いえる。
~これまでのあらすじ~
そして今月、自殺した高校生について「天寿を全うした」と述べた校長がニュースで報じられました(2023年12月)。
ソース:福島・高3自殺 校長「天寿全うした」にあぜん…親「真実知りたい」 – 毎日新聞 – 2023年12月10日閲覧。
もちろんネットで炎上していますが、
私は意見を変えませんが、もしも私や校長の意見に不快感を覚える人がいるとすれば、その原因はなんでしょうか?
安易に「天寿」否定して大丈夫?
では以下目次です。
校長「この生徒は天寿を全うした」事件の概要
~自殺した生徒に「この生徒は天寿を全うした」事件の概要~
しかし、2年の2学期のころから部活には出る半面、学校は休みがちになり、亡くなった日も欠席したという。両親によると、当時の校長は3日後の全校集会で「この生徒は天寿を全うした」などと発言したといい、「17年しか生きていないのに『天寿』って?」と言葉を失った。
ソース:福島・高3自殺 校長「天寿全うした」にあぜん…親「真実知りたい」 – 毎日新聞 – 2023年12月10日閲覧。
今回問題となっている高校は、福島県立須賀川創英館高校です。
自殺した女子生徒は当時17歳(2022年4月15日)。
自殺の原因は明らかにされていませんが、
~自殺の原因はイジメ?~
生徒は、新学期開始間もない22年4月15日に亡くなった。両親は直後、県が開設している相談窓口に、生徒が「クラスにいづらい」などと送ったメールの書き込みを見つけたという。
ソース:福島・高3自殺 校長「天寿全うした」にあぜん…親「真実知りたい」 – 毎日新聞 – 2023年12月10日閲覧。
「クラスにいづらい」具体的な理由は不明です。
が、このSOSは学校ではなく、福島県が開設した相談窓口に送られています。
ではなぜ学校に相談しなかったのかというと、じつはしていました。
~担任教師に不満~
両親によると、女子生徒は2年生の2学期ごろから学校を休みがちになり、悩みを相談した際の担任教師の対応などに不満を漏らしていた。昨年4月に亡くなる直前には、県のインターネット上の相談窓口で悩みを相談していたという。
ソース:高3女子自殺、原因は「心理的負担」と指摘 第三者委が報告書 – 福島民友新聞社 – 2023年12月10日閲覧。
イジメ自殺では「ちゃんと助けを求めていれば」的な悔恨をよく見聞きしますが、今回の女子生徒はちゃんと助けを求めていました。
学校と県に2度も助けを求めていました。
つまり女子生徒は生きたかったはずであり、
~自殺した女子生徒の性格~
0歳時に腸の一部を切除する手術をした際の家族の苦労話を知り、小学生で「看護師になる」夢を描いていた。中学の弁論大会では、生命の大切さを語り、高校ではスポーツ部活動のマネジャーとして青春を満喫していた。
ソース:福島・高3自殺 校長「天寿全うした」にあぜん…親「真実知りたい」 – 毎日新聞 – 2023年12月10日閲覧。
↑クラスには不登校でも、部活には通っていたことから、クラスの問題さえ解決していれば死なずに済んだはずです。
でもそもそも、クラスの問題を解決するはずの担任が「クラスにいづらい」原因を担っていたら?
学校の外に助けを求めても、県の相談窓口もだれも彼女を救わなかったら?
