別に私が今日ブログの月間ノルマのために下書き状態の記事を連投しまくっているからって免罪符代わりにこんな記事を書くことに決めたわけじゃないことは私が一番よく知っているしそれで十分だけど文字数も稼げることだし一応説明しておくとなんでこんな読者を軽視するようなタイトルのブログ記事をいま執筆するはめになっているのかといえばもちろん以前から温めていたネタをブログの月間投稿ノルマのために雑に放出することになったからだけどもし万が一この文章を読んでいる私以外のだれかがいるなら1週間後に再訪してくれれば最低限読者を意識した文章や体裁に整えておくからとりあえずいまは消えてほしい。
私の嘘に騙され傷ついたすべての方に謹んでお詫びいたします。
本記事はブログを書くメリットについて、他者に依存しなくてもいいという視点で解説します。
では下書きをブラッシュアップして参りましょう。 – 2020年4月17日
アクセスが少ないからってすぐブログをやめる人ってなんなの?
ということは、そこには必ず「読者」の存在を想定することになります。
「読者」を想定しないテキストは、そもそもネット上に公開する必要がありません。
読者不在でよければ、古いネットスラングにもあるように、
いればいい話です。
そして書いたそばから捨ててしまえば、読者不在のテキストが完成します。
しかし捨てなければ、そこがチラシの裏であっても、テキストには読者の存在が想定されます。
つまり基本的に、テキストとは読者を想定するものです。
紙だろうが電子だろうが、テキストを保存するということは、その意図にかかわらず、なんらかの「事故」とともに「読者」が発生する可能性も保持するということであり、その想像はだれでも簡単にできてだれもが警戒を要するはずです。
そう、前述の「チラシの裏にでも書いてろ」といったネットスラングは主に匿名掲示板で使用されてきたという性格上、「チラシ」と「ネット」を「自己」と「他者」で対比させているわけですが、「読者」という括りで考えれば、自分で書いたものが自分で読める以上、自分も自分の読者になりえます。
そしてメモに限らず、そこが匿名掲示板だろうがチラシの裏だろうがブログだろうが、自分という書き手がいる以上は自分という読者も存在します。
ちなみにこちらも古いネタで、
俺もブログやってるんだけど何故か毎日1アクセスだけあるんだよ
多分1人だけ毎日アクセスしてくれるんだろうな
特にコメントはしてくれないんだけど見てくれているのは間違いない。
時間的には俺がブログ更新するのとだいたい同じ時刻。
つまり最新の情報をチェックしてくれているわけだ。これがすげー嬉しい。
これがたった一人だとわかっててもすげー嬉しい。
その人がいるから頑張って毎日更新してるって言ってもいいくらい。
いつかその人からブログの感想とか聞けたらな、って思ってる。
ちょっとしたことが励みになったりするんだよな
といったコピペがあり、その1アクセスっておまえだよね、というネタなんですが、自分だけの1アクセスでもまったく問題ありません。
そこで自分という読者を重視しておけば、たとえ他者がゼロでもブログは有用なツールになり、自らの人生に役立てることが可能です。
ブログが匿名掲示板やチラシの裏やSNSよりも優れている理由
ここで、
- 匿名掲示板
- チラシの裏
- ブログ
の違いを簡単に見ていきましょう。
といっても匿名掲示板は最初に除外します。
匿名掲示板はその内包する機能において、他者とのコミュニケーション(不特定多数が発信する情報の混在)が前提にあります。
したがって自分を読者として想定する、「自分で発信して自分で受信する」使用法には根本的に向いていません(「自作自演」などの無益な行為は蔓延していますが)。
この使用法に限れば、匿名掲示板はチラシの裏以下です。
その他TwitterやLINEなどのSNSも同様の理由で、チラシの裏以下です。
以下にブログがチラシの裏より圧倒的に優れている実例を3点挙げましょう。
- チラシの裏には主に手書きで書き込む必要があるが、ブログはキーボードや音声入力が使えるため圧倒的に楽
- チラシは書けば書くほどかさばるが、ブログは何万文字書いても手のひら(スマホ)に収まるため圧倒的に楽
