責任逃れは朝飯前だ、と私は前回の記事で述べました。
逃げてもいいんだよ~系のメソッドを極めていくと、安田尊@非常口を謳うブログ。(この世から)逃げてもいいと思ってしまうし実際そのとおりだから生きる気力がなくなるよね……。と思っていて気づいたんだけど、じゃあ安[…]
そこで今回は、私がどのようにして責任から逃れるつもりなのかを公開します。
ちなみに一言でいえば、
ですが、そんなことはだれでも知っていますよね。
重要なのは「他者」のバリエーションであり、目で盗める具体例です。
というわけでさっそく、「私が新型コロナウイルスをばらまいたら」という想定でやっていきましょう。
以下目次です。
Amazonより商品紹介:人間は自由意志を持った主体的存在であり、自己の行為に責任を負う。これが近代を支える人間像だ。しかし、社会心理学や脳科学はこの見方に真っ向から疑問を投げかける。ホロコースト・死刑・冤罪の分析から浮き上がる責任の構造とは何か。本書は、自由意志概念のイデオロギー性を暴き、あらゆる手段で近代が秘匿してきた秩序維持装置の仕組みを炙り出す。社会に虚構が生まれると同時に、その虚構性が必ず隠蔽されるのはなぜか。人間の根源的姿に迫った著者代表作。文庫版には自由・平等・普遍の正体、そして規範論の罠を明らかにした補考「近代の原罪」を付す。
私が新型コロナウイルスをばらまいたなら
本記事を執筆している2020年7月24日現在、日本ではCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)が流行中です。
そして4連休の真っ只中でもあります。
さてそこで、日本在住の日本人である私が、
としましょう。
そうした私の行動がニュースで報じられると、私はどうなってしまうでしょうか?
前例を鑑みるに、私はリアルでもネットでもボコボコに叩かれます。
そして普通なら、私はただひたすらに謝罪を強いられるか、黙して嵐が過ぎ去るのを待つしかない状況に追い込まれるでしょう。
しかし私は普通ではなかったため、こう言い放ちます。
では以下の3つの要素について、
- のこのこと国内旅行に出かけ、
- 道中で新型コロナウイルスに感染し、
- 旅行先では濃厚接触者多数でクラスター(集団感染)を引き起こした
ひとつずつ検証していきましょう。
私は国家と専門家に命令された被害者
私が京都市民であるということはどういうことか、ご説明しましょう。
じつは日本政府は2020年7月22日から、
を開始しています。
「Go To トラベル事業」とは、日本国内発着の旅行者を増やすことで、日本国内の旅行業、観光業、宿泊業などを支援するキャンペーンです。
「Go To トラベル事業」の主な支援内容は、
- 国内旅行を対象に宿泊・日帰り旅行代金の1/2相当額を支援。
- 支援額の内、①7割は旅行代金の割引に、②3割は旅行先で使える地域共通クーポンとして付与。
- 一人一泊あたり2万円が上限(日帰り旅行については、1万円が上限)。
- 連泊制限や利用回数の制限なし。
です。
ソース:Go To トラベル事業 – 国土交通省 – 2020年7月24日(金)閲覧。
ところで2020年7月22日といえば、日本国内における1日当たりのCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)新規感染者数が過去最多を記録した日です。
そんなCOVID-19流行の真っ只中にあって、
「Go To トラベル事業」を管轄する国土交通省観光庁は、2020年7月22日付の資料で以下のように述べています。
- 東京都が目的地となっている旅行については、東京都内の旅行も含めて、当面、Go To トラベル事業の対象外とする(割引支援を行わない)。
- 東京都に居住する方の旅行についても、同様に、当面、Go To トラベル事業の対象外とする(割引支援を行わない)。
以上を要約すると、
というわけです。
そして私は京都市民です。
したがって私は「Go To トラベル事業」の対象です。
我が国が予算1兆6,794億円もかけて、
と呼びかけている一大キャンペーンの対象に、私はなっています。
じゃあいきますよね?
国と国が招集した専門家(新型コロナウイルス感染症対策分科会)が、
と、国民である私たちに必死になって訴えかけているんですよ。
そりゃいくでしょ。
それで後日、「旅行は悪だった」と検証されても、私は国と専門家に旅行をするように仕向けられただけです。
責任を負うべきは旅行をするように「仕向けられた」私ではなく、「仕向けた」国や専門家でしょう。
私はウイルスを感染させられた被害者
なぜなら新型コロナウイルスは、私が自ら発生させたウイルスではないからです。
私が移動中に新型コロナウイルスに感染したなら、必ず感染させた人間が存在します。
なら責任を負うべきは、「感染させた」人間のほうでは?
私は「感染させられた」人間です。
世の中には2種類の人間がいますが、
でいえば、私は「被害者」です。
被害者を責めても良いなら、
などにおいても、被害者を責めることが可能になってしまいます。
たとえば「東池袋母子轢殺プリウス暴走事件」に関していえば、
などといえるようになってしまいます。
また「京都アニメーション放火殺人事件」に関していえば、
などといえるようになってしまいます。
そしてCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)に関して言えば、
と、いうんですか?
