文豪の悪態 皮肉・怒り・嘆きのスゴイ語彙力(著:山口謠司)を読みました。
とサブタイトルにありますが、ぶっちゃけ文豪のスゴイ語彙力はあまり感じない一冊です。
どちらかといえば、山口謠司(やまぐち・ようじ)教授の漢字力をベースにした解説のほうがスゴイ感じです。
また私は先日、「文豪たちの悪口本」も読んでいますが、懸念された重複は少しあるだけでした。
というわけで本記事では、「文豪たちの悪口本」との簡単な比較も含めて、本書「文豪の悪態」の内容紹介と感想を述べます。
では以下目次です。
「青鯖が空に浮かんだような顔」「オタンチン・パレオロガス」……明治・大正・昭和に活躍した文豪が放った皮肉・罵倒の語彙とは。文豪たちの人間くささが垣間見えると同時に、悪態をつくときに放たれる言葉に不思議と奥深さも感じられる一冊。(Amazonの商品ページより抜粋)
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「文豪の悪態」の内容紹介!「文豪たちの悪口本」との違いは?
本書「文豪の悪態」の構成は、山口謠司教授の経歴が活かされており、
- まず文豪関係者の「悪態」が読み取れる文章を引用し、
- 引用文から単語をピックアップして意味や語源を解説、
- その後、悪態の背景にまつわるエピソードなどを紹介。
といったパターンの繰り返しです。
私が以前読んだ「文豪たちの悪口本」は、主に引用がメインで、解説は簡素なものが多かったと記憶しています。
一方で今回読んだ「文豪の悪態」は、解説がメインで、「文豪たちの悪口本」よりディープな印象を受けました。
実際、収録されている文豪もエピソードも、「文豪たちの悪口本」に比べるとマイナーどころが多いはずです。
その分、「文豪たちの悪口本」でピックアップされていたような過激さは薄いといえるでしょう。
いわば、
違いです。
「悪態」は「悪口」や「憎まれ口」を意味しますが、文字通り「悪い態度」といったニュアンスも感じ取れます。
「態度」は語彙によって十分に表現されるものもあれば、発露が不十分なものもあります。
本書「文豪の悪態」には、そうした心のうちにしまわれている「悪態」を、文豪たちの言動や周囲の状況から炙り出すような解説が添えられています。
また「文豪の」ではなく、「文豪が」文豪以外につかれた悪態も収録されています。
というわけで以下からは、私が気になったエピソードを本書「文豪の悪態」から引用しましょう。
ちなみに「文豪の悪態」本編は全部で四章からなりますが、
- 〔第一章〕「馬鹿」「田舎者」
- 〔第二章〕文豪の嘆きとぼやき
- 〔第三章〕喧嘩もほどほどに
- 〔第四章〕その「皮肉」も効いていますね
私がご紹介する悪態はすべて④『〔第四章〕その「皮肉」も効いていますね』から引きます。
皮肉が好きでごめんなさい、特に悪いとは思っていませんが(悪態)。
三島由紀夫「この人一人は、日本の男が、巨大な乳房と巨大な尻を持った白人の女に敗れた、という喜ばしい官能的構図を以て」
戦後二十年たって、戦争体験やら戦後体験やらがやかましく論じられているが、少なくとも昭和二十年当時十七、八歳以上であった人間にとっては、敗戦が一つの断絶と感じられていることは、たしかな事実と思われる。
