒャエル・エンデ『モモ』の簡単なあらすじ
「モモ」とは、「ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子」の名前です。
『モモ』は「もくじ」によると三部構成であり、
- 第一部 モモとその友だち
- 第二部 灰色の男たち
- 第三部 <時間の花>
と進行します。
簡単に言い換えると、
- 第一部 主人公「モモ」の登場
- 第二部 主人公の敵「時間どろぼう」の登場
- 第三部 「モモ」対「時間どろぼう」の決着
です。
本記事では、「時間どろぼう」をメインに扱いたいため、第二部「灰色の男たち」から途中までのあらすじを記載します。
時間どろぼうと,ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子モモのふしぎな物語.人間本来の生き方を忘れてしまっている現代の人々に〈時間〉の真の意味を問う,エンデの名作.1974年にドイツ児童文学賞を受賞(Amazonの商品ページより抜粋)
なぜ紙やスマホやiPadがあるのにKindleを買うのか?
★読書に集中できる。電話やメールやSNSなどの誘惑を完全遮断
★紙のようなディスプレイ。スマホやiPadより眼精疲労も少ない
★充電が楽。Amazon公式の基準では1度の充電で数週間利用可能
★軽くて防水。ベッドの上でもお風呂のなかでもどこでも読める
★高機能。辞書検索、メモ、ハイライト機能など紙より断然便利
★場所を取らない。本数千冊(一般的な書籍の場合)がこの1台に
読書習慣を身につけるならKindle一択です。ぜひ素晴らしい読書体験と教養を手に入れてください。
第二部「灰色の男たち」(時間どろぼう)
さて、第一部「モモとその友だち」において、主人公のモモは、地域住民と親交を結びます。
しかし、第二部「灰色の男たち」の侵略によって、モモたちの絆は引き裂かれます。
たとえば、床屋のフージー氏が憂鬱な気持ちに沈んでいるとき、
こんなときに、「灰色の男」は床屋に現れます。
そして「灰色の男」は、「時間貯蓄銀行」の外交員を名乗り、フージー氏の気持ちを言い当てます。
それから「灰色の男」は、フージー氏の生きてきた42年間が、時間の浪費でできていることを指摘します。
- 仕事の時間
- 睡眠の時間
- 食事の時間
- 家事の時間
- 母親の介護のための時間
- ペットの世話をする時間
- 映画館で映画を観る時間
- 合唱団の練習をする時間
- 飲み屋で飲む時間
- 友だちと会う時間
- 読書のための時間
- 自分が会いにいくと喜んでくれるお嬢さん(足が不自由で車椅子に座っている)に毎日花を持っていく時間
- 寝る前に1日を思い返す時間
「灰色の男」は、ひとつひとつ、わざわざ秒換算で合計して、巨大な無駄遣いの数字をフージー氏に突きつけます。
これにはフージー氏も真っ青です。
そこで「灰色の男」は、時間の節約と、「時間貯蓄銀行」に時間を預けて利子を得ることを提案します。
このように、「灰色の男」の仕事とは、「時間」を「お金」のように扱う銀行マンの仕事です。
こうしてフージー氏を始め、街の大人たちは、「時間貯蓄者組合」の会員になり、「時間」を節約したり、貯蓄したりして生きることになります。
フージー氏の場合は、
それ以外にも、
- ペットを売り払ったり、
- 母親を養老院に放り込んだり、
- 車椅子のお嬢さんには「ひまがないからもう行けない」と手紙を出したり、
フージー氏は、時間の節約に励みました。
お金を節約したり、貯金したりするんだったら、時間だって節約したり、貯蓄したりするほうがいいに決まっているからです。
ただし、「節約」の仕方が正しく、「時間貯蓄銀行」が「時間どろぼう」でないなら、の話ですが……。
時間どろぼうと,ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子モモのふしぎな物語.人間本来の生き方を忘れてしまっている現代の人々に〈時間〉の真の意味を問う,エンデの名作.1974年にドイツ児童文学賞を受賞(Amazonの商品ページより抜粋)
なぜ紙やスマホやiPadがあるのにKindleを買うのか?