それがいえる社会であれば、そもそも私が感染症の媒介者となっても、責任を追及されるいわれはありません。
そこまで自己責任を追及する社会では、他人がいくら感染症を持ち込もうとも、自分の身は自分で守るのが道理だからです。
ならどの道、私が感染症に対して負うべき責任は、「私の身体」に対してだけでしょう。
したがって自分の健康状態について、他人から責任を追及される筋合いはありません。
私が悪いとすれば親の仕業か神の御業
私はただ旅行をしていただけですが、知らず知らずのうちに被害者となり、そして気づけば加害者にもなってしまいました。
私が旅行をしたのは国と専門家のせいであり、私が新型コロナウイルスに感染したのは名前も顔も知らない他人のせいです。
しかしクラスターを引き起こすほどの強い感染力を発揮したのは、紛れもなく私なのです。
なぜなら、私がクラスターを発生させるほどの個体である理由は、
であると考えられるからです。
そう、感染症においてはしばしば、
と呼ばれる患者が確認されます。
「スーパー・スプレッダー」とは、直訳すると「超拡散する人」です。
スーパー・スプレッダーは、通常の感染者よりも圧倒的に大多数への二次感染を引き起こすことで知られています。
が、ではなぜその人が「スーパー・スプレッダー」となるのかは、よくわかっていません。
ただ少なくとも、「本人の意思でスーパー・スプレッダーとなっているわけではない」ことは確かでしょう。
自分が感染症に罹患していたとして、
なんて超能力は、だれも持っていないからです(少なくとも私は持っていません)。
もちろん「自分がスーパー・スプレッダーかもしれない」と考えて行動することは可能かもしれませんが……いうほど可能でしょうか?
診断を受けるまで、自分が陽性であるかどうかさえ覚束ないのに、ましてや、
を常日頃から取ることが、はたして現実的でしょうか?
あなたは実践していますか?
もし実践されているのであれば、その活動には敬意を表するほかありません。
「COVID-19(新型コロナウイルス感染症)」や「スーパー・スプレッディング」のメカニズムさえ完全には解明されていないのに、
によって感染を完全に予防されている方には(どうやってそれを証明するのかは知りませんが)、惜しみない称賛を送るべきでしょう。
でもほとんど人間にはそんな活動、持続不可能です。
そして対策が困難なのは、スーパー・スプレッダーに限りません。
本人の意思にかかわらず、体質的に、遺伝的に、知らず知らずのうちに感染症を拡散させてしまう人がいます。
仮に私がそうだったとして、その責を私にだけ負わせるのはあまりに酷では?
だってそんなの、私にはコントロール不可能な「生まれつき」の素養でしょ?
なら悪いのは頼みもしないのに私を産み、そんな遺伝的素養を受け継がせてきた私の両親であり、そんな私の両親を産んだ私の祖父母であり、そんな私の両親を産んだ私の祖父母を産んだ私の一族……、
てか、マジで神さまが万物の創造主ならウイルスの制作者も神さまなんだけど、神さまひどすぎない?
まあなんにせよ、私がクラスターを発生させてしまった要因として「生まれつき」の「受け継がされた」資質を考慮すべきです。
そして自分にはコントロール不可能な「生まれつき」のことで生じた結果を責められることは、だれにとっても理不尽ではないでしょうか?
まとめ:責任逃れをする人の特徴と対処法
さてさて、ここまで責任逃れのパターンをお見せしてきましたが、やっていることは至極単純です。
本記事冒頭で述べたとおり、
だけです。
言い換えれば、「自分の状態は他者に影響を受けた結果である」と被害者ぶっているだけです。
そうして被害者ぶる際に、「加害者」となる、
いると主張して責任をなすりつければ、責任転嫁は完了です。
したがって責任逃れをする人間の特徴は、主体的に生きていない他力本願人間だといえます。
では最後に、そうした責任転嫁を潰す方法も一緒にご紹介しておきましょう。
それは、相手が国だろうが専門家だろうが加害者だろうが親だろうが神さまだろうが、
と詰めることです。
本記事の例でいえば、
です。
そして「私」を詰めながらこういいましょう。
と。
目には目を、歯には歯を、責任転嫁には責任転嫁を、です。
ちなみにいうまでもないことではありますが、念のため……本記事で扱っている「責任」とは、法的な「責任」ではありません。
法律に照らすなら、そもそも前回の記事や今回の記事で触れている「責任」なんて弁明するまでもなく不問です。
というわけで以上、日常的な責任から逃れる方法でしたが、不当な場面で使うと叩き潰されるので使いどころは見極めましょう。
Amazonより商品紹介:人間は自由意志を持った主体的存在であり、自己の行為に責任を負う。これが近代を支える人間像だ。しかし、社会心理学や脳科学はこの見方に真っ向から疑問を投げかける。ホロコースト・死刑・冤罪の分析から浮き上がる責任の構造とは何か。本書は、自由意志概念のイデオロギー性を暴き、あらゆる手段で近代が秘匿してきた秩序維持装置の仕組みを炙り出す。社会に虚構が生まれると同時に、その虚構性が必ず隠蔽されるのはなぜか。人間の根源的姿に迫った著者代表作。文庫版には自由・平等・普遍の正体、そして規範論の罠を明らかにした補考「近代の原罪」を付す。
THIS IS THE ANSWER.