- チラシの裏に書いたテキストは読み返すときに不便だが、ブログは内部検索機能で呼び出せるため圧倒的に楽
まず①ですが、もはや現代人はパソコンかスマホでしか長文を作成することができず、手書きとなるとその文中で使用すべき漢字も正確に覚えておらず、誤字とひらがなとカタカナまみれになります(ちなみにここでいう長文とは5000文字以上と定義します。ソースは私の感覚です)。
次に②はブログのメリットとしては若干弱いかもしれません……なぜならスマホが使用可能ならチラシの裏もパシャリと撮影して画像データにしてしまえばそれで手のひら(スマホ)には収まります、しかし画像データは意外に容量を圧迫するため、何万枚書いて(撮影して)も平気とはいかないでしょう。
ブログを自分専用のアーカイブとして活用する方法とその実例
たとえば当ブログ「アンサーソング。」も最近ではすっかり新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に感化されてしまい、新型コロナウイルスに関する記事か、そうでなくても新型コロナウイルスを引き合いに出す記事ばかりを投稿しています。
そして本記事も例外ではなく、これから新型コロナウイルスを引き合いに出すわけですが、そうしていると当ブログには新型コロナウイルスに関する情報がどんどん蓄積されていきます。
しかし新型コロナウイルスは「100年に1度」(by神戸大学感染症内科、岩田健太郎教授)といわれているレベルの疫病であり、災厄です。
ソース:感染症専門家 ”100年に1度の危機” – NHK – 2020年4月17日(金)閲覧。
つまり最低限の知性を有していれば、迂闊なことやデマになりかねないことを書くわけにはいかない、ということが理解されるはずです。
ブログはメモアプリやクローズドSNSとは違い、全世界に公開されます。
したがって私も自らの知性に基づいて、新型コロナウイルスに関してはいつも以上に気を配り、必要に応じて可能な限りソース(出典元)などを記載するようにしています。
すると当ブログには、新型コロナウイルスに関する比較的正確な事実に基づいた情報が蓄積されていきます。
そこでもし、新型コロナウイルスが収束または終息し、人々の話題に上がらなくなったとき。
ふと、
といったことが知りたくなったとき。
私は自分のブログで「年に1度」などと検索すれば、本記事がヒットし、
という回答がNHKのソース付きで示されるわけです。
ただこの説明では、
と思われるかもしれません。
しかしたとえばGoogle検索で「新型コロナウイルス 100年に1度」などと検索すると、岩田健太郎教授以外で同様の発言をしている人たち、
- ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)
- スコット・モリソン(オーストラリア首相)
- 発言者不明(「~といわれる」的な言い回しかつソースなし)
などのノイズも引っかかります(2020年4月17日時点)。
このノイズの問題点は大きく分けて2点あり、
- 不正確な情報が紛れていること
- 一番説得力のある岩田健太郎教授のソースが削除されたとき、ノイズの情報しか残らないケースが考えられること
です。
まず①、不正確な情報は邪魔でしかなく、自分のブログには正確な情報だけ記すようにしておけば、ググるより自分のブログで検索したほうが手っ取り早いという事態がしばしば発生します(しています)。
次に②ですが、Google検索などでは削除された記事は順次インデックスから削除され、いずれ検索にはヒットしなくなるということも頻繁に起こります。
そしてニュースソースは記事ごと削除されるか、またはタイトルだけ残って本文のみ削除されるということも頻繁に起こります。
ということは、私が先ほど引用したNHKのソースもそのうち削除され、通常の検索では引っかからなくなるか、引っかかったとしても本文が読めなくなるというケースが想定されます。
ここで先述のNHKによる記事タイトルを再掲しましょう。
ソース:感染症専門家 ”100年に1度の危機” – NHK – 2020年4月17日(金)閲覧。
上記タイトルがGoogle検索でヒットしたとして、しかし記事タイトルだけでは不明な点が2点あります。
- 「100年に1度の危機」←なにが?