★読書に集中できる。電話やメールやSNSなどの誘惑を完全遮断
★紙のようなディスプレイ。スマホやiPadより眼精疲労も少ない
★充電が楽。Amazon公式の基準では1度の充電で数週間利用可能
★軽くて防水。ベッドの上でもお風呂のなかでもどこでも読める
★高機能。辞書検索、メモ、ハイライト機能など紙より断然便利
★場所を取らない。本数千冊(一般的な書籍の場合)がこの1台に
読書習慣を身につけるならKindle一択です。ぜひ素晴らしい読書体験と教養を手に入れてください。
「時間節約への批判」だとする解釈は正解か?
さて、以上が本書『モモ』における第二部「灰色の男たち」の途中までのあらすじです。
その後、「時間節約」に励んだフージー氏や大人たちがどうなったのかというと、
こういうことになりました。
子どもと遊ぶ約束や、学校の行事をすっぽかして仕事に勤しんでいる保護者のみなさん、心当たりがありますか?
あるいは現代風にいえば、子どものお守りをスマホゲームやYouTubeなどに丸投げしている大人のみなさん、心当たりがありそうですよね?
また、人付き合いの時間がもったいないからと、子どもどころか恋人も作らなかったり、食事や飲みの誘いも断ったりして、人の温もりがない生活を送っているみなさん……。
その文脈は、『モモ』の解釈としてはひとつの正解でしょう。
たしかに現代人は時間に追われすぎていて、「無駄」を楽しむ余裕すらなくしています。
と、私の大好きな漫画『ドラゴンボール』で人造人間17号がいっているとおり、「無駄」が楽しめないのは哀しいことです。
しかし、ということは、「無駄」には2種類あるということです。
時間どろぼうと,ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子モモのふしぎな物語.人間本来の生き方を忘れてしまっている現代の人々に〈時間〉の真の意味を問う,エンデの名作.1974年にドイツ児童文学賞を受賞(Amazonの商品ページより抜粋)
なぜ紙やスマホやiPadがあるのにKindleを買うのか?
★読書に集中できる。電話やメールやSNSなどの誘惑を完全遮断
★紙のようなディスプレイ。スマホやiPadより眼精疲労も少ない
★充電が楽。Amazon公式の基準では1度の充電で数週間利用可能
★軽くて防水。ベッドの上でもお風呂のなかでもどこでも読める
★高機能。辞書検索、メモ、ハイライト機能など紙より断然便利
★場所を取らない。本数千冊(一般的な書籍の場合)がこの1台に
読書習慣を身につけるならKindle一択です。ぜひ素晴らしい読書体験と教養を手に入れてください。
フージー氏の失敗で学ぶ2種類の「無駄」
しかし、「無駄遣い」の「無駄」には2種類あります。
- 楽しい、有意義な、価値を有する「無駄」
- 楽しくない、無意義な、無価値な「無駄」
です。
厳密にいえば、①の「無駄」には楽しい分だけ価値があるため、「楽しい+無駄」は矛盾ですが、便宜上それを「無駄」と見なして話を進めましょう。
フージー氏を始め、「時間どろぼう」に騙された大人たちの失敗は、このふたつの「無駄」を区別できなかったことにあります。
その証拠に、フージー氏が「時間節約」のために「無駄遣い」として切り捨てたものには、
- おしゃべり
- 母親
- ペット
- 車椅子のお嬢さん
など、自分の人生に意味や彩りを与えてくれるもの、生き甲斐となるような「生活」までもが含まれていました。
ここでいう「愛」とは、お客さんとお喋りをして楽しい空間を作ったり、耳が不自由な母親や人語を解さないであろうペットに語りかけたりする行為を指します。
またもちろん、足が不自由なお嬢さんのもとへ、毎日花を届けて喜ばせてあげるような気持ちや行動こそが「愛」です。
それは生活も荒れるでしょう。
自分の時間=自分が生きて活動する時間=自分の生活から、「好き」とか「楽しい」とか「愛」とかを削れば、だれだって荒れます。
なのに自ら、
- 「好きな時間」
- 「楽しい空間」
- 「愛する生活」
これら代替不可能な価値を、「時間節約」という名のハサミでバッサリと切り捨ててしまった。
これがフージー氏の、そして時間を節約する大人たちが陥りがちな本当の過ちです。
そしてこれは、「時間節約」自体に罪がないことも意味しています。
生活を豊かにするための手段であれば、自動車や包丁だって、行き先や矛先を間違えれば不幸を招きます。