しかし、そこにどうも一人だけ例外がある。この人ももちろん、戦時検閲の憂目を見、それなりの不自由も忍んだはずだが、傲岸不遜な芸術家の矜持を持ち、あらゆる人間に丁重で、あらゆる人間を虫けら同然に考え、みんなが豆カスを食べているときに尾頭つきのタイを食膳に載せ、生活全般を一流趣味で固め、日本古典文学の官能的な伝統を一身にあつめ、近代主義者たちの右往左往を冷たくながめ、政治をけいべつし、トーマス・マンが「自分のいるところにドイツがある」と言ったのとは多少ちがった意味で、「自分のいるところに日本がある」と確信し、すでに浪漫主義的天才であることを脱却して、ジュピターとサテュロスを兼ねた神になっていた。そしてあえて忖度すれば、大多数の日本人が、敗戦を、日本の男が白人の男に敗れたと認識してガッカリしているときに、この人一人は、日本の男が、巨大な乳房と巨大な尻を持った白人の女に敗れた、という喜ばしい官能的構図を以て、敗戦を認識していたのではないかと思われるふしがある。大きな政治的状況を、エロティックな苛酷な、望ましい寓話に変えてしまうことこそ、この人の天才と強者としての自負の根源だった。
ソース:「三島由紀夫 谷崎文学の世界」昭和四十年七月三十一日付「朝日新聞」夕刊 / 文豪の悪態 – 著:山口謠司 – 朝日新聞出版
さて、上記は文豪の三島由紀夫が同じく文豪の谷崎潤一郎を評した文章です。
本書「文豪の悪態」のなかで、
と私が唯一思った悪態がこれです。
まず、
とかなにをいっているのか謎です。
日本語で喋れ。
しかし私の拙い読解力でもなんとなくわかるんですが、スゴイ褒めていませんか?
もちろん私も、「褒め殺し」といった皮肉の手法があるのは知っています。
つまり上記の批評が本当に「悪態」であるなら、三島由紀夫はこうディスっているのでしょう、
と。
でもこれはもう、褒め殺しすぎて反転の反転で一周回って褒めているだけになっています。
その証拠に、私は三島由紀夫の批評を読んで、谷崎潤一郎への評価が上がりました。
だって自国が戦時中なのに贅沢な飯を食らう余裕があって、敗戦したら敗戦したでポルノ化する余裕まである芸術家って、どう考えてもやばすぎる天才では?
しかもそう思っているのは私だけではなく、本書「文豪の悪態」の著者である山口謠司教授も同様でしょう。
なぜなら、三島由紀夫の批評に対する山口謠司教授の解説文書き出しは、
で始まり、途中で三島由紀夫の批評をフォローする形で谷崎潤一郎をディスる追加の引用も行われますが、
文章はある意味に於て完成せられたるものである、然かしながら其完成は上手と云わるる落語家の話し振に似たる完成である。渋滞がないと云う意味に於て、磨きの掛かった巧みさがあると云う意味に於て、調子が陽気に滑べって行くと云う意味に於て、然かも肌に触る程の生々しさを持つと云う意味に於て、上手な落語家の完成である。然しながら滑稽の奥に悲哀が籠もり平凡なる写実の裏に沁々したる味ある名人の落語家に見る完成ではない、
ソース:小宮豊隆「谷崎潤一郎君の『刺青』」〔「文章世界」明治四十五年三月号〕 / 文豪の悪態 – 著:山口謠司 – 朝日新聞出版
引用した山口謠司教授自ら速攻で打ち消します。
これは谷崎の初期の小説『少年』『幇間』『象』について書いた論であって、後期のものになれば、言うまでもなく谷崎の作品は完成度の高いものになるが、それは、はたして名人芸と称される落語の深さに共通するものがあるのではないだろうか。
文章の美しさ、言葉の裏側にある陰翳の深さ、それは谷崎にしか書けない日本の文化の根源への理解なくては産み出されないものがある。
