作品に罪はない、なんて当たり前。
安田尊@罪人を謳うブログ。~これまでのあらすじ~
安田尊@一休さんを謳うブログ。- アドルフ・ヒトラー
- 牟田口廉也
- ウラジーミル・プーチン
私たちが、いまでも「ヒトラー」「ヒトラー」連呼しているのは、「罪と人」がセット評価だからです。
では、「罪を憎んで作品を憎む」とか、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的に考えれば、
安田尊@ヒトラーを謳うブログ。
安田尊@Questionを謳うブログ。
安田尊@Answerを謳うブログ。みたいな議論がありますよね。
はっきりいって、的外れです。
「作品に罪がある」⇒「作品が処分される」ではないからです。
安田尊@有罪を謳うブログ。
安田尊@「罪」を謳うブログ。
安田尊@『罪と罰』を謳うブログ。というわけで本記事では、「罪と人」は切り離せないけど、「罪」と「作品」は切り離せるってことを解説します。
では以下目次です。
作品に罪はある?作者に罪があるから作品ごと罰する!
安田尊@Questionを謳うブログ。
安田尊@Answerを謳うブログ。- 罪があるなら、罰を受ける
- 作品に罪があるなら……作品に罪があるのだから、作品が罰を受けるべき
- 作品に罪がないなら……作品に罪はないのだから、作品は罰を免れるべき
こうした考えは、論理的には正しいというか、計算自体は合っています(筋が通っています)。
が、そもそも、
安田尊@「罪」を謳うブログ。
安田尊@更生を謳うブログ。- お金があるなら、コンビニでおにぎりを買う
- 猫にお金があるなら……猫にお金があるのだから、猫がコンビニでおにぎりを買うべき
- 猫にお金がないなら……猫にお金はないのだから、猫はコンビニでおにぎりを買わない
安田尊@Questionを謳うブログ。そもそも、「猫」に人間社会の経済を適用するのは間違っていますよね(猫には、「所持金」や「売買」といった概念がありません)。
同様に、「作品」に人間社会の規律を適用するのも間違っています(作品には、「罪」や「罰」といった概念がありません)。
安田尊@「罪」を謳うブログ。
安田尊@罪人を謳うブログ。- 「作者」が罪を犯す(罪が明らかとなる)
- 「作者の作品」がなんらかの処分を受ける
- 「作品に罪はない」と謎の議論が発生する
①「作者」が起点になっているように、「作者」が主役なので、「作者」を主体に考えるべきです。
それなのに、「作品」を主体に考えてしまうのは、
安田尊@擬人化を謳うブログ。「作品」は、警察に出頭して罪を自白することもなければ、不当な処分に抗議したり弁護士を雇ったりして争うこともありません(争うのは愚かな生き物だけ)。
どれだけ、作者の魂が込められているっぽい「すごい作品」でも、
安田尊@作者の魂?を謳うブログ。「作者の魂」なるものが存在するなら、それは作者の人格や身体に閉じ込められているっぽい、と考えるしかありません(ほかに有力な候補がないため)。
だから、「作者の魂」が罪を犯したなら、作者の人格や身体ごと憎んだり罰したりするのです。
それなのに、犯罪者が刑務所に入れられるときに、
安田尊@擁護を謳うブログ。
安田尊@「罪」を謳うブログ。同様に、「作品」に「罪」があるかないかを考慮して、作品を処分するわけではありません。
「罪を犯した作者に対する社会的制裁」の一環として、「作者の作品」もまとめて罰しているだけです。
世の作者に対して、
安田尊@社会的制裁を謳うブログ。と、社会が警告し、見せしめにしているんです。
罪人がのうのうと生きていれば、追従するゴミ虫が涌いてきて、社会秩序が保たれないからです。
私たちが、ヤクザを見ればぶっ叩いて、銀行口座を凍結したりクレジットカードを作らせなかったりするレベルで追い込むのは、
安田尊@社会正義を謳うブログ。
安田尊@社会正義を謳うブログ。
安田尊@社会正義を謳うブログ。という意思表示にほかなりません。
そこで、
安田尊@擁護を謳うブログ。
安田尊@「罪」を謳うブログ。一般的な会社員にしても、罪を犯せば仕事を失ったり、多方面に悪影響を及ぼしたりするのは変わりませんよね。
それなのに、作者が罪を犯したときだけ、
安田尊@擁護を謳うブログ。
安田尊@「罪」を謳うブログ。作品を罰する基準は?ファンとアンチのバトルで決定!