- 「感染症専門家」←だれ?
そこでもし本文が削除されており、スニペット(ページ概要)にも「100年に1度の危機」の対象や「感染症専門家」の正体を示す情報が拾われていなかったとしたら……?
それらの裏取りをするにあたって、少々面倒な工程が生じるか、最悪は突き止められないかもしれません。
またページごと削除されていた場合、「感染症専門家」以外のビル・ゲイツ氏やスコット・モリソン氏らの発言しか引っかからず、そもそも「感染症専門家」の情報を探ろうとすら思い至れないかもしれません。
でも私なら、自分のブログで、
ということを記録しているため、もはやNHKのソースが削除されていても、Google検索で引っかからなくても、なんら不都合はありません。
ただし厳密にいえば、ソースが削除されている場合、引用されている情報が本当に正しいのか(本当に出典元に記載されていたのか)という疑義が生じるわけですが、私はいちいちウェブ魚拓などのアーカイブサービスを使用してまでファクトチェック(事実確認)対策をしようとは思いません。
私は過去の自分がファクトチェックを終えていること、正しく引用を行なっていることを知っており、それで十分です(といっても誤解や事実誤認等のヒューマンエラーは必ず起こりえますが、そこまで突き詰めるならそもそも出典元の記載にさえ誤解や事実誤認、あるいは文章上のミスが紛れているかもしれず、そこまでの配慮は自力では不可能です。ミスの指摘があれば、謹んでお受けするに留めます)。
現実を軽視する人間は、たとえ動かぬ事実や証拠を突きつけられたところで、現実逃避に終始するだけであり、そんな愚者にかける言葉も労力も説得力も私は必要としていません。
私は自らの言動を律するために必要な情報があれば、それで幸せに生きる自信があるからです。
そしてそのための情報が私のブログには集積されており、私はいつでもその情報を引きだすことができます。
またその「情報」のなかには、「私の思考」という、Google検索にはない最大にして最強の強みもあるということを次の項目で記しましょう。
ブログは自分の思考を体系立てて保存する外部記憶装置になる
もちろんそこにはレンタルサーバー会社さんを始め、システムエンジニアさんやプログラマーさん、イラストレーターさんなどのお力添えがあるわけですが、ブログの管理と運営、そして記事の執筆などは私個人で行なっています。
ということは、当ブログの大部分は、私のアウトプットした思考で占められています。
どのレンタルサーバーを利用しようかとか、どのワードプレステーマを適用しようかとか、どの画像を記事のアイキャッチに使用して、どのイラストを吹き出しに当てはめて、どのソースを引用しようかとか、すべてひっくるめて私の思考です。
そしてもちろん、本記事の最初らへんで述べたように、ブログのメインコンテンツはテキストです。
そのテキストの大部分を私個人が担当しています。
つまりブログとは、個人が運営する限りにおいて、その個人の思考と嗜好、私考の塊です。
この「私考の塊を検索する機能」は、Google検索にはありません。
Google検索でヒットする情報は、変な小細工を弄さなければ、そのほとんどが他者から発信されたもので埋め尽くされます。
もちろん「正確な事実」のみを検索したいのであれば、その情報が真実である限り、発信者がだれなのか、ということは問題になりません。
自分が発信しようが他人が発信しようが、事実は事実であり、不変です。
しかし、「哲学」や「思想」や「感想」のような「正解がなく、発信者によって変化する情報」は自他の区別が重要になります。
たとえばググれば、偉大な学者や思想家、
の考えたことも引っかかります。
でもそれで、
という話です。
ほとんどの人間にはできません。
ニーチェもヘーゲルもハイエクも、その時代を代表するレベルの天才であり、しかも彼らだって生きていたのであり、その生涯にわたって思考や思想は変化したはずです。
ちょっとググったぐらいでその天才たちの思考を理解し、機微を捉え、使いこなすなんてことは同等以上の天才でなければ不可能です(せいぜい三人とも「フリードリヒ」であることに気づくぐらいが関の山でしょう)。
また相手が天才でなくても、他者の考えを自分のものにするのはそれ相応の苦労があるはずです。
そう、いま一度繰り返しますが、自分も自分の読者になりえるのです。
自分が1年前、なにを考えていたのか正確に覚えている人はいるでしょうか?