ソース:文豪の悪態 – 著:山口謠司 – 朝日新聞出版
え、なにこれビックリした。
だってあの三島由紀夫が谷崎潤一郎についた「悪態」の紹介から始まるからには、谷崎潤一郎を少しでもけなして終わるのかと思いきや、べた褒めして終わっているんですからね。
つまり結論としては、
- 谷崎潤一郎は紛れもなく名人芸であり、
- 三島由紀夫の悪態も無効化されており、
- 山口謠司教授は谷崎潤一郎の大ファン。
ということでいいんでしょうか?(悪態)
三島由紀夫がスゴイのか谷崎潤一郎がスゴイのかは知りませんが(たぶんどっちもスゴイ)、「悪態」でも人の評価を上げることができる、悪態の可能性を見た気がしました。
本多顕彰「日本人の恥さらし」
十一月四日付の新聞の第一面は湯川秀樹博士がノーベル賞を授与されたことを報じ、第二面は小説家田中英光氏が太宰治の墓の前で睡眠剤をのんで左腕をカミソリで切り自殺を遂げたと報じている。ともに、日本の文化の日、十一月三日の出来事である。
これを読んで、冷たい風が頭の中を吹き抜けるのを感じなかった人は少ないであろう。
湯川博士の受賞は日本人にとって一大朗報であるに違いない。ところが田中氏の死は日本人の恥さらしかも知れない。湯川氏はすべての日本人の顔を明るくし、田中氏はすべての日本人の顔を暗くし、あるいはしかめさせる。
ソース:本多顕彰「科学と人間――湯川博士と田中英光」昭和二十四年十一月七日付「読売新聞」 / 文豪の悪態 – 著:山口謠司 – 朝日新聞出版
さて、お次はちょっと前置きになるんですが……。
まずここで悪態をつかれている田中英光は、同人雑誌「非望」に投稿した小説『空吹く風』が太宰治の目に留まり、
という謎の勧誘を受けて太宰治に弟子入りした文豪だそうです。
まったく、三島由紀夫といい太宰治といい、文豪というのは横文字で綴ろうが日本語で綴ろうが謎めいた言葉を残す生き物です。
閑話休題。
さてしかし、太宰治が自殺した翌年、精神的にやられてしまった田中英光もまた、太宰治の後を追うようにその墓前で自殺してしまいます。
その田中英光の死を受けて、文豪である本多顕彰(ほんだ・けんしょう)が皮肉というか、ストレートに誹謗中傷なんですが、
と、ノーベル賞受賞者と比較して悪態をついたことが本書「文豪の悪態」では紹介されています。
この紙面上の死体蹴りは現代(2020年)の感覚でいえば間違いなく大炎上が予見されて差し止めを食らいますが、当時の新聞では許されていたんですね。
ただ、私はこの死体蹴りについては、これ以上特になにも思うところはありません。
ではなぜ本記事にこの項目を設けたのかというと、本書「文豪の悪態」において余談として取り上げられていた読売新聞の記事が面白かったからです。
というわけで前置きは終わり、次の項目に送って引用しましょう。
読売新聞「流行作家とは?」
田中英光が自殺した。あらゆる意味で窮地に追いつめられていた彼が最後の解決を自殺に求めたことは、何といっても痛ましいが、麻薬に中毒し、情人を傷つけて精神病院に入った径路を、強烈な自己反省もなくただむやみヤタラに書きまくって、それで一時彼が流行作家の観を呈したこと、流行作家というもののあり方が、現文壇では今やさような陰惨極まる性質を帯びて来ていることは、彼の不幸な死を前にして、一層考えさせずには置かない。流行作家とは一体何なのか?
