好きも嫌いも同じ「比較」だから誰かを傷つけるという意味では同じなのに、
- 「好き」は人を傷つけないポジティブで尊くて良い感情だから推奨するべき、
- 「嫌い」は人を傷つけるネガティブで卑しくて悪い感情だから制限するべき、
みたいな無意味な区別で表現の幅を狭める行為って、損をするだけじゃない?
アニメ『ウマ娘』に学ぶ人間を傷つける依怙贔屓
私が先日観た競走馬を萌えキャラ化したアニメ『ウマ娘 プリティダービー』に、こんな一幕がありました。
『ウマ娘』は、競馬×アイドルがコンセプトのアニメで、競走馬を擬人化&女体化した「ウマ娘」が競い合い、レース後は上位3着までのウマ娘が「ウイニングライブ」と呼ばれるステージに立ってファンの前で歌って踊れる世界を描いたアニメです。
上記の声援は、「菊花賞」のウイニングライブで、
- 2着に入ったミホノブルボン
- 3着に入ったマチカネタンホイザ
に向けられたファンの声です。
しかし、このウイニングライブの描写において、
でした。
理由は、ミホノブルボンを差し置いて勝利したからです。
「菊花賞」前のミホノブルボンは、無敗でクラシック2冠(JRA最重要級レース2勝)を達成しており、すでにアイドルウマ娘の地位を確立していました。
ミホノブルボンが「菊花賞」に勝てば、無敗の3冠ウマ娘として唯一、「皇帝」と呼ばれる日本史上最強ウマ娘と肩を並べるところでした。
でも勝ったのはライスシャワーでした。
だからミホノブルボンの勝利が見たかったウマ娘ファンたちは、ライスシャワーを嫌いました。
その結果が、ウイニングライブにおける、
ライスシャワーに対する完全無視です。
このウイニングライブの描写において、ライスシャワーは声援もブーイングも浴びていません。
罵声ひとつ飛んでいないし、「嫌い」ともいわれていません。
つまりなにもいわれていないという点では、プラスマイナスゼロです。
一方でライスシャワー以外のウマ娘は応援されたり、「好き」だといわれたりしているので、プラスマイナスでいえばプラスです。
でもライスシャワーだってマイナスではないのだから、ダメージはないように思えます。
ライスシャワーはトラウマになった。
体力が30減った
やる気が下がった
やる気が下がった
やる気が下がった
やる気が下がった
「偏頭痛」になってしまった
って感じ。
ではなぜ傷ついたのかといえば、
です。
ライスシャワーはウイニングライブのトラウマを思いだしたあと、こう心情を吐露しています。
ブルボンさんに勝つことができれば、きっと認めてくれると思った。
だから一生懸命頑張った。
でもライスの勝利なんてだれも求めてなかった。
ライスが勝ったのに……!
みんなライスを責めて認めてくれなかった
自分が「好き」とも「嫌い」とも評価されなかったとき、プラマイゼロなのは自分単体で見た場合です。
でも相対的に「比較」すれば、自分以外のだれかだけが依怙贔屓でプラスになっていれば、自分はマイナスです。
だからライスシャワーは、自分以外の2人だけが褒められて認められているのを見て、トラウマになりました。
で、このバッドステータスって、別にアニメやゲームじゃなくても、現実でもありますよね?
「好き」も「嫌い」も誰かを傷つける「比較」
- たとえば家庭において、あとに生まれた弟が特別に可愛がられているのを見て、兄が泣きわめくのはよくある光景です。
- また仕事においても、上司に好かれている部下と、特に好かれていない部下がいるなら、後者は劣等感を抱くでしょう。
- もちろん恋愛においても、「異性が好き」といえば、「同性は嫌い」という意味になるので、同性愛者は傷ついています。
以上、なにが起きているのかといえば、全部「比較」です。
「比較」が人間を傷つけている。
- 可愛がられている弟と、「比較的」可愛がられない兄
- 好かれている部下と、「比較的」好かれていない部下
- 恋愛対象の異性と、「比較的」恋愛対象ではない同性
全部「比較」です。
しかもこの「比較」は、「好き」といおうが「嫌い」といおうが、同じです。
なぜか世の中には、
- 「好き」はポジティブ
- 「嫌い」はネガティブ
という見解がはびこっていますが、じつはどっちも同じ表裏一体。
だって「好き」という意思表示をポジティブに受け取れるのは、「好き」といわれた対象やその仲間だけでしょう。
でも「好き」という意思表示があったとき、同時に必ず「好き」の対象に選ばれなかった側が存在する。
そして「好き」の対象に選ばれなかったら、普通にネガティブな感情になります。
Aちゃん(仮名)とBちゃん(仮名)とCちゃん(仮名)が一緒に遊んでいたとして、
Cちゃんは別に「嫌い」とはいわれていません。
でも私はこのCちゃんの気持ちを考えたとき、「嫌い」といわれたときと同じダメージを負っていると思う。
だから安直に、「好き」はポジティブだなんて思わないし、「嫌い」がネガティブだとも思わない。
どうせ私がそいつの嫌っているものを「嫌い」といってあげれば、そいつは私の「嫌い」をポジティブに受け取るんだし。
みたいなことをいっているオタクもたまに見かけるけど、ほかを下げようが自分の推しを上げようが、やっていることは同じでしょ。
まとめ:
だから「嫌い」だけを嫌って好き好き連呼しているよりは好きなものは好き嫌いなものは嫌いってはっきりいって生きたほうがいいんじゃないのってことをここでは書く予定だけどいまは時間がないからまた今度。