でも自動車や包丁自体に罪はありません。
「時間節約」も同じです。
そこで、
と一律で決めてしまう行為は、フージー氏とは逆の方向で墓穴を掘っています。
- 楽しい、有意義な、価値を有する「無駄」
- 楽しくない、無意義な、無価値な「無駄」
このうち、②の「無駄」はちゃんと分別してゴミ置き場に投げ捨てるべきです。
でなければ、ゴミ袋の代わりに自分の人生を墓穴に投げ捨てるはめになります。
時間どろぼうと,ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子モモのふしぎな物語.人間本来の生き方を忘れてしまっている現代の人々に〈時間〉の真の意味を問う,エンデの名作.1974年にドイツ児童文学賞を受賞(Amazonの商品ページより抜粋)
なぜ紙やスマホやiPadがあるのにKindleを買うのか?
★読書に集中できる。電話やメールやSNSなどの誘惑を完全遮断
★紙のようなディスプレイ。スマホやiPadより眼精疲労も少ない
★充電が楽。Amazon公式の基準では1度の充電で数週間利用可能
★軽くて防水。ベッドの上でもお風呂のなかでもどこでも読める
★高機能。辞書検索、メモ、ハイライト機能など紙より断然便利
★場所を取らない。本数千冊(一般的な書籍の場合)がこの1台に
読書習慣を身につけるならKindle一択です。ぜひ素晴らしい読書体験と教養を手に入れてください。
「無駄」の分類はその人間の価値観次第
たとえば下記のうち、子どもを持つ親にとって、どれが一番大事なのか?
- 子どもと遊ぶ約束
- 学校の行事
- 仕事
『モモ』の世界観に則れば、①「子どもと遊ぶ約束」か、②「学校の行事」の2択でしょう。
しかし、
『モモ』の世界観的には、明らかに不幸な価値観を持った親です。
が、
そういう未来により高い価値を感じる親であれば、子どもとの約束よりも仕事を優先し、一見するとエコノミック・アニマル(経済最優先動物)的な生き方を模索することだって全然ありえるでしょう。
いずれにしても答えは人それぞれであり、一律に糾弾できるものではないということです。
「時間どろぼう」の正体!現実には存在しない
さてしかし、本書『モモ』には「時間どろぼう」がいたことを忘れてはいけません。
フージー氏たちはたしかに失敗しましたが、すべてを自己責任で片付けるのは少々アンフェアです。
つまり、
これは「灰色の男」との契約で、フージー氏の節約した時間が「時間貯蔵庫」に吸い取られていることを説明しています。
したがって、この時期のフージー氏たちは、どれだけ時間を節約しようとも、
ことを意味します。
2種類の「無駄」を区別しようが、しまいが。
節約した時間は等しく吸い取られ、「灰色の男」の葉巻にされて吸い殻になります。
ちなみに「灰色の男」=「時間どろぼう」は、貯蓄した時間に利子がつくと説明していましたが、
↑これは嘘です。
「灰色の男」が、本当に預けた時間を倍々に増やして返してくれるなら、「時間どろぼう」とは呼ばれていません。
本当のところは、時間を増やすどころか、1秒たりとも引き出し不可能になります。
そうやって人々を騙して時間を盗むから、「時間どろぼう」と呼ばれています。
だからこそ、「時間どろぼう」に支配された世界では、
という異常事態が発生しています。
つまり「時間どろぼう」の正体は、この異常事態です。
異常事態「余った時間を価値ある時間に変換することができない」、
です。
『モモ』では、その現代人が罹った病、状態異常を擬人化していると考えられます。
私たちが時間を節約したとき、節約した分の時間が強制的に盗まれたり、燃え殻になったりはしません。
- 楽しい、有意義な、価値を有する「無駄な時間」
- 楽しくない、無意義な、無価値な「無駄な時間」
2種類の無駄を区別して、②の「無駄な時間」だけを節約して価値ある時間に変換することは、十分可能です。
あるいは価値ある時間を節約してしまったとしても、より価値ある時間に置き換えることが可能です。
フージー氏の例に則れば、「お客さんとのおしゃべり」を削って早く仕事を終わらせる代わりに、「母親や車椅子のお嬢さんとのおしゃべり」を増やしてプライベート充実させたりできます。
その際、
- 「お客さんとのおしゃべり」
- 「母親や車椅子のお嬢さんとのおしゃべり」
どちらに重き(価値)を置くのか?