流行作家はすべて窮死する運命にある、などといったら、今を時めく流行作家連はイヤな顔をするだろうが、しかしこれは冗談ではない。流行作家という現象は、半ば編集者に罪があり、半ば作家側に責があるが、要するに彼は「流行作家」という一種特別な生活を強いられた生活人なのだ。作家ではない、文学者でもない、流行作家という奇妙な「生活人」なのである。
だから彼は、生活を、つまり作品の質よりも作品の数を大切にする。無性に書きまくり、常時数多の雑誌上に名前を出すことによって市場価値を維持する。彼を追っかける編集者は、編集者というより今や協力者であって密接な因果あるいは利益関係が、そこに生まれる。そういう不思議な取引生活をするのが、流行作家であって、だから精神よりも生活力がモノを言い、生活力を失ってヘタバったら窮死するしかない。
生活の問題は生活の上で解決せよ。文学は自ら別のものだ。
ソース:「流行作家とは?」昭和二十四年十一月七日付「読売新聞」 / 文豪の悪態 – 著:山口謠司 – 朝日新聞出版
これ、現代の流行YouTuberやインフルエンサーとかにも十分通用する皮肉、悪態ですよね。
本記事では三島由紀夫の項で、「文豪のスゴイ語彙力!!」と私が唯一思った文章を引用していますが、
だと私が唯一思った文豪以外の悪態がこれです。
個人的には三島由紀夫と、この読売新聞による悪態が本書「文豪たちの悪態」の2トップです。
昔は新聞もかっこよかったんですね、いまでは見る影もありませんが(悪態)。
今日出海「寂しい人だった」
去年愛人に先立たれ、その通夜で「ひとり生き残ってもしょうがないよ、ね、何故慶応に入院した時(一昨年)僕は死ななかったんだろう。男が七十を過ぎて生き残っちゃ惨めだよ」と繰り返し、私の肩をつかんで言っていた。私も生き残った方がいいとも言えず、本当にそうですねとも相づちが打てず、返事に窮したが、久保田さんという人は寂しがり屋でだれか先生の傍に人がいた。敢て人を寄せつけていた。そのくせ家庭にいても、どこにいても独りもののように、自分で自分の用を足していた。豆腐屋が来ると、自分でなべを出して、買っていた。寂しい人だった。
ソース:今日出海「詩人 久保田万太郎 シンの強い寂しがりや」昭和三十八年五月七日付「朝日新聞」 / 文豪の悪態 – 著:山口謠司 – 朝日新聞出版
最後は私にも刺さった皮肉らしい皮肉です。
って言説は、個人主義の傾向がある人全員にぶっ刺さりますよね。
現代の日本では個人主義が台頭してきていて、会社に縛られないキャリアや家庭に縛られない生き方を志す人も多いはずです。
が、そういう人たちは全員「寂しい人」ってわけです。
あと流れ弾ですが、
とか、現代の超少子高齢化社会&未婚増加社会には被弾しまくりますよね。
寂しいなあ……。
私なんて当ブログ「アンサーソング。」がまず個人運営ですからね。
いまもこれ、ひとりで書いているんですよ。
……はい、寂しくなってきたのでもうおしまいにしましょう。
まとめ:「文豪の悪態」は勉強する意味まで教えてくれる!
- 本書「文豪の悪態」は比較的ディープな内容の文豪悪態まとめ本
- 著者の山口謠司教授による漢字語源解説もおまけ的に勉強になる
- 文豪や文壇周辺に渦巻いていた悪態は現代に通用するものもある
です。
そういえば②「著者の山口謠司教授による漢字語源解説もおまけ的に勉強になる」についてはほとんど触れていませんでした。
最後にいくつかご紹介して終わりましょう。
「官能」という言葉ほど、谷崎潤一郎の文学に相応しい言葉はないような気がする。
ただ、「官能」が「肉体的、あるいは性的な享楽を充足する働き」という意味で使われるようになったのは、明治時代も末期になってからのことだった。
たとえば、北原白秋が明治四十二(一九○九)年発表した『邪宗門』で「ここ過ぎて官能の愉楽のそのに」(「父上に献ぐ」)で使ったりしたのがその嚆矢である。
「官能」とは、もともとは、「動物の感覚器官の働き」をいうもので、医学書などで使われる専門用語だった。