安田尊@Questionを謳うブログ。
安田尊@Answerを謳うブログ。
安田尊@作品を謳うブログ。- 社会に対する、作品のポジティブな影響
- 社会に対する、罪悪のネガティブな影響
①「ポジティブ」と、②「ネガティブ」が戦って、負けたほうが消えます。
だからそもそも、
安田尊@擁護を謳うブログ。
安田尊@「罪」を謳うブログ。罪を帳消しにするレベルの傑作であれば、いちいちそんなことを叫ばなくても、社会が守ります。
個人の好き嫌いで評価が分かれるような駄作なら、社会は容赦なく切り捨てます。
安田尊@社会正義を謳うブログ。- 作品を守る声……社会
- 作品を切り捨てる声……社会
①も②も、社会の声です。
しかし、作品の命運を握る「社会」は、どちらか一方だけです。
この「社会」を簡略化して表現すれば、
安田尊@ファンを謳うブログ。
安田尊@VSを謳うブログ。
安田尊@アンチを謳うブログ。
安田尊@「勝てば官軍」を謳うブログ。です。
それでは、今回はファンの立場になって、
安田尊@Questionを謳うブログ。
安田尊@Answerを謳うブログ。作品を守る方法は?ファンなら作品の価値を語るべき!
安田尊@Questionを謳うブログ。
安田尊@Answerを謳うブログ。- 罪の有無
- 価値の有無
語るべきは、②「価値の有無」です。
①「罪の有無」を語っても、価値はありません。
安田尊@無罪を謳うブログ。
安田尊@作品を謳うブログ。ゆえに、「価値」……ほかの作品と比べたときに、圧倒的に勝る点を語るべきです。
そうしてファンを増やし、
安田尊@作品無罪を謳うブログ。的な支持者も増やさなければ、戦に負けます。
そして戦は、開戦してから準備しているようでは手遅れなので、
安田尊@ファンを謳うブログ。
安田尊@ファンを謳うブログ。と、普及活動を頑張っておくなり、事前に対策を打っておくべきです。
具体的には、
安田尊ファンを謳うブログ。
安田尊@ファンを謳うブログ。
安田尊@ファンを謳うブログ。一人ひとりの力は微弱でも、ファン全員が少しの努力を怠らなければ、簡単には打ち消せない力になります。
逆にそこまでする信者にもなれないような駄作なら、ぶっちゃけ社会から消えようがどうしようが、どうでもいいでしょ?
安田尊@『聖書』を謳うブログ。
安田尊@『クルアーン』を謳うブログ。
安田尊@社会正義を謳うブログ。まとめ:気持ち悪い言い訳をする作者は?気持ち悪い!
安田尊@まとめを謳うブログ。- 「作品に罪はない」は当たり前!贖罪も反省も更生もない!
- 「作品」を罰する理由は?罪を犯した作者への社会的制裁!
- 「作品」を守る方法は?罪の有無より、価値の有無を語る!
以上です。
最後に、上記の論理を応用して、作者が罪を犯した場合によく聞かれる「自主規制」論について述べて終わります。
安田尊@ファンを謳うブログ。
安田尊@Questionを謳うブログ。
安田尊@Answerを謳うブログ。- 世論
- アンチ
- クレーマー
- 通りすがりの人
- お客様のご意見ご感想
などの「社会」が、制裁をチラつかせて脅している状況で、「自主」規制もクソもありません。
つまりこの状況も、簡略化して表現すれば、
安田尊@ファンを謳うブログ。
安田尊@VSを謳うブログ。
安田尊@アンチを謳うブログ。この勢力争いに勝利した「社会」が、作品の命運を握ります。
企業などに対して、
安田尊@ファンを謳うブログ。
安田尊@企業を謳うブログ。
安田尊@社会的制裁を謳うブログ。
安田尊@アンチを謳うブログ。
安田尊@企業を謳うブログ。
安田尊@社会的制裁を謳うブログ。この世は戦いです。
あと、当たり前すぎて書き忘れていましたが、作者本人については、
安田尊@罪人を謳うブログ。- 罪を憎むなら……罪を犯した人も憎む
- 言い訳が気持ち悪いなら……言い訳をした人も気持ち悪い
以上、もしも「作品に罪はない」なんて自分で言い訳する作者がいたら、めちゃくちゃキモいと思う安田尊でした!
罪を憎んで人を憎まず、みたいな綺麗事があるけど、罪と人はセットだよね。安田尊@ヒトラーを謳うブログ。アドルフ・ヒトラー安田尊@牟田口を謳うブログ。牟田口廉也安田尊@プーチンを謳うブログ。ウラジーミル[…]
坊主憎けりゃ袈裟まで憎くてなにが悪いの?安田尊@憎しみを謳うブログ。こんにちは、最近の記事で、【無理】罪を憎んで人を憎まず?意味不明な綺麗事を論破する!【罰】「作品に罪はない」が的外れな理由!作者への制裁だから!と、憎しみに満[…]

