まあそもそもついてゆかなくてもいいんだろうけどね。
志村けんの訃報を1週間遅れで知った友人の話
テレビもYouTubeも見なければ、その他のオープンなSNSも(私の知る限り)あんまりやっていない。
閉じた世界で、しかし部分的には開いて、健全に生きている(カエルのように。私はAちゃんがマッチングアプリをやっていることを知っている)。
志村けんの死後1週間ほど、正確には志村けんの逝去が2020年3月29日で、大々的に報じられたのが翌日の30日で、Aちゃんが志村けんの訃報を知ったのが2020年4月7日だから、まあどこからカウントするかによるけど、1週間あまりは知らなかったことになる。
そう、なぜならみんな志村けんの訃報は知っていたのだ……1週間以上も前に。
それでAちゃんはそのことを私に愚痴ることにした。
「人の愚痴を聞くのが大好き」と公言している私は、よくそういう捌け口にしてもらえる。
それでAちゃんの憤りは要するにこういうことだった。
国民的スターの訃報でさえ1週間で忘れられる
普通といえば普通、Aちゃんがいうように志村けんは日本中のだれもが認める国民的スターで、だからその国民的スターの訃報を1週間も知らなかったAちゃんのほうが普通ではないんだけど、私はAちゃんのことが結構好きなので(まあそもそもいくら愚痴を聞くのが好きでも好きでもない人間の愚痴なんか聞かないけど)そんな意地悪な指摘をして話の腰を折ったりはしなかった。
それにAちゃんは私に、
などといまさら報告してきたわけではなかった。
もしもAちゃんが私にもその愚行を繰り返していたら、私も、
ぐらいの悪態はついたかもしれないけど(まあつかないけど、Aちゃんのことは好きだから)、AちゃんはAちゃんなりに情報をアップデートしてきたのだ。
つまり、「志村けんが亡くなった」という情報から、「その死が1週間で忘れられた」という情報に。
ここでいう「忘れられた」はAちゃんの発言をそのまま引用しているけど、もちろん、
という意味だ。
そしてその指摘は私にも当てはまっていた。
私も志村けんやその死を忘れたわけではなかったけど、でも話題に挙げないという意味においては忘れていた人間のひとりだ。
志村けん=国民的スターの訃報という話題が、(少なくともAちゃんの周りでは)消費期限1週間だというのは、短すぎるだろうか?
私はそうは思わない。
けど、Aちゃんの指摘は妥当かもしれない。
情報は鮮度が命?情報の量と速度と質の問題
志村けんの訃報というニュースは、私にとってはAちゃんが話したがった時点から1週間以上前に流れてきて、それから1週間以内に流れ去ったものだ。
正確な日数は覚えていないけど、私や私が話すテーマのなかから志村けんの訃報が抜けきるまで、ぎりぎり1週間持ったか持っていなかったかぐらいだと思う。
私もAちゃんと同じで、テレビはほとんど見ないし、いくつも放送されたであろう志村けんの追悼番組は1秒たりとも見ていない。
だから私にとって、志村けんの訃報というニュースは(Aちゃんが情報をアップデートしてくるまで)単発の話題で、単発の話題にもかかわらず1週間も持つというのは、さすがは国民的スターだと褒めるべきところだ。
でもAちゃんの基準では、1週間は薄情だという。
だとAちゃんはいっていた。
「1ヶ月は話せるべき」=「話題にされても煙たがるべきではない期間は最低でも1ヶ月」の意だ。
私にとってそれは長すぎる。
私はAちゃんと同じでテレビこそ見ないものの、Aちゃんとは違って毎日ニュースはチェックしているし、毎日SNSもやっているし、毎日Aちゃんのような友人や知人から情報も回ってくる。
Aちゃんの周りに流れる情報は量が少なく、速度もゆるく、ほとんど静謐の域だ。
だからとても質がいい。
洗練されている。
そんなAちゃんが相手なら、たとえ1ヶ月遅れで志村けんの訃報を話題にしても、マジで快く応じてくれるだろう。
でも私は、1ヶ月後だったらもう確実に、志村けんの訃報というビッグニュースでさえ、日々のくだらない雑事と一緒くたにして流してしまっているだろう。
私が何度か見聞きして覚えている情報に、
みたいなセリフがある。
でも本当にそうなのだろうか?
私はそうは思っていない。
だから私のブログでは、時事ネタカテゴリーでさえ、スピードは重視していない(トレンドブログをやるつもりは更々ない)。
でもそれでもまだ速くて、私はもう少し、流れてくる情報のスピードを落としたほうがいいのかもしれない。
まとめ:志村けんがいる世界と、いない世界
その間、私が振り返る限りにおいて、志村けんの訃報よりニュースバリューがある情報はなかった。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)関連の続報があると反論があるかもしれないけど、私は先月の時点で新型コロナウイルス関連の厚生労働省や専門家会議や小池都知事や安倍首相らの発信する情報には(デマや政治的都合、二兎を追う者は一兎をも得ず的な頭の悪さが多分に含まれており)私の時間を割く価値がないと判断しているため、今月に入ってからはほとんど無視している。
追記:厚労省や専門家の発信を信じていた人たちには、ご愁傷さまとしかいえない。
ソース1:コロナ専門家有志の会「#うちで治そう」ひっそり撤回に批判の声 – 女性自身 – 2020年5月5日(火)閲覧。
ソース2:加藤厚労相“PCR検査4日自宅待機ルールは保健所と国民の誤解”発言…現場から怒りの声 – Business Journal – 2020年5月5日(火)閲覧。
ソース3:「PCR検査2万件やるとは申し上げていない」安倍総理の無責任発言を庇って、過去の発言を捻じ曲げる加藤厚労相 – ハーバー・ビジネス・オンライン – 2020年5月5日(火)閲覧。
となれば、やはり私にとっては志村けんの訃報がここ最近で一番のニュースだった。
にもかかわらず、その私のなかでさえ志村けんの訃報にまつわる情報はすでに話題性を失っている(いまはAちゃんによって一時的に復活しているけど)。
私の生きている世界に、志村けんはもういない。
でもAちゃんの生きている世界には、志村けんがまだいる。
どちらが正解だという問題ではないのだろうし、隣の芝生は青く見えるものだけど、でも私はAちゃんに、
といって慰めた。
THIS IS THE ANSWER.