森鴎外も『妄想』(明治四十四年)という小説で、「自分がまだ二十代で、全く処女のような官能を以て、外界のあらゆる出来事に反応して」と書いている。しかしここでは、谷崎のような 「性的享楽」を言うところまでこの語彙は変化していない。
ソース:文豪の悪態 – 著:山口謠司 – 朝日新聞出版
「睡眠」という熟語を見ると、それだけで眠くなってしまうという人も少なくないのではないか。
「睡」は、「目」と「垂」で作られている。「垂」は、「垂れる」と読む。つまりこれは瞼が垂れて、目を閉じることを意味する。
また「眠」の「民」は、もともと「人の目を針で突いて、目を見えなくしてしまった奴隷」を表す。つまり「眠る」というのは、目を閉じて、現実を遮断してしまうことである。
「睡眠」……それは、瞼を閉じて現実を遮断して、自分の心の中に入っていくことなのかもしれない。
ソース:文豪の悪態 – 著:山口謠司 – 朝日新聞出版
「さびしい」には、二種類の漢字での書き方がある。「寂しい」と「淋しい」である。
「寂」は、もともとは「静かなこと」「ひっそりとしていること」を表す。仏教用語として「寂静」というのがあるが、これは俗世間から離れてひっそりと静かなところで修行をすることを意味する。こうしたところは、俗人には、独りで住むには寂しすぎて堪えられないだろう。そんなことから、「さびしい」という意味で使われるようになった。久保田万太郎に限らず、「寂しがり屋」は、人がいるところでしか生きられない。
それでは「淋しい」とは何か?
こちらは、中国の古典では「さびしい」という意味で使われることがない漢字である。もともとは「淋雨」と書いて「しとしと降る雨」、「淋淋」と書いて「水が絶え間なく滴る様」を表す漢字だった。
それは、「林」という漢字が「同じものがたくさん並んでいること」を表し、それに「氵」が付いているので、「水がいっぱい流れている」ことを意味するからである。
ということで、おそらくそういう風景が、日本人にとっては「さびしく」感じられたのであろう。「淋」は、我が国だけで「さびしい」の意味で使われている。
ソース:文豪の悪態 – 著:山口謠司 – 朝日新聞出版
「勉強」という言葉は、我が国では「学問に励むこと」また時に「商人が品物を安く売ること」という意味で使われる。
しかし、本来、中国の古典ではそういう意味では使われない。
「或いは勉強して之を行う」と『中庸』に書かれるが、これは「困難なことでも無理にがんばってやること」を言う。
「勉」という漢字は、もともと「分娩」の「娩」と意味を共有する「免」という字で書かれていた。
これは、女性が、狭い産道から無理にがんばって子どもを産むという意味である。分娩は女性にしかできないことであったので「女」偏がつけられたが、同じように「力」を込めて、無理だと思われることでも、やっていくというので「勉」という漢字が作られた。
これに「強いる」の意味を持つ「強」が付き、困難なことでも強いてがんばって行うという意味の熟語「勉強」ができた。
ソース:文豪の悪態 – 著:山口謠司 – 朝日新聞出版
勉強になりすぎるためやや引用しすぎの感もありますが、強いてがんばって引用させていただきます(勉強)。
特に「民」の語源がやばすぎるんですが、どこの国でも国民=衆愚であることを思えば、語源のほうが正確であることがわかりますね(悪態)。
というわけで総評!
評価: 5.0本書「文豪の悪態」が教えてくれるのは文豪にまつわる悪辣なエピソードだけではありません。
山口謠司教授の語学力を下敷きにした解説から、日本語まで学べます。
それはたとえば「勉強」の意味も学べますし、「勉強する意味」も学べます。
なぜなら、ただでさえ天才肌の文豪だって、「勉強」して大成していることが本書には書かれているからです。
その文豪がだれなのかは、是非「文豪の悪態」本編でお確かめください。
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読書習慣を身につけるならKindle一択です。ぜひ素晴らしい読書体験と教養を手に入れてください。
以上、文豪の悪態 皮肉・怒り・嘆きのスゴイ語彙力(著:山口謠司)の読書感想文でした。
THIS IS THE ANSWER.