メメント(原題:『Memento』、2000年のアメリカ映画、日本語字幕版)を観ました。
メメント(原題:『Memento』、2000年のアメリカ映画、日本語字幕版)を観ました。安田尊@『メメント』を謳うブログ。時系列がバグっている謎映画です。現在A⇒過去Bへ戻るカラーシーン過去C⇒過去Bへ進む白黒シー[…]
↑そこで私は、まずあらすじを書き起こし、作中の時間軸で並べ直してみました。
それで思ったんですが、この映画の時系列は、並べ替えようが並べ替えまいが特に意味はありません。
こういう見せ方もあるよね、という芸術以上の意味はないのです。
本記事は私の感想なので、ひろゆきに「それってあなたの感想ですよね?」といわれても、はいそうですとしかいえません。
が、感想が事実ではないなら、「事実」とはいったいなんでしょうか?
では以下目次です。
記憶と事実の違いとは?記憶と事実は同じか?
~記憶と事実は違うか?~
レナードは、テディに「メモだけの人生はムリだ。メモなど当てにならん」といわれ、「記憶もだ。記憶の方がもっと悪い」と言い返します。
そして、「記憶は事実とは違ってる」に繋がるわけですが、では記録は事実でしょうか?
レナードは、記憶と記録を比較して、警察の捜査も引き合いに出しています。
警察は、「事実集め」の一環として、「目撃者の証言」もメモっているでしょう。
つまり、目撃者の証言(記憶)は、メモ(記録)に変換されうる。
そして、「記憶」⇒「記録」の変換がなされるなら、
- テディ「メモなど当てにならん」
- レナード「目撃者の証言だって当てにならん」
↑①「記録」と②「記憶」に互換性があるなら、テディとレナードは同じことをいっているだけです。
レナードは、「記憶もだ」とか「証言だって」とかいって矛先を逸らしているだけで、「メモなど当てにならん」にはなにも反論できていない。
自分の悪いところを指摘された小学生が、「おまえもだ」とか「そっちだって」とかいっているのと同じレベルの口喧嘩であり、
記憶が「車の色も間違える」なら、記録が車の色を間違えることもあります。
記憶が「思い込み」なら、記録が思い込みで書かれることもあります。
記憶が「事実とは違ってる」なら、記録が事実とは違っていることもあります。
- “事実1:男性”
- “事実2:白人”
- “事実3:ファーストネームはジョン OR ジェームズ”
- “事実4:ラストネームのイニシャルはG”
- “事実5:麻薬の売人”
- “事実6:車のナンバーはSG137IU”
このうち、事実⑥「車のナンバー」が、レナードの捏造であることは作中で明らかにされています。
事実③「ファーストネーム」にしても、「ジョン OR ジェームズ」ってなんやねん、と思いませんか?
「OR(または)」って、じゃあそれジョンかジェームズかどっちかは嘘なんだし、そんな適当な情報ならどっちも嘘という可能性も視野に入ります。
- 「JOHN」……プロの仕事
- 「OR JAMES」……素人の仕事
②「OR JAMES」だけ、素人感満載のガタガタな文字ですが、これはあとからレナードで自分で彫ったものでしょう。
レナードには、自分でタトゥーを入れるシーンと、タトゥーショップで彫ってもらうシーンがあります。
つまり、最初は①「ジョン」が事実だったのに、あとから②「ジェームズ」説も出てきた。
作中ラストで、レナードが自分に都合の悪い話を忘れ、自分に都合の悪い写真を燃やしたようにやっていれば……。
あるいは、頭のなかで考えた嘘の記録なら、そういう矛盾も生じてくるでしょう。
このことから得られる教訓は、
記憶と心の違いとは?脳と心は別々の存在か?
~記憶と心は違うか?~
サミーは公認会計士でしたが、交通事故の後遺症で、新しい出来事を数分で忘れる記憶障害に。
そしてサミーの妻が保険を申請し、レナードが調査へ。
レナードは、サミーの条件反射や反復学習の機能を調べるため、「パブロフの犬」的なテストを実施。
~パブロフの犬(パブロフ博士の研究)~
- 条件……ある音を聞く
- 反射……唾液を出す
サミーのテストでは、○や△や□のブロックを差し出し、△のブロックだけ触ると電流が流れる仕組みです。
サミーには、好きな形のブロックを触るように伝えます。
サミーが△のブロックを触ると、痛みで手を引っ込めます。
~サミーへのテスト~
- 条件……三角形のブロックを触る
- 反射……手を引っ込める
しかしサミーは、毎回△のブロックをベタベタと触っては痛がり、テストを実施する医師(心理学者)に中指を突き立てて悪態をつきます。
サミーは、△のブロックと電流を記憶できていないし、感覚的な反応も身についていない……。
つまり問題は、記憶障害(脳機能の障害)ではない。
これが保険調査員レナードの結論で、保険は「心の病」には支払われません。
しかし、「感覚」と「記憶」は別物でしょうか?
そもそもレナードは、サミーのテストについてこう語っています。
反復によって ものを学べる
自転車と同じだ 練習がものを言う
つまり条件反射が機能していないなら、「記憶とは違う脳の部分」が機能していないのであり、脳機能の障害です。
もしも「記憶」と「感覚」が違うなら、私がいま書いている映画の感想はなんでしょうか?