~校長の説明~
校長は、女子生徒が自殺した3日後に「天寿を全うした」と全校生徒の前で説明。
自殺原因を調べる第三者委員会は、遺族の要望を受け付けるまで約半年間も設置されませんでした。
そして調査報告が上がるまで1年半以上かけた結果、
~調査報告(2023年12月8日時点)~
両親らによると、報告書では生徒が学校生活で「さまざまなストレスを感じていた」と認める一方、具体的ないじめ行為の確認には至らなかったと判断されたという。
ソース:調査委 いじめ認めず 須賀川創英館高生死亡 心理的負担要因か 両親、福島県に再調査要望 – 福島民報 – 2023年12月10日閲覧。
「天寿」の意味とは?自然死か老衰死か運命か
~「天寿」とは?(運命編)~
0歳で死んだ子も天寿は全うしています。安田尊@姥捨てを謳うブログ。こんにちは、先日はボケ老人の扱いについて、【運転免許】ボケ老人に免許を返納させても意味がない理由!警察か施設送りだと述べました。~これまでのあらすじ~[…]
- 天から授かった寿命
- 自然に授かった寿命
↑先月の記事でも解説しましたが、天寿には①「天」と②「自然」の意味があります。
①「天」の場合は、天(神様とか宇宙人とか運命とか)に予め定められた寿命なので、享年0歳でも17歳でも91歳でも天寿を全うしています。
②「自然」の場合は、「自然」をどう解釈するかという話になりますが、
~「天寿」とは?(老衰編)~
天寿(てんじゅ)を全(まっと)う・する の解説
ソース:天寿を全うする(てんじゅをまっとうする)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 – goo国語辞書 – 2023年12月10日閲覧。
《天から授かった寿命をすべて使う意》長生きして死ぬ。また、病気や外傷によらず、自然死する。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
しぜん‐し【自然死】 の解説
ソース:自然死(しぜんし)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 – goo国語辞書 – 2023年12月10日閲覧。
外傷や病気によるのではなく、加齢現象が進み、老衰によって死亡すること。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
ここが先月の記事(91歳)とは違う点です。
たとえばこれが十分長生きした91歳で認知症で介護に疲れた息子に殺害されたケースなら、自然死(老衰死)と言い張ることは可能です。
91歳(自然な老衰)⇒認知症(老衰が原因)⇒介護疲れ(認知症が原因)⇒殺害(介護疲れが原因)、
医学や法医学的には違うでしょうが、もちろんここでは医療や法律の線引きは採用していません。
「病気や外傷によらず」というけど、その病気や外傷が自然に(老衰によって)引き起こされた場合、それはやっぱり自然死(老衰死)だといえるし……。
91歳(健康寿命以上)なら十分長生きしたといえるし、どう死のうが全部自然(老衰)のせいにして「天寿を全うした」といえます。
だから校長の発言「この生徒は天寿を全うした」に、「自然に(老衰で)」の意味を読み取っている人間は、整合性がバグって怒り狂います。
「17年しか生きていないのに『天寿』って?」と、憤りを感じます。
しかし最初に述べたように、「天寿」には①「運命」の意味もあるんだから、
~「天寿」とは?(運命編)~
そういわれれば、整合性にはなんの狂いもなく、ひとつの意見や解釈として成立します。
あるいは②「自然」の意味でも、(老衰)を含まないなら成立します。
なぜなら学校は、自然にイジメが発生する場所だし(その学校という人工物が自然か不自然か、イジメ加害者や被害者の精神状態が自然か病気かとかは置いておくとして)、
運命を信じないなら?努力不足かナマケモノか
~「天寿」とは?(努力編)~
そりゃそうですよね、「この生徒は17歳でイジメられて死ぬ運命を全うしました」なんて……。
いくら理論的に、運命論的に正しくても、親御さんは受け入れられないでしょう。
いくら自然で当然の帰結だったと説明されても、世間は納得しないでしょう。
「学校でイジメられて死ぬ運命」を持った子どもなんて、この世にいないと信じたいし……。
「学校はイジメが起きる場所だ」なんて自然は、破壊したいと思っている。
でも運命論者にいわせれば、
いくら自然を破壊したいと思っていても、思っているだけでは自然は破壊されません。
ではなぜ思っているだけではなく、行動しないのか?
いろいろな言い訳が考えられますよね、んも「どーせ」とか「だって」とか「時間がない」「お金がない」「世の中そんな甘くない」「人脈がない」「親が許さない」「環境が..」「時代が..」一生懸命いろんな理由つけて、
だってもしも運命じゃないなら、運命なんて努力で変えられるなら、現在のこの体たらくはなんなんでしょうか?
