魂が出たり入ったり分裂したり増殖したり入れ替わったりする存在を愛するのは無理。
VTuberに魂はあるのか?
令和に入ってからというもの、VTuberの「魂」すげ替え問題が何度か炎上している。
ここでいう「魂」とは、ぶっちゃけ「中の人」のことであり、VTuber界隈ではよく「中の人」のことを「魂」と呼称する。
たとえば2019年6月末、YouTubeなどで活動している人気VTuberグループ、「ゲーム部プロジェクト」のメンバー、「桜樹みりあ」の声が変わり、次いで同年7月にも「道明寺晴翔」の声が変わり、最終的には同年9月までに全メンバーの「中の人」変更を運営側が発表した際にも、
などという批判の声が断続的に上がり、それは2019年8月現在も続いている。
批判の声のソース:人気VTuberの「声変わり疑惑」が示した「魂」の大切さ – J-CASTニュース – 2019年8月17日(土)閲覧。
そして 2019年8月には、バーチャルYouTuber四天王の筆頭とも目される、つまりはリアルYouTuberでいうところのHIKAKINポジションであるキズナアイが、やはり「中の人」の分裂というか増殖、入れ替え騒動で大炎上しており、このキズナアイ分裂騒動をまとめたReddit(世界最大級の電子掲示板群)のサブミッションでも、
などと言及されている。
ソース:Full Timeline of Multiple Ai Project : VirtualYoutubers – Reddit – 2019年8月17日(土)閲覧。
このように、VTuberのファンは国内外問わず、「中の人」に「魂」を見出している。
よって本記事でもVTuberの「中の人」については「魂」と呼称したい。
魂はめんどくさい
さて、ではさっそく本記事のテーマである「愛」と「魂」とを結びつけるけど、まず人間を愛する場合、それはその人の魂(と呼ばれるもの)を愛することと同義だ。
と主張する人はいるにせよ、その場合は人間を愛しているのではなく、形を愛しているだけなので、ひとりで人形とかを愛でていればいい。
人形はたぶん魂を持たないし、だから意志も感情も持たず、ゆえにだれのことも決して拒絶しないし、受け入れることもない。
そんな人形を愛でるのはさぞかし楽だろう。
しかし人間を愛する場合には、愛する人の魂と対峙し、ふれあい、調和しなければならない。
それは恋愛でも家族愛でも、人類愛でも変わらない。
そして人を愛するために生きたことがある人ならだれでも知っていることだけど、魂とふれあうことはめんどくさい。
なぜなら人形とは真逆で、意志があり感情があり、好き嫌いがあり、ゆえにだれかのことを絶えず拒絶していて、拒絶の対象は時に自分かもしれないし、自分ではないかもしれない。
そして触り方が乱暴だったり未熟だったり、タイミングが悪かったりして、人と人との調和はしばしば失敗する。
それが恋人であれ家族であれ、本来愛したかったはずの人を愛せなくなったり、人類ごと戦争に駆り立てられたりする。
魂と魂のぶつかり合いがそうさせる。
魂と魂の愛憎劇
人間は基本的に、ひとりひとつの魂を所有していると考えられる。
しかしVTuberの場合は、ひとりひとつの魂とは限らない。
本記事冒頭から述べているとおり、VTuberの魂は出たり入ったり、分裂したり増殖したり、入れ替わったりもする。
ということは、自立していないし、独立していないし、
そのクソガキの魂にはいつだって母親の魂が付きまとっていて、混合しようとしているけど、でも混ざれないし、調和が取れていないし、中途半端な状態にある。
そんなやつ愛せるか?
マザコンが母親以外に嫌われるのはいうまでもない。
そしてVTuberの場合、キズナアイを例にするなら、最初に母なるオリジナルキズナアイがいて、そこから二号、三号、四号、と増えているわけだけど、まずこうして、
- 初代キズナアイ
- キズナアイ二号
- キズナアイ三号
- キズナアイ四号
と分別されている時点で、魂の調和が取れていない。
だからそのキズナアイが何号だろうが、いつだってキズナアイには初代キズナアイの影が付きまとう。
そして魂はぶつかり合う。
それぞれのキズナアイに絆も愛もなく、調和していないのであれば、キズナアイの魂は反発し合い、同調圧力から支配を強いたり、逆に自己犠牲によって自ら服従したり、あるいはいずれかのキズナアイが退場する運命をたどったりする。
そしてそんなキズナアイを愛したい人は、初代から四号まで、すべてのキズナアイの魂を愛さなければならない。
なぜなら、たとえ今回のキズナアイ分裂騒動で一番槍玉に挙がっている四号が消えたところで、四号がキズナアイの魂としてキズナアイに入っていたという事実は消えないし、その魂、影、残骸も未来永劫、「キズナアイ」にまとわりつく。
だからキズナアイを本当に愛したければ、キズナアイのファンは、
- 初代キズナアイ
- キズナアイ二号
- キズナアイ三号
- キズナアイ四号
- 自分(ファン)
という、合計五つの魂でふれあい、調和を目指すことになる。
けど、無理だよね。
めんどくさすぎる。
だって単純に人間同士が一対一でふれあっても決裂しまくっているのに、キズナアイとのふれあいはその四倍も決裂するリスクがある。
しかもキズナアイの魂が四つなのは現時点での話で、これからも魂が出たり入ったり、分裂したり増殖したり、入れ替わったり炎上したりするわけだから、絶対にめんどくさい。
でもそこで、
と主張することも可能だけど、それってVTuberの魂が分解可能な、取り外し可能な、人形のパーツでしかないことを認める所業だ。
VTuberをそこまで貶めたいなら止めないけど、はたしてそれを愛だと信じられる人間がどれだけいるんだろうか?
まとめ
というわけで、VTuberを愛するには、まず愛の形として、
- VTuberを人間に寄せるか
- VTuberを人形に寄せるか
という二択を迫られるわけだけど、人間に寄せて魂を重視するなら魂の多さが問題になるし、人形に寄せて魂を軽視するならその愛は偽りだろうという、なかなかにめんどくさい存在、あるいは素材がVTuberだ。
しかしVTuberファンは、VTuberの「中の人」のことを「魂」と呼んでいることからもわかるとおり、VTuberを人間に寄せたがっている。
そこでファンの要望を叶えるべく、VTuberを人間に寄せた上で面倒な問題を解決する方法は簡単だ。
しかしそれでは企業側が目論む、VTuberを操り人形として扱うビジネスは成立しないし、企業側はいまのところ、VTuberの傀儡化について妥協する姿勢は見せていない。
そこでじゃあ個人が運用するVTuberに希望を見出そうにも、現時点では技術的、作業量的にいって、個人運営のVTuberは最初から人形に寄ってしまっている。
ではVTuberを人間に寄せたいVTuberファンはどうすればいいのか?
なぜなら結局のところ、「魂」を重視するなら、VTuberは壁にしかなっていない。
だってここにきていきなりこんな現実を突きつけて申し訳ないけど、人間を愛するなら、人間の魂は人間の内側にある。
でもVTuberを愛するなら、VTuberの魂はVTuberの内側の人間の内側にあるわけで、魂までの壁が一個増えている。
だから少なくとも、人間がAIやバーチャルに寄るような退化をしない限り、人間の愛は安泰だし、そんなに素晴らしい愛を人間は持っているわけだから、愛の力を信じて、人間は人間を愛したらいい。
バーチャルなんかに注ぐのはもったいないよ。
以上。
THIS IS THE ANSWER.