他人は変えられないけど自分は変えられるよ~、みたいな格言ってよく目にしたり耳にしたりするけど、他人なんて余裕で変えられるよね。
たとえば【借金】友達にお金を貸してはいけない理由!でも書いたけど、いっぱいお金あげれば人は変わるし。
お金じゃなくても、愛情でも愛人でも憎悪でも悪人でも、いっぱい差し向ければ他人は変えられる。
っていうことが今回、俺のいいたいことではなくて、そりゃあ、
って格言にしても、絶対に他人は変えられないっていっているわけではなくて、難易度のことをいっているんだと思う。
意訳すると、
ってところだろう。
ってことが今回俺のいいたいこと。
自分は自由か?
他人の人生が自由にならないのは当たり前だ。
他人の人生は他人のものなんだし、ジャイアンでもない限り、
なんてセリフはなかなか吐けないだろう。
でもじゃあ自分の人生は自分のものかっていうと、自分の操縦桿を自分で握って、自分の人生を自由に操縦して、自分の思うがままに歩めているやつがどれだけいる?
自分の人生、自分の自由になっているか?
大多数の人間は、なっていないはずだ。
なんて名言っぽいセリフもよく聞くけど、思い通りにいかないから面白いかどうかはさておき、「人生は思い通りにいかない」までは合っていると思う。
ってことは結局、自分を変えるのも難しくない?
もっと早起きできるようになりたい、もっと稼げるようになりたい、もっとスタイルよくなりたい、もっとモテモテになりたい、もっとタフになりたい、もっと優しくなりたい……。
ってそれ、朝に弱い子どもを早起きさせたり、仕事ができないやつに仕事を教えたり、デブに食事制限を課したり、非モテに恋愛指南をしたり、甘えたやつを鍛えたり、生きている資格がないやつに資格勉強をさせたりするのと同じぐらい難しいことじゃん。
なのに、
じゃねえやろボケ!
本当にこういうこと気軽に言い触らすのやめて欲しい、他人を変えるのと同じぐらい自分を変えるのだって難しいのに、自分を変えるのは簡単だよ~みたいな物言いされたら自分を変えられなくて落ち込んでいるときの俺がさらに落ち込むだろカス。
人こそ人の鏡
まあでも、冒頭でも書いたとおり、他人は変えられるし、自分も変えられる。
どっちも人間だから、難易度は大差ないってだけ。
そもそもだけど、自分の都合で他人を変えたい場合においては、自分を変えることが他人を変えることであり、ひいては他人を変えることは自分を変えることだ。
たとえば子どもが勉強しないとして、親は勉強して欲しい、だから勉強しろ勉強しろいうけど、子どもが一向に勉強しないとして、なんで勉強しないかって、親が勉強していないから。
だって子どもは親の姿を見て育つんだから。
もし親が、それこそ「子どもを勉強好きにさせる方法」でもいいけど、勉強して、その姿を率先して子どもに見せて、実践したら、子どもは勉強に興味を持つよ。
でも親がスマホばっかり弄ってスマホ中毒になっていたら、子どもだって、
って学習してスマホを欲しがって親子揃ってスマホ中毒になる。
仮にそのスマホを使って勉強するならいいけど、親がスマホを使ってやっていることが、くだらねーSNSやゲームや動画やブログだったら、子どもが同じようにスマホを使ったって文句はいえない。
そこで文句をいいたければ、子どもを勉強好きに変えたければ、まずは親が勉強好きに変わらなければいけない。
そしてこの法則は、
- 子どもは親の背中を見て育つ
- 子は親の鏡
- 三つ子の魂百まで
- 人こそ人の鏡
- 人の振り見て我が振り直せ
などというように、全年齢あらゆる人間関係で作用する。
正直者がバカを見て損をして、「あいつは馬鹿正直だ」とバカにされて不満を溜めてもバカにされ続けるのは、「馬鹿正直」から変わらないのが原因であって、「馬鹿正直」キャラをやめて「目には目を、歯には歯を」キャラに豹変したら周囲も変わってだれもバカにはしなくなる。
自分が変われば他人も変わるのだ。
やってみせる
つまり結局、山本五十六(海軍大将)がいうところの、
の、「やってみせ」、まずは自分が変わってみせることで他人も変わるということ。
ってことはそれ、自分を変えるために必要なエネルギーも他人を変えるために必要なエネルギーもだいたい同じってことじゃん、ワーオ!!
ってことが今回いいたかったこと。
なお、「馬鹿正直」キャラや「目には目を、歯には歯を」キャラについては「キャラクター」であり、キャラ設定について知りたい方は下記も併せてご参照ください。
【人間関係】キャラ設定はコミュニケーションを円滑にする!
【人間関係】自分にキャラを設定することのデメリット!
THIS IS THE ANSWER.