深淵はこちらが覗くときにしか覗き返してくれないのかもしれませんが、現実はいつだってこちらを覗き込んでいます。
そもそも現実から逃れられたやつっているの?
現実の対義語といえば、
- 理想
- 夢想
- 仮想
- 空想
- 幻想
- 妄想
といろいろありますが、要は想っているだけ。
思っているだけ。
思っているといえば、あの有名な哲学者のセリフ、
というセリフが連想されますが、「我思う、ゆえに我あり」の意味は、この世が夢か現か幻か、いずれにせよ疑わしいけど、でもそれを疑っている我こそがいままさに確実に存在しているというこの現実だけは認めろよ、ってこと。
うん、そういうこと。
デカルト=我=現実ということ。
つまり、だれがなにを想おうがかまわないけど、それって全部現実の上に成り立っているよね? ってこと。
ってこと。
だから現実の上で理想だか夢想だか仮想だか空想だか幻想だか妄想だかアニメだか漫画だかゲームだか知らないけど、なにをしたところで、そこって現実だよね?
てかそんなんで現実から逃げられると思ってるやつ、現実ナメすぎでは?
じゃあ現実から逃れるにはどうすればいいのかって、可能性はひとつしかない。
それさえ現実から逃げられるかどうかは定かではないけど、それしかない。
ってことは、少なくとも確認できないという意味において、現実から逃れられたやつ、ゼロじゃん。
現実から現実への逃避
結局のところ、だから現実に生きている以上、現実からは逃げられない。
「現実逃避」は「現実上の自らが課された義務や責務を果たさないこと」だっていっても、別にそれって現実逃避でもなんでもなくて、「現実上の自らが課された義務や責務を果たさないことを選んだ自分が存在する現実世界」にジャンプしてるだけ。
現実世界から現実世界にジャンプしてるだけ。
バカじゃん、ただの。
いや、現実世界から現実世界にジャンプすることがバカなんじゃなくて、それはみんなやっていることだからいいんだけど、いやみんなやっているからってバカじゃないかっていうと違うけど、ともかくそれを現実逃避って呼ぶことがバカっていうか、嘘だよね。
だってどこが現実逃避なの?
そういう意味では、「現実逃避」のもうひとつの定義、現実から現実への逃避、つまりある現実上の義務や責務から逃れるため、別の現実上に課された義務や責務を優先する、って定義のほうがまだ「現実逃避」を冠するにふさわしいと思う。
ただそれでもやっぱり、逃げられないことに変わりはない。
見て見ぬふりをしても無駄
たとえば一年ぐらい前にツイッターでバズったイラストがあって、元ツイートは削除されているので諸々の事情を考慮して画像の引用や出典は差し控えるけど、タイトルは「教師に思ってる事をそのまま言う学生」。
イラストのイメージとセリフはこんな感じ。
シャツをちゃんとしまってるかとか
スカートを折っていないかとか
髪型はちゃんとしているかとか
第一ボタンを留めてるかとかは
よく見て注意するくせに
ここに登場する「教師」は「現実から現実への逃避」の典型で、
という現実逃避になるわけだけど、じゃあそれでなにが解決されるのかって、なにも解決されない。
依然としてイジメ加害者もイジメ被害者も存在している上に、
という現実が待っているだけだよね。
その現実を歓迎するならそうすればいいと思うけど、それってなんの逃避になってるの? って純粋に疑問に思う。
見るんじゃねえ!消えてくれるかも知れねえだろ!
ちなみに、現実を見ないことで現実が改善する例はもちろんある。
けど、その「またたくスピリット」にはマジック:ザ・ギャザリングの世界観を断片的に示すフレーバーテキストが添えられていて、その一文がこちら。
このテキストがなにを表現しているのかというと、「またたくスピリット」という怪物に対して、「ゴブリンの戦術家、イブ・ハーフハート」が対処法を叫んでいるシーンで、その対処法が、
うん、アホだよね?
どのファンタジー作品でもそうだけど、ゴブリンはアホの象徴で、それはマジック:ザ・ギャザリングでも例外ではない。
だから戦術家だろうがなんだろうが、ゴブリンはアホだし、ゴブリンの叫ぶ「見なかったことにしよう!」作戦もアホでしかない。
この記事でも言及しているように、見て見ぬふりをしたところで無駄なのだ。
と思いきや、じつは「またたくスピリット」に関しては、戦場から持ち主の手札に戻る能力を持っていて、だから目を離している隙にマジで消えることがある。
ってことは、ゴブリンの戦術家、マジ戦術家。
って感じのフレーバーテキストに仕上がっていて、カードゲーム史上最高にセンスがいい。
そして現実にも「またたくスピリット」と同じ能力を持っているやつら、いるよね?
匿名掲示板の荒らしだとか、SNSの荒らしだとか、露出狂だとか、こちらがかまってあげないと存在意義を失うやつら全般。
だから「またたくスピリット」がいない現実を望むなら、ゴブリンの戦術家に従ってみるのは全然ありだと思う。
まとめ
というわけで、大抵の「現実逃避」と呼ばれる行為は全然現実逃避になっていないので、もし家族や知人や「またたくスピリット」どもから、
といった暴言を吐かれたとしても、
とでも返して、相手によっては見ないことにしてやり過ごすのもありです。
ただし、そこが現実なので、現実はいつでもあなたのそばにいて、あなたのことを見つめています。
そのことを理解していれば、突如として現実にぶん殴られても受け身が取れます。
理解していなければ、脳細胞の暗闇からの一撃を受けるはめになります。
その現実を直視していれば、いざ自分が事故を起こしたとき、事故に巻き込まれたとき、脇見運転で生きてきた人間よりはダメージがやわらぎます。
そして現実に寄り添うことは、武器にもなります。
なお、
という方はこちら↓
【美女】童貞の抱く幻想が世界で一番美しい
以上。
THIS IS THE ANSWER.