質で値踏みをするような打算的な人間関係は、そもそも友達関係とは呼べない……というのは綺麗事で、
と、我が子に教育を施すお母さんのセリフは、小説や漫画やドラマの世界でもお馴染みです。
- 朱に交われば赤くなる(中国由来のことわざ「墨に近づけば必ず黒く、朱に近づけば必ず赤し」の短縮形)
- 水は方円の器に随う(『韓非子』より)
- 類は友を呼ぶ(『易経』より)
……というような前提を、だからわざわざ説明しなくても、読書家であればみんな知っているでしょう。
というわけで本記事では、物質的な意味(たとえばお金持ちとか)ではなく、精神的に質が高い友として、
- ミステリ読みは、論理的思考力と忍耐力と教養が身についている!
- ミステリ読みは、常識的なルールやマナーやモラルを弁えている!
- ミステリ読みは、過激でも異常でも猟奇でもだれでもウェルカム!
以上をお送りします。
では以下目次です。
質の高い友達とは?論理的思考能力や忍耐力や教養がある!
さて、ジャンル名としての「探偵小説」とはもちろん、「ミステリ小説(推理小説)」カテゴリの主力ジャンルです。
まず謎(ミステリ)があり、探偵役(必ずしも職業探偵ではない)が活躍するなら探偵小説、探偵役がいなければミステリ小説(のほかのジャンル)に振り分けられることでしょう。
漫画でいえば、
- 『名探偵コナン』←主人公の偽名「江戸川コナン」は、「江戸川乱歩」と、探偵小説『シャーロック・ホームズ』シリーズの作者「アーサー・コナン・ドイル」が元ネタ
- 『金田一少年の事件簿』←主人公「金田一一」の祖父は、横溝正史の探偵小説で活躍した名探偵「金田一耕助」という設定
- 『探偵学園Q』←原作と作画が『金田一少年の事件簿』と同じなので、『金田一少年の事件簿』と同じぐらい面白い(小学生並みの論理的帰結)
などは、すべて探偵漫画であり、ミステリ漫画でもあります。
したがって、江戸川乱歩の「探偵小説とは」とする定義は、少し条件を緩和するだけで「ミステリとは」と言い換えることができます。
というふうに。
では江戸川乱歩による定義を、「ミステリ」という要素を残したまま、極限まで簡略化するとどうなるでしょうか?
こうではないでしょうか。
つまり、江戸川乱歩の定義をどんなに極限まで切り詰めたとしても、
だけは絶対にそぎ落とせません。
「論理」とは、まさに「ミステリ」ジャンルの要……「知恵の輪」を力づくで破壊する動物園「アクション」や、謎が謎を呼び謎のままに放置するゴミ屋敷「ホラー」とは違うのです。
という推理が、当然成り立ちますよね。
しかも、
といえますよね。
ゴリラだったら途中で本を引き裂いているでしょうし、ゴミ屋敷の住人であれば途中で投げ出すと同時に投げ捨てているところでしょう。
そして、
と、考えるのが妥当でしょう。
探偵役が推理の際に見せびらかす知識やウンチク、あるいはなんの変哲もない雑談からでも、教養は得られます。
本記事でも冒頭で、
- 朱に交われば赤くなる(中国由来のことわざ「墨に近づけば必ず黒く、朱に近づけば必ず赤し」の短縮形)
- 水は方円の器に随う(『韓非子』より)
- 類は友を呼ぶ(『易経』より)
といった知識をひけらかしていますが、こうした知識に触れれば触れるほど、教養という名の血肉になります。
そして論理的思考力と人の話を聞く忍耐力と知識や教養が合わさればこそ、
ということは低所得者が多く、
ということは低学歴まで多く、
ということは知的水準が低く、
ということは家庭環境が悪く、
ということは教育水準も低く、
ということは問題児まで多く、
ということは団地の外に住む家庭の親からすれば、我が子まで問題児に染められるリスクは避けたいのだろう……(朱に交われば赤くなる)
と、発言者の意図も論理的に推察することができるようになります。
では、いつも友だちや恋人が、話をちゃんと聞いてくれなかったり察してくれなかったりして嘆き悲しんでいるそこのあなた、
質の高い友達とは?常識やルールやマナーやモラルがある!
