結論からいうと、僕は賛成。
簡単な事件概要
2019年7月18日、京都市伏見区にあるアニメ制作会社、「京都アニメーション」のスタジオが火災に見舞われ、当時スタジオで働いていた従業員74名のうち、少なくとも33名が亡くなり、17名が重傷を負いました(2019年7月19日時点)。
出火原因はガソリンによる放火です。
火を放ったと見られるのは、さいたま市在住の無職、青葉真司容疑者(41歳)。
青葉容疑者はすでに確保されていますが、容疑者自身も火傷を負っており、意識不明の重体です。
そのため詳しい犯行動機などはまだ不明ですが、目撃証言によると青葉容疑者は確保される際、
などと叫んでいたそうです。
また、青葉容疑者には前科があり、2012年6月20日、コンビニ強盗と銃刀法違反の容疑で逮捕、起訴され、三年六ヶ月の実刑判決を下されています。
その後、青葉容疑者は刑務所を出所し、さいたま市のアパートに移り住んでいましたが、近隣住民との騒音トラブルが絶えず、警察への通報も複数回あり、直近の通報は放火事件の数日前だったようです。
そして2019年7月18日、京都アニメーション放火事件は発生しました。
ソース:“京アニ放火殺人”青葉真司容疑者(41)は「職も家も転々と…」「コンビニ強盗の前科持ち」 – 文春オンライン – 2019年7月20日(土)閲覧。※2020年7月17日(金)リンク切れ確認。
死刑を望む声
さて、以上の京都アニメーション放火事件が報じられ、犯人の氏名や前科、素性が明らかにされると、ネット上には多くの声が寄せられた。
驚愕の声、心配の声、悲嘆の声、応援の声、歓喜の声(たしかにあった)、便乗の声(本記事も含む)、そして犯人の死刑を望む声、犯人の死刑を望まない声。
現時点で令和最悪の放火事件なのはいうまでもなく、戦後全体でも最悪レベルの犠牲者数をだした凶悪事件。
多くの人命はもちろん、京都アニメーションの貴重な作画資料や資材までもが一切合切喪われた事件。
本記事では、そんな近年稀に見る大事件を通じて、死刑制度について考えようと思う。
つまるところ、僕が死刑制度に賛成か反対かを確定させるべく、
という視点で考える。
死刑の是非
まず現実の話をすると、日本には死刑制度があり、よって青葉容疑者の犯行が死罪に値すると判断されれば、死刑の執行が認められている。
けどもちろん、ここでは僕の個人的な意見を優先するので、現時点での憲法ではどうなっているかとか、法律ではどうなっているかとかは考慮しないし、事件の全容解明も待たない。
僕は動機によっては青葉容疑者を擁護できるけど、でも動機によって死刑制度への態度は変わらないと思う。
そしてここまでで、「動機によっては擁護できる」と書いた時点で、僕の考えは明らかになっていて、それは、
というものだ。
よって仮に、京都アニメーションの側に、青葉容疑者から恨まれるなんらかの理由があれば、その理由が人命より重い可能性はあると思うし、かといってそのことによって、青葉容疑者の犯行が青葉容疑者の命より軽くなるとも思わない。
つまりはどう転んでも、青葉容疑者の犯行が正当なる反抗だろうがなんだろうが、僕は青葉容疑者の罪について、青葉容疑者の命より重いと思う。
重罪であり、死罪に値すると思う。
これはほとんど直感であり、これまでの僕の人生において、それ以上の理由を求めたことはない。
では以下で、それを求めて整理していこうと思う。
被害者やご遺族の救済
まずは直感から直通の感情論だけど、そもそも人間には感情があるものだし、
という考えがあるからこそ、僕はこれまでの人生、それ以上の追求をしてこなかった。
しかしもちろん、感情に支配されて生きるのは危うい、という考えも持っている。
が、今回のケースでいえば、被害者やご遺族に応報感情があるのであれば、僕はそれを否定したいとは思わない。
京都アニメーション放火事件の被害者は、少なくとも五十名以上、死者だけでも三十名以上に上る。
さらにはそれぞれのご家族やご遺族、合計で何人になる?