たとえば新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の収束または終息後、新型コロナウイルスが流行し始めたときの自分の所感を正確に思いだせる人がどれだけいるでしょう。
人は100年に1度レベルのパンデミックでさえ、喉元過ぎれば熱さを忘れ、正確には記憶していないものです。
自分のブログを読み返せば、いつでも私が当時なにを考えていて、なにに関心を寄せていて、どんなテーマでどんな結論を出していたのか、まとまった分量で正確に思いだすことができます。
そこにあるのは私自身の思考であり、「過去の自分」と「現在の自分」という差はあれど、一度自分で考えたことですから、「現在の自分」が忘れていたとしても、読み込み直せば簡単にモノにできます。
これはいわばブログを脳みその外部デバイス(記憶装置)として使用しているのであり、その装置はともかく中身はGoogleに頼み込んでも用意してもらえないため、自分で作り上げるしかありません。
まとめ:ブログを自分専用の最強ツールにする方法論と注意点
- ブログは自分という読者に向けて書けば他者に依存する必要がない
- ブログは自分専用のアーカイブになり構築次第では自分を強化可能
- ブログは自分の思考体系を保存する用途ではいまだに最強のツール
①の簡単解説、「ブログを始めたけど読んでもらえない」などと嘆いている人は自分で読めばいいだけです。
②の簡単解説、たとえば「引き出しの多いブログ」を育てた人は「引き出しの多い人」になれます。
③の簡単解説、人間は忘れっぽい生き物ですが、ブログで過去の自分を思いだせば「初心に返る」といったことも簡単です。
当然ブログにもさまざまなスタイルがあり、本記事で解説したメリットを享受できるブログとできないブログがあります。
本記事で解説したメリットを享受するための前提は3つ、
- 個人ブログであること
- 記事は外注しないこと
- 記事をパクらないこと
です。
自分のブログを自分のバックアップにしたければ、全部自力でやらなければ意味がありません。
自分だけの体系立った思考が保存されて初めて、自分の自分による自分のためのブログは完成します。
その思考がおざなりなら、劣化版Google検索にしかならず、自分の成長も強化も見込めません。
思考に近道はなく、盗めないことはもちろん、宝くじで当たったりお金で買えたりもしません。
自分で積み上げるしかないということです。
※本記事はかなり時間がないなかでかなり雑に書かれており、なおかつ雑に書こうという意識も働いているため私本来の文体ですらなくただひたすらに雑です。4月中に修正します。
紛うことなきゴミ記事から、ぎりぎりゴミじゃないといえるレベルまでは引き上げられたと思います。
きっと下書き状態の本記事を読まれた方がもし私以外にいたらビックリされることでしょうが、私以外にいないことを祈ります。
なお本記事のアイキャッチは「【ギャオオオオン!】「ギャオる」の意味は?語源や使用例を解説! 」で使用されている画像であり、長らく当ブログの人気記事ランキング一位であったため現在私のアイコンにも使用されているものですが、これはアイキャッチを選んでいる時間がなかったため急遽臨時で採用したものです。
しかし「とても焦っていて時間がなくて発狂している」様子を十分に保存できているため、このままにしておきます。
このように、ブログは画像ひとつを取っても当時の自分が置かれていた状況を生々しく保存できます。
昨今ではメモアプリなども流行中ですが、所詮メモはメモです。
自身の内面を広く深く記録する場合、ブログの有用性と優位性はまだまだ他の追随を許さないでしょう。
以上。
THIS IS THE ANSWER.