- 犯人は、物語の当初に登場していなければならない
- 探偵方法に、超自然能力を用いてはならない
- 犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない(一つ以上、とするのは誤訳)
- 未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない
- 中国人(“中国人は頭脳が優秀でありながら、モラルの点で劣る者が多い”)を登場させてはならない
- 探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない
- 変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない
- 探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない
- サイドキック(探偵の助手となる者)は、自分の判断を全て読者に知らせねばならない
- 双子・一人二役は、予め読者に知らされなければならない
ソース1:ノックスの十戒 – Wikipedia – 2021年11月25日閲覧。
ソース2:ヴァン・ダインの二十則 – Wikipedia – 2021年11月25日閲覧。
一言でまとめると、
ってことをいっています。
「ルール」という言葉が強すぎるなら、
- マナー
- モラル
- フェアプレー精神
と、置き換えてもかまいません。
ここで「フェアプレー精神」という言葉が登場するのは、
この謎解きゲームにおいて、非常識な展開や、不公平な記述や、理不尽な解答を読者に押しつける作家は許されません。
そして読者側も、作家側の良心を了解した上でゲームに挑みます。
だから作家側の戒めであるにもかかわらず、「ノックスの十戒」や「ヴァン・ダインの二十則」を、ミステリ読みは全員知っています(「十戒」や「二十則」の名称は知らない場合でも、あるいは全項目の暗記まではしていない場合でも、その概念は常に感じているはずです)。
ゆえにミステリ読者たちは、
と、安心できるわけです。
ではそのことを理解しているミステリ読みが、
と、類推できるはずですよね。
ということは、賢明なミステリ読みは、こうも思っているはずです。
こうしてミステリ読みには、めちゃくちゃ友達思いの良いやつらが集まっています(そう、推理作家に、めちゃくちゃ読者思いの良いやつらが集まっているように)。
では、いつも友だちや恋人に、非常識・不公平・理不尽な目に遭わされて泣いているそこのあなた、
質の高い友達とは?過激や異常や猟奇も許す寛容さがある!
そもそもミステリって、
- 死体をどうやって作るか(死体がなにによって、いつどこで、どうやって作られたかを当てる)
- 死体をどうやって隠すか(死体がなにによって、いつどこで、どうやって隠されたかを当てる)
みたいなところがあるし、もはや人間の死体をパズルの道具としか思っていません。
たとえばサウンドノベル『かまいたちの夜』で有名なミステリ作家、我孫子武丸の小説『殺戮にいたる病』の殺人犯、蒲生稔だとこんな感じです(なお、『殺戮にいたる病』は1行目から蒲生稔が逮捕される小説であり、これはネタバレではありません)。
「セックスだってできるかもしれない!」じゃねえよ、っていうね。
一般的にはそうですよね。
でもこの程度のサイコパスは、ミステリ的にはスタートラインです。
ミステリを全然読まない私(今年読んだミステリは『殺戮にいたる病』だけ)でも、どうしてこれがスタートラインなのかは説明できるぐらい自明です。
- 精子が検出される死体
- 精子が検出されない死体
とでは、容疑者候補とか死体の隠し方に違いが生まれる(精子だけに)からで、そうして「特殊なピース」を作ることで特殊な絵を描くことができるから。
……っていう話は、でも一般的には越えちゃいけないラインを越えているよね。
ミステリ読み、いいやつすぎる……。
それに比べて一般人ときたら、
とか、されませんでしたとか、ごく一般的に報じられている情報にも眉をしかめる。
犯行動機が性的欲求なんて珍しくともなんともないし、別に奇をてらっているとかじゃなくて、普通なのに。
でもじゃあ現実に、ノーマルな友だちとテレビの前で雑談中、
話題にタブーがないし、ミステリ読みはタブーを犯す猟奇的な犯人にも慣れているから、人間関係的にもタブーがない。
だってサイコパスの心情が理解できなければ、サイコパスの犯行を見破れないんだし、一般人とは人間理解の度量が違う。
だからちょっと過激な思想を打ち明けたり、本音を話したりしたぐらいじゃミステリ読みは引かない。
では、いつも友だちや恋人に、本音を打ち明けられなくて寂しい孤独感を抱いているそこのあなた、
まとめ:論理的で常識的で寛容なミステリ読みが最良の友!
- ミステリ読みは、論理的思考力と忍耐力と教養が身についている!
- ミステリ読みは、常識的なルールやマナーやモラルを弁えている!
- ミステリ読みは、過激でも異常でも猟奇でもだれでもウェルカム!
以上です。
で、ここまでミステリ読みを推しておいて、ひとつ肝心な点を書き忘れていますよね。
まあ忘れていたわけじゃないんですが、
以上、結局友だちの質って、自分の質と比例するよね(類は友を呼ぶ)という記事でした!