感想は記憶か? 感覚か?
- 事実
- 存在
- 実在
少なくとも、客観的に科学的に物理的に測定可能なものを①②③「実在」と呼ぶなら、事実としてヒトの脳は存在しています。
が、「心」は存在していません。
「心」が存在しないなら、「心の病」とか「心理的なもの」とか呼んでいるそれって、
保険調査員レナードは、「記憶」と「感覚」を区別しましたが、実際はどちらも脳みそ(脳機能)の副産物にすぎない。
記憶も心も感覚も、脳が生みだしている。
そして、レナードが繰り返し指摘しているように、「記憶は思い込み」にすぎないなら、
自分の外に世界はある?それって事実ですか?
~映画『メメント』のラスト~
たとえ忘れても きっと やることに意味がある
本当に世界はあるか?
まだ そこに?
記憶は自分の確認のためなんだ
みんな そうだ
さて どこだっけ?
- 世界はあるはずだ……希望
- きっと やることに意味がある……願望
まず、①「あるはずだ」とか、②「きっと」とかは事実ではありません。
あれだけ身体に「事実」のタトゥーを入れ、「おれは事実を追うだけだ」とかイキっていたレナードですが……。
さすがに、「事実6」のメモを捏造した直後は、信念が揺らいでいます。
レナードが信じる世界は、まだそこにあるのか?
本当に?
目を閉じていても?
でもこの検証、不十分じゃないですか?
レナードは車で走行中……目を閉じたところで、走行音も車内の匂いも、ハンドルの感触からシート越しに伝わる振動まで感じられます。
挙げ句の果てに、目を開けて「あった」って、そりゃ目を開ければあるでしょう。目に見えるものは。
- 視覚
- 聴覚
- 嗅覚
- 触覚
- 味覚
しかしレナードは、五感のうちのたったひとつ、①「視覚」さえ閉ざし続けることはできませんでした。
レナードが目を閉じている間、脳裏をよぎったイメージは、生きている妻と添い寝しているシーン。
イメージのなかで、レナードの身体にはタトゥーがあり、左胸には”I’VE DONE IT(おれはやり遂げた)”。
しかし、レナードが「やつを見つけたら」とナタリーに語ったのは、”I’VE DONE IT”のイメージ以降です。
つまり、目を開けたあとのレナードには、”I’VE DONE IT”のタトゥーはありません。
左胸のタトゥー、”I’VE DONE IT”は夢か現実か幻か?
~1年前~
では1年前から”I’VE DONE IT”のイメージまでの間に、レナードはタトゥーを入れたのか入れていないのか?
仮に入れていたとして、”I’VE DONE IT”のフォントは素人タイプで、レナードが自分で入れたと考えられます。
素人仕事だから、彫りが浅くて消せたのかもしれないし、彫る前の下書きだったのがなんらかの事情で消えたのかもしれません。
- 目を閉じる……”I’VE DONE IT”がある(やり遂げた)
- 目を開ける……”I’VE DONE IT”がない(やり遂げていない)
「自分の外に世界はある」なら、レナードは①「やり遂げた自分」を選ぶこともできました。
目を閉じて(自分の五感ではない外側にあるはずの世界で)、”I’VE DONE IT”を見て「あった」と答えることはできました。
目を開ければ(自分の五感でしかない内側の世界では)、タトゥーは消えているしやり遂げた記憶も忘れているけど、
そう納得することはできたはずです。
レナード自身、目を閉じる直前に「たとえ忘れても きっと やることに意味がある」といっているように。
しかし、レナードが「自分の確認」として選んだのは、②「やり遂げていない自分」でした。
なぜ記憶は曖昧なのか……信じたい自分を選ぶためです。
レナードが信じたかったのは、まだやり遂げていない自分、つまりまだやることがある自分。
やることがあると信じられる限り、自分にはまだ意味のあることができると信じられるからです。
- テディ「君は自分の真実を作った」
- テディ「君はただ探偵ごっこをしてた」
- テディ「死んだ女房を生きる目的にして」
それが事実だとしても、生きる目的を見失うよりはマシでした。
だからテディの話なんか忘れて、むしろテディを「おれのジョン・G」に仕立て上げて、「事実」という名の物語を作り上げます。
自分が信じたい物語に比べれば、
まとめ:映画『メメント』を100倍楽しむ方法
- 記録(メモ)のソース(情報源)が記憶なら、記憶が事実ではない場合、記録も事実ではない
- 記憶も心も感覚も脳機能の一部なら、記憶障害も心理的な病も無感覚も、脳機能の障害である
- 世界がどこにあるかなんてどうでもいいし、事実なんかどうでもいい、みんなもそうでしょ?
以上です。
以下総評!
評価: 5.0映画『メメント』は、あらすじを書き起こし、作中の時間軸で並べ直して楽しむ映画です。
・記録
・事実
・記録とはなにか?
・事実とはなにか?
レナード「事実じゃない」
以上、映画『メメント』の感想でした!
メメント(原題:『Memento』、2000年のアメリカ映画、日本語字幕版)を観ました。安田尊@『メメント』を謳うブログ。時系列がバグっている謎映画です。現在A⇒過去Bへ戻るカラーシーン過去C⇒過去Bへ進む白黒シー[…]