あるいは、どちらにも譲れない価値を認めて、別の時間を節約するのか?
そうしたことを考えることができるのが、私たち現実世界の住人です。
ただし、ある人が精神的「時間どろぼう」に生まれ変わることはありえます。
私たちが自らの意志や価値観に基づいて考えたり選択したりすることができるということは、
- 「時間」の使途
- 「無駄」の分類
- 「節約」の仕方
これらを間違えて、自らの手を汚して灰色の人生に染まることだって、可能だからです。
時間どろぼうと,ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子モモのふしぎな物語.人間本来の生き方を忘れてしまっている現代の人々に〈時間〉の真の意味を問う,エンデの名作.1974年にドイツ児童文学賞を受賞(Amazonの商品ページより抜粋)
なぜ紙やスマホやiPadがあるのにKindleを買うのか?
★読書に集中できる。電話やメールやSNSなどの誘惑を完全遮断
★紙のようなディスプレイ。スマホやiPadより眼精疲労も少ない
★充電が楽。Amazon公式の基準では1度の充電で数週間利用可能
★軽くて防水。ベッドの上でもお風呂のなかでもどこでも読める
★高機能。辞書検索、メモ、ハイライト機能など紙より断然便利
★場所を取らない。本数千冊(一般的な書籍の場合)がこの1台に
読書習慣を身につけるならKindle一択です。ぜひ素晴らしい読書体験と教養を手に入れてください。
まとめ:生活の管理も被害の予防も自己責任!
- 本書『モモ』は、「時間」をテーマに現代人の生活様式を問う児童書
- 「時間どろぼう」とは、現代人の劣化した価値観や生活空間の擬人化
- 「時間節約」の問題は方向性の問題であり、時間節約自体は悪くない
以上です。
そして最後に、
ことも明らかにしなければなりません。
なにかと被害者ぶる人間や、責任転嫁に忙しい人間には手厳しいですが、これが現実です。
では総評!
評価: 5.0本書『モモ』には、「マイスター・ゼクンドゥス・ミヌティウス・ホラ」と名乗る賢者が登場します。
「それは、なにかに成功すること、ひとかどのものになること、たくさんのものを手に入れることだ。ほかの人より成功し、えらくなり、金もちになった人間には、そのほかのもの――友情だの、愛だの、名誉だの、そんなものはなにもかも、ひとりでにあつまってくるものだ。」
以上、ミヒャエル・エンデ『モモ』の読書感想文でした。
時間どろぼうと,ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子モモのふしぎな物語.人間本来の生き方を忘れてしまっている現代の人々に〈時間〉の真の意味を問う,エンデの名作.1974年にドイツ児童文学賞を受賞(Amazonの商品ページより抜粋)
なぜ紙やスマホやiPadがあるのにKindleを買うのか?
★読書に集中できる。電話やメールやSNSなどの誘惑を完全遮断
★紙のようなディスプレイ。スマホやiPadより眼精疲労も少ない
★充電が楽。Amazon公式の基準では1度の充電で数週間利用可能
★軽くて防水。ベッドの上でもお風呂のなかでもどこでも読める
★高機能。辞書検索、メモ、ハイライト機能など紙より断然便利
★場所を取らない。本数千冊(一般的な書籍の場合)がこの1台に
読書習慣を身につけるならKindle一択です。ぜひ素晴らしい読書体験と教養を手に入れてください。