おまえはジャイアンですか?
というセリフを現実世界で耳にしたとき、その意味を推察できない日本人は少ないでしょう。
ジャイアンといえば、国民的アニメ、原作は漫画「ドラえもん」に登場するメインキャラクターのあだ名であり、現実世界には存在しません。
ジャイアンは二次元の住民です。
ですから通常、現実世界の日本において、
という質問は成り立ちません(まあ日本も狭いとはいえ広いので、実名が「ジャイアン」という方もおられるかもしれませんが、少なくとも一般的な名前ではありません)。
しかし、ジャイアンはガキ大将であり、いじめっ子であり、歌がド下手の、暴君キャラクターとして知られています。
ゆえに、「ジャイアン」が実在せずとも、「ジャイアンというキャラクターを持った人間」は実在します。
前回の記事(【勉強】ガリ勉がバカにされる理由!独りよがりだから!)では「ガリ勉」をテーマに取り上げましたが、「ガリ勉」も一種のキャラクターですね。
今回はその「キャラクター」を自分に適用すること、いわゆるキャラ設定やキャラ付けを行うことの意味について、考えていきたいと思います。
キャラクターが設定されるまで
ではまず、ジャイアンが現実世界に誕生するまでを描いていきましょう。
前提として、ジャイアンは「暴君」または「音痴」という属性を持つキャラクターです。
そこで現実に生きる人間が、暴力による世界征服などを企てたときに、
と問われたなら、そのセリフが意味するところは、
と理解されます。
まあだいたい、そこがカラオケルームだったり、歌ってみた動画のコメント欄だったり、生歌がド下手なアーティストのライブ会場だったりしない限りは、「おまえはジャイアンですか?」は、「おまえは暴君なのですか?」と解されます。
そして問われた人間が、
と認めれば、めでたくこの現実世界にも、ジャイアン(というキャラクターを持った人間)が誕生します。
認めなくても、「ジャイアンっぽい名前」だったり、「ジャイアンっぽい見た目」だったり、「ジャイアンっぽい声質」だったり、
などと発言していたりすれば、周囲から半強制的に、「ジャイアン」というキャラクターが付与されることもあります。
こうしてキャラクターは設定されます。
ではなぜキャラクターを設定するのか、されるのか?
キャラ設定のメリット
じつのところ、人間はとても複雑怪奇な精神構造を内包していて、はっきりいって理解不能です。
が、「キャラクター」は、人間の複雑さを単純に表現したものです。
そしてシンプルイズベスト、大抵の人間は複雑なものより、単純なものを好みます。
ゆえに、たとえば学校などで自己紹介をする際、
と、
どちらが好まれるか。
後者です。
同じ内容でも、「ジャイアン」というキャラクターを被ることで、一言で理解を促し、瞬時にイメージを喚起させ、さらには親近感まで持たせることができます。
なぜならジャイアンは、たとえ暴君でも、国民的アニメのメインキャラクターであり、だれもが「ジャイアンとはそういう現象」であり、「ジャイアンなら仕方がない」という認識を共有しているからです。
ですからもし、自己紹介のあとで多少乱暴な振る舞いをしてしまったとして、
- よく知らない体育会系
- 「ジャイアン」
どちらが比較的許されやすいか、受け入れてもらえやすいかといえば、「ジャイアン」のほうです。
よく知らない体育会系がいきなり大声で超絶音痴なアカペラを披露しだしたら恐怖でしかありませんが、そいつが「ジャイアン」であることさえわかっていれば、どこかコミカルな空気さえ生まれそうです。
謎の体育会系が暴れれば、避けられ孤立するのがオチですが、「ジャイアン」であれば、「スネ夫」タイプがすり寄っていったり、媚びを売るべく擁護を始めたりするかもしれません。
その「スネ夫」にしても、最初から「スネ夫」だったわけではなく、「ジャイアン」と仲良くしているうちに、「スネ夫」であると周囲から認定されるのかもしれません。
そうして、コミュニティのなかに「キャラクター」が作られていきます。
「ドラえもん」において、ジャイアンやスネ夫がメインキャラクターを張っているのも、物語に要求される「役割」をきちんと果たし、「居場所」を確保しているからです。
逆にいえば、「役割」や「居場所」をわかりやすく周知するのが、「キャラクター」だといえます。
あるコミュニティ、たとえば学校の教室のなかで、あいつは「ジャイアン」で、その腰巾着は「スネ夫」で、いつも机に向かって勉強しているのは「ガリ勉」で、お調子者でクラスを盛り上げてくれるのは「ムードメーカー」で、いつもボケているのは「いじられキャラ」で、アイドルかゲームか鉄道の話しかしないやつは「オタク」で、逆ハーレムを作っているやつは「姫」で、文武両道で品行方正の黒髪眼鏡は「生徒会長」で、動画投稿しているやつは「ユーチューバー」で、陽気なやつは「陽キャ」で、陰気なやつは「陰キャ」で、存在感がないやつは「見えるんだけど見えない者」……と、キャラクターを用いることで、それぞれの居場所、アドレスを簡単に把握できます。
ともすれば、「見えるんだけど見えない者 」や、類似する「空気」や「透明人間」といったキャラクターは、悪口やイジメ、無視にも繋がりかねませんが、本当に無視される存在であれば、「見えるんだけど見えない者」、「空気」、「透明人間」とすら認知されないわけです。
「見えるんだけど見えない者」として理解されれば、ひとりの時間が好きな人にとっては、好ましい事態かもしれません。
逆に「見えるんだけど見えない者」が好ましくない場合は、そのキャラクターを逆手に取り、どんでん返しを狙うこともできます。
機会をうかがって、
と、周囲にインパクトを与える行動を取ればいいわけです。
そうすれば、「見えるんだけど見えない者」というキャラクターは、「見える(見えるぞ!)」というキャラクターになり、自分にとってネガティブだったキャラクターをポジティブなキャラクターに変化させたり、そもそも見える見えない云々というキャラクター自体をまったく別のキャラクターで上書きできたりします。
そうして「キャラクター」を運用すれば、コミュニケーションを円滑にすることが可能です。
キャラ設定はコミュニケーションツール
人間同士の付き合いを考えたとき、だれとだれの相性が良いのか、悪いのかは、複雑すぎて判断に迷います。
が、キャラクターとキャラクターの相性で考えれば、シンプルに判断できます。
自分が「ガリ勉」であり、そのキャラクターを気に入っているのであれば、「ジャイアン」とはあまり関わらないほうがいいでしょうし、「生徒会長」と関わったほうがキャラ設定を維持しやすいでしょう。
逆に「ガリ勉」が気に入らなければ、「ジャイアン」と遊んで「スネ夫」になったり、勉強動画を配信して「勉強系ユーチューバー」になったりすれば、既存のキャラクターをぶち壊すこともできます。
そうして「自分」を便利にアピールできるツール。
それがキャラ設定です。
こんなに便利なコミュニケーションツールを使わない手はないので、是非活用しましょう。
ただし、キャラ設定には弊害もあります。
弊害については次回の記事でお送りします。
次回の記事↓
【人間関係】自分にキャラを設定することのデメリット!
THIS IS THE ANSWER.