ツイッターに依存しすぎていて、実生活が疎かになっていたり、ストレスが溜まったり、リアルを犠牲にしている自覚がある方は、
を試してください。
「本当にマジに呟く価値のあることしか呟かないチャレンジ」とは、
と、ツイートの前に5回まで自問自問をするチャレンジです。
コツは、「これ」ではなく「それ」と、できるだけ客観的に(自分がもうひとりの自分に問いかけるように)自問自答することです。
慣れれば1回で5回分の深さまで問いかけられるようになります。
私のツイッターは当ブログ「アンサーソング。」のお問い合わせを兼ねているため、そこで活動を再開しましたが、そのままおさらばすることも十分可能でした。
もちろん私も、ツイッターがとても楽しいコミュニケーションツールであることは理解しています。
でもそれでも、リアルを後回しにしてまで「本当にマジに呟く価値のあること」などこの世には存在しません。
その証拠に、ツイッターの楽しさを説明しながら同時に全否定していきましょう。
以下目次です。
ツイッターに依存する主な理由は?承認欲求!
なぜツイッターが楽しいのかといえば、まず第一に、
です。
また、
あとオフパコとかツイッターにはコミュニケーションのすべてがあります。
でもそのすべてが、リアルの実生活には不要なものです。
ひとつずつ否定していきましょう。
近況報告や愚痴をツイートする必要があるか?
人間は高度なコミュニケーション能力を有した知的生命体です。
だからこそ、
それで充足感が得られたり、問題が解決したりするなら是非とも聞いてもらうべきです。
が、基本的にツイッターでのコミュニケーションは浅いものになりがちです。
1ツイート140文字の制限があることからもそれは明らかです。
「浅い充足」を繰り返す行為は、駄菓子を投げ合ってむさぼり食っているような状況と同じです。
それは栄養単価が低く、満足度も低く、健康を害しやすく、依存しやすい。
特に愚痴などは、対面と比べてネットの満足度はかなり低いといいます(ソースは私によく愚痴を聞かせてくれる友人です)。
だから「愚痴アカ」なるものが存在し、愚痴は繰り返されます。
たとえば会社や親族、交際相手などの他者に対する愚痴をツイッターで呟いたところで、その愚痴や愚痴に関する問題意識が他者に届くことってほぼありません。
ということは、根本的な愚痴の発生源を叩けていないなら、愚痴は発生し続けます。
そして今日も「浅い充足」を求めて、
になってしまう。
ツイッターにはコミュニケーションのすべてがありますが、浅いんですよ、なにもかも。
ブログで毎記事最低2000文字以上執筆している私が保証します。
プロの作家とかでもない限り、1ツイート140文字でできることは、浅瀬でちゃぷちゃぷするお遊びだけです。
そんなものに夢中になる必要は、5回自問自答してください、、、、、どう考えてもありませんよね。
創作活動や感想をツイートする必要があるか?
まず創作者であれば、ツイッターなんかいじっている暇があったら創作に励むべきです。
ツイッターをいじった分だけ創作の時間が減る、そのやばさはわかっているはずです。
本業がツイッター芸人とかじゃない限り、ツイッターは二の次、一仕事終えたあとの余力でやるものでしょう。
ちなみにこれは創作に限った話ではなく、
ツイッターをいじった分だけほかのことをする時間が減ります。
そこの認識が甘い人ほど、どうでもいいツイートに時間を割いてしまいます。
たとえばツイッターよりブログ優先を公言している私が、
などと呟いていたら、「いや、そのツイートする手間で一行でもブログを書き進めたら?」と思いませんか?
その「一行」が積み重なれば、ブログ記事なんかとっくにできているかもしれないのに、と思いませんか?
私は自分でそう思います。
ですからツイッターで、
などと呟く行為を、私は「無能宣言」と呼んで忌避しています。
また感想を送ったり受け取ったりする行為は、そもそもなぜそんなことをしているのか考えましょう。
感想を送る側であれば、創作活動の励みになればいい、とか。
感想を受け取る側であれば、創作活動の励みになって嬉しい、とか。
そうしたポジティブな感情の増幅に期待して自然とやりとりをするものではないでしょうか。
なのにそのやりとりに依存し、
- 最近感想が少ないとか、あの人と比べると全然だとか、
- 前は感想に反応してくれたのに最近してくれないとか、
- あの人の感想には返信しているのに自分にはないとか、
やがて負担になり、ネガティブな感情が渦巻いてしまうようなら、それって本当に必要?????
5回自問自答しましょう、、、、、不要です。
情報収集やトレンドに便乗する必要があるか?
じつは、一個人にとって世の中の大半の情報が不要です。
なぜなら、世の中の大半の情報が「アクセスできるだけ」だからです。
せいぜい目にするのがやっとで、手なんかは全然届きません。
たとえば本日(2020年7月9日)ツイッターでバズっている話題を3つ並べますが、
- 高齢男性「母親なら(惣菜なんか買わずに)ポテトサラダぐらい作ったらどうだ」に対する愚痴
- COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の都内新規感染者が224人に上り、過去最高を記録する
- 将棋棋士の藤井聡太七段が棋聖戦に挑戦、二連勝中で今回勝てば棋聖獲得も、第三局では敗れる
で、これ知ってどうすんの? って話です。
各ニュースに対してなにかしら思うことはあるでしょうし、コメントをしたくなることも、実際にすることも可能でしょう。
が、ネット軍師や評論家やコメンテーターで食い扶持を稼いでいるのでもなければ、そんなことをする必要性は皆無です。
ほとんどの場合、対象に手が届かないどころか、声すら届かないでしょう。
なのにそんなものを収集したり、持論を述べたりしたところで、昨日と比べてみてください、自分の人生はなにも好転しません。
はっきりいって、自分が生きていく上で手にすべき必須情報は、自分の手が届く範囲内の情報、
だけです。
そうした自分にとって価値ある情報にターゲットを絞るなら、ツイッターのような玉石混淆、かつデマや「嘘松」が横行しているSNSは不向きです。
もちろん無価値に等しい時事ネタやコメントでも、娯楽として楽しんでいる分には問題はありません(私自身、その手合いです)。
が、情報ジャンキーに成り下がり、四六時中トレンドやニュースをチェックして現実の生活に支障を来しているようであれば、きっぱりと情報源を断つべきです。
在りし日を思いだしましょう。
と、子どもの頃に思っていませんでしたか?
そして実際、学校で摂取させられた情報のうち、現在でも役に立っている情報がどれだけありますか?
5回自問自答しましょう。
その情報、本当に必要?????
まとめ:ツイッターをやめるメリットと方法!
ツイッターは明確に、気力も体力も奪われる重荷ツールですよ。
毎日のようにやっていれば、吸い取られるのは時間だけではありません。
ツイッターを続けている限り、
だから知らず知らずのうちに、疲労が蓄積するわけです。
でもその疲労、ツイッターをやめれば全部捨てられます。
そして捨てたところで、なにも困りません。
それどころか、ツイッターをやめれば楽になることはわかっているはずです。
私たちが生きているのは現実上の世界であり、ネット上の世界や、ましてやそのごく一部のツイッターランドなどではないからです。
優先順位は、
- 現実に根ざした生活
- ツイッターランド
です。
ツイッターはあくまで現実をよりよく生きるための補助ツールであり、ツイッターのせいで現実が生きづらくなっているなら本末転倒です。
もしツイッターと歪な依存関係にあるなら、いますぐ脱却しましょう。
まずはツイートを控えることからです。
ツイートの前に5回自問自答してください。
THIS IS THE ANSWER.