依然として学校ではイジメが自然発生している、この弱肉強食の動物園はなぜ長年放置されているのでしょうか?
みんなイジメが発覚するたびに加害者を叩き、隠蔽した学校を叩き、失言をした校長を叩きまくりますが、
つまり、運命を変えられるのに変えていないのは、努力不足。
自然を破壊できるのに破壊していないのは、ナマケモノ。
だれもが自分は努力不足でナマケモノだなんて信じたくないでしょうが、
この運命論者に反論したければ、私たちは不断の努力で現実を変えなければなりませんが、はたしてそれは可能でしょうか?
17歳の女子高生が自殺したときに、「天寿を全うした」といわせないために、そもそも自殺をなくすことが可能でしょうか?
もちろん努力不足の責任は、国や学校や大人たちにとどまりません。
だって人間、イジメられたからって死が確定するわけじゃないんだから。
イジメられても死にたいと思っても、なんだかんだ言い訳をしながら生きている人間のほうが多いんだから。
そこで自由意志だの自己決定権だのが存在するなら、
もしも運命が存在しないなら、こうしてあらゆる人間に自己責任の烙印が押されます。
学校で自殺者が出る理由は、あなたが自殺を阻止しなかった努力不足です。
でも、そう考えるよりは、運命があったと考えるほうが……、
まとめ:人の生き死には努力でどうにかなる?
- 自殺者を出した高校の校長が、「この生徒は天寿を全うした」などと全校集会で言い放って炎上した
- が、「天寿」の意味に(老衰)を含むなら失言だが、(老衰)を含まないなら別に間違ってはいない
- 「天寿」の否定は運命の否定だが、人類全体の努力不足やナマケモノの誹りを受ける覚悟はあるか?
以上です。
今回の校長が、どういうつもりで「この生徒は天寿を全うした」などと放言したのかは知りません。
まあたぶん、自分の立場とか言葉の意味とか、
しかし考えてみれば、「天寿」という言葉には、その死に際して本人や周囲に免罪符を与える効果もあります。
たとえば子どもが自殺したとき、学校でのイジメや学校の対応ばかりが槍玉に挙げられます。
でも私ならこうも思います、一番子どもと一緒にいられて一番子どもと話ができて一番子どもを見守れるはずの、
自死に至った要因としてはクラス内でストレスや孤独感を強く感じつつも、家族に相談できず、心理的負担が積み重なった―との見方を示したという。
ソース:調査委 いじめ認めず 須賀川創英館高生死亡 心理的負担要因か 両親、福島県に再調査要望 – 福島民報 – 2023年12月10日閲覧。
もちろんいわれるまでもなく、ほとんどの遺族は自らの努力不足とナマケモノを責めていることでしょう。
そして同時に、仕方がなかったと言い訳もしている……少なくとも、言い訳をしたいとは思っていることでしょう。
ではなぜ仕方がなかったといえるのか、
子どもは親に心配をかけまいと(あるいは頼りにならないと)、家族には悩みを相談できないような人間に生まれてきていた。
親も子どもの面倒を100%見られるような生活環境ではなかった。
クラスの担任も生徒の面倒を100%見られるような労働環境ではなく、県の相談窓口も人手不足と予算不足で機能していなかった。
そしてすべての運命が作用して、今日もだれかが死んでしまう。
そこで、特定のだれかに責任を負わせることは可能でしょうか?
すべては運命であり、天寿であると考えられるなら、
私は完全な運命論者ではありませんが、この「いえる」という状態(可能性)は否定できないし、残しておくメリットもあると考えています。
だれもが自分は努力不足でナマケモノだなんて信じたくない。
以上、それでもどうしても運命に抗うという人間がいるなら、口だけではなく行動で示してくれることでしょう。