そしてその全員が、犯人の死刑を望まない、なんていう考えは現実的ではない。
日本は死刑制度が維持されている国であり、世論調査では死刑制度の存廃について、八割以上が「死刑もやむを得ない」と回答している。
ソース:基本的法制度に関する世論調査 2 調査結果の概要 2 – 内閣府 – 2019年7月20日(土)閲覧。
であれば、十中八九被害者側から、犯人の死刑を強く望む人間、死刑でなければ救済もクソもないと訴える人間はでてくるだろう。
どれだけ死刑では救われない、気持ちが晴れることはないといったところで、そんなことはやってみないとわからないし、気が済む可能性を試せるんだったら試す価値はある。
もちろん、存命中の被害者もそのご家族も、残念ながらお亡くなりになった被害者のご遺族も、全員奇跡的に穏やかな感情の死刑廃止論者で、死刑を望まないというのであれば、その限りではないけど。
更生できていないという現実
次に青葉容疑者へと視線を移すと、青葉容疑者は強盗と銃刀法違反の容疑で、三年六ヶ月、刑務所に服役している。
よく死刑について、
みたいな綺麗事があるけど、
『犯罪白書』(平成28年版)によれば、出所から5年以内に刑務所に戻る確率は、覚せい剤49.4%、窃盗45.7%、傷害・暴行36.1%に達する。強姦・強制わいせつ(24.1%)や殺人(10.3%)という凶悪犯罪でも、1~2割は刑務所に戻ってくるのだ。
ソース:再犯率高い日本 刑務所の矯正指導アプローチに課題あり – BLOGOS – 2019年7月20日(土)閲覧。
冤罪の可能性がゼロ
そして本案件において、青葉容疑者の身柄は現行犯で抑えられているわけだけど、その現場で、
と叫んでいるわけで、冤罪の可能性はゼロに等しい。
いやまあ無論、青葉容疑者の単独犯ではない可能性とか、単独犯ではあるけど同時刻同現場で同一の犯罪計画を別の人間も進行させていた可能性とか、黒幕の催眠術師にして腹話術師がいたとか、そういう可能性を考慮するのであれば厳密には冤罪の可能性がゼロというわけではないけど、それって死んだ人間も生き返る可能性はゼロではないよ、実際に死体安置所から「俺復活ぅぅぅぅう↑っ」した人間いるし、ソースはカラパイア。
→ 世界仰天ニュース。医師3人に死亡宣告された男性が死体安置所でよみがえる(スペイン) – カラパイア – 2019年7月20日(土)閲覧。
っていっているのと同じレベルの話。
たしかに人間は必ず間違う生き物だし、だから冤罪は絶対になくせないんだろうけど、でもそれで死刑自体を廃止しようとは思わないし、人間は必ず事故る生き物だから自動車を廃止しようとも思わない。
仮に僕が絶対に福祉社会や車社会やあらゆる間違いの可能性を秘めた恩恵に与らず徹底して人命を尊重して生きていて人命はなによりも優先されるものであり人命が喪われる可能性は一パーセントたりとも看過できない、という人間であればそういう主張もできるんだろうけど、そうじゃないから説得力を持たせられない。
まあでも、刑罰というごく限られたシチュエーションでのみ人命は尊重されるのだ、って理論を引っ提げればいける……これいけるんかな? いやいけないかもしれへんわ。引っ提げんのやめとくわ。確信がないわ。いけるんかどうかわからへんから。
邪魔者は消される運命
さて、少し早いけどまとめます。
早いというのは、じつはまだ、人命はいうほど貴重じゃないとか、責任能力のないやつとは共生できないとか、命の価値は平等じゃないとか、書ける項目はあるものの、ビックリするぐらい凡庸というか、たぶんこれ死刑存置論者のザ・スタンダードだろうなって感じの文章しか生まれなかったので、もうここまでで十分伝わるだろうし、なんかもうやめたい。
そしてやめたいときはやめる、それが僕の考え方だからやめる。
そして殺めたいときも殺める、これが僕の考え方だ。
だからこれを書いているいまは夏だけど、じゃあ仮にいま耳元でクッソ耳障りな羽音を立てて蚊が飛んできたら即座にタイピングをやめるし、確実に絶対に見失わない方向で殺める。
もちろん人間と蚊が同じだと主張するつもりはない。
けど、人間がそこまで立派な生き物だとも思わない。
他人の人生を邪魔するどうしようもない人種は確実に存在するし、そんな邪魔者が消される運命にあったとしても、それはそうだろうな、としか思わない。
そこでどんな人間の命もかけがえのない命だから、殺生はやめよう、とかまったく思わない。
ね、低劣でしょう?
でもまあ、死刑賛成なら全部存続とか、死刑反対なら全部撤廃とか、そういうんじゃなくて、ケースバイケースでやればいいと思う。
そして今回の事件、現時点の情報で判断するなら、僕は賛成の立場を取る。
以上。
THIS IS